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先日、自民党総裁選挙への小泉進次郎氏の立候補表明の記者会見にあって、フリーランスの記者から知的レベルの低さを問題視する質問を受けたことが、メディアやSNS等で話題となりました。一般の社会にあっても、本人に面と向かって‘知的レベルの低さ’を指摘することはめったにはありませんので、その暗黙のマナーを破るような質問に驚かされたのです。かくして、知的レベルの問題が、突如として政治の表舞台に登場してくることとなったのですが、実のところ、知的レベルは、国家や国民にとりまして大問題であるように思えます。もちろん、政治家の知的レベルが低い場合、全ての国民に被害や損害が及ぶこととなります。法律や政策は凡そ全国民に対して法的効果が及びますので、政治家が杜撰で浅慮な決定を行なえば、国民は愚かな判断の巻き添えとなり、国家滅亡を憂...国民の方が高い‘知的レベル’
封建時代にありましては、主君に対する家臣の忠誠心は美徳として賞賛されていました。主君は家臣達の領地を保障し、報償や俸禄をも与える存在でしたので、家臣は、自らの命を擲ってでも主君を護るべきとされ、主君に誠心誠意奉仕する忠臣こそが家臣の鏡とされたのです。君主と領主との堅い絆は保護・被保護の関係、あるいは、非対称ながらも相互依存の上に成り立っており、家臣の忠誠心は、運命共同体とも言える同関係を精神面において支えていたこととなりましょう。ヨーロッパの封建制度の場合、両者の封建契約を介しましたので、家臣のモラルという精神面よりも比較的法的義務の側面が強いのですが、こうした関係は、その成立前提としてギブ・アンドテイクの関係を見出すことができます。このことは、武士道や騎士道として現れてきた主君と家臣との間の麗しい主従関...皇族の存在と日本国民の精神性
目下、秋篠宮家の悠仁氏の東大推薦入学の問題をめぐりまして、国民の多くが今後の成り行きを注視する状況が続いています。これまでにも、ネットを中心として皇族については批判が湧き上がることはあったのですが、今般の一件に関しては、遂に国民の許容の限界を超えてしまった感があります。皇族の入学や入試については、特別待遇を疑う同様の疑惑が囁かれたのは、今回が初めてのことではありません。とりわけ、姻族となる小室氏に対する特別の便宜については、日本国内のみならず、アメリカの弁護士資格試験にまで背後から動かした可能性さえあります。このことは、皇室の背後に日本国政府のみならず世界権力が蠢いている可能性を強く示唆しているのですが、東京大学農学部の推薦型選抜の学生募集要項に『国際会議への参加等の活動』が急遽加えられ、第27回国際昆虫...象徴天皇制度こそ議論すべき
秋篠宮家の悠仁氏の東大推薦入学問題は、象徴天皇制度を根底から問う展開となりました。昨今、ウェブ上で実施されたものの、‘人権侵害’のクレームを受けて閉鎖に追い込まれた署名サイトの文面は、「悠仁様が東大の推薦入試を悪用し、将来の天皇として『特別扱い』で入学されることは、象徴天皇制を根底から揺るがすこととなるため反対します」であったそうです。しかしながら、象徴天皇制は、既に根底から揺らいでいるのではないかと思うのです。同サイトの文面は、‘悠仁氏の東大推薦入学を諦めれば、象徴天皇制は今後ともつつがなく維持される’とも読めます。特権の濫用による不当な‘裏口入学’を諦めれば、国民の多くから反発も受けることはなく、象徴天皇制も安泰であろうという意味合いです。言い換えますと、同署名サイトを設けた人は、‘皇室に反対する人’...既に象徴天皇制は根底から揺らいでいるのでは
トンボは、古語にて‘あきつ’と呼ばれ、日本国は、これに由来して‘あきつしま’とも称されてきました(『日本書紀』や『古事記』・・・)。このため、枕詞では‘大和’にかかり、『万葉集』にも歌われています。トンボが日本国を象徴しているとしますと、秋篠宮家の悠仁氏が昆虫研究にトンボを選んだのは、秋篠宮家の‘あき’と音が通じることに加え、どこか、日本国を意識してのことなのかもしれません。今般、悠仁氏の東大推薦入学問題にあって国民から批判の声が湧き上がることとなったのも、同一件が、秋篠宮家や悠仁氏の私的な領域を遥かに超え、国家的なレベルの問題に発展したからに他なりません。進学における選択の自由が皇族に認められている今日にあって、悠仁氏が国立大学に進学を希望することは全く以て自由です。国民の誰もが、悠仁氏の志望校が東大で...東大も正義を問われている-皇族推薦入学問題
秋篠宮家をめぐる東大推薦入学の問題は、公平であるべき国立大学の入試制度を私心によって自己に有利になる方向に歪めた不当介入に留まりません。もう一つ、極めて重要な問題を挙げるとしますと、それは、入学を認めた大学に対して‘見返り’が用意されていたのではないか、とする疑惑です。しかも、国家予算による・・・。どのようなルートを使うことで、秋篠宮家、あるいは、宮内庁が東大の推薦入学制度を変更させることが出来たのか、これも謎です。秋篠宮家が個人的な人脈やコネクションを頼りにして同作戦を進めたのか、同宮家の意向を受けた宮内庁が大学側に働きかけを行なったのか、定かではありません。宮内庁等の公務員には、創価学会や元統一教会と言った新興宗教団体の信者が数多く‘配置’されているそうですので、こうした巨大宗教団体が‘横の繋がり’を...皇族の東大推薦入学の補助金問題
皇族の大学進学問題は、入試における公平性原則をも損ないかねない社会的な危機をもたらす事態に至ってしまいました。その主たる責任は、国民が声を上げざるを得ないレベルの権力濫用を行なった皇族の側にあるのですが、何故か、皇族に対する同情論をもって‘特別入学’を擁護する意見も聴かれます。同擁護論とは、皇族は、一般の国民とは比べものにならないほどの我慢を強いられており、自由も大幅に制限されているから、皇族は、まことに国民が同情にあたいする立場にある。それ故に、一般の国民は、窮屈な皇族の立場を慮り、その私的要求を受け入れるべきある、とする論理です。言い換えますと、公的立場に伴う皇族の不自由さの代償として、国民は、皇族の自由を認めるべきである、ということになります。この説、もっともなようにも聞えるのですが、深く考えてみま...皇族は国民が同情すべきほどに不自由なのか?
報道に因りますと、昨今、オンライン署名サイトにあって「悠仁さまの東大進学に反対する署名活動」が設けられ、1万筆を超える署名を集めながらも、ユーザーからのガイドライン違反の通報を受けたため、同活動は中止されたそうです。同署名活動がガイドライン違反とされたのは、皇族に対する人権侵害に当たるからなそうです。確かに、皇族であれ、誰であれ、自らが学びたい学校を選ぶのは本人の選択の自由の範囲に含まれます。他者が、当人対して‘○○大学には進学してはいけない’、あるいは、‘○○大学を受験してはいけない’として、入学希望を断念させることはできません。この側面のみを捉えれば、‘人権侵害’という主張にも一理があるように聞えます。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏に至っては、ウェブ上の記事において、「仮に報道のとおり悠仁さまが東大へ...開き直りの皇族東大推薦入学擁護論
学習院の開設は、江戸末期の弘化4年(1847年)に遡り、以後、皇族の学び舎とされてきました。明治17年には宮内省所轄の官立学校となりますが、戦後は、皇族や華族の子弟に限らず、一般国民にも開放されると共に、私立大学として再出発することとなります。創立の経緯からしても学習院は皇族のために設けられた特別の学校であり、当然に皇族が入学試験を受けることはなかったことでしょう。学習院=皇族の学校という構図は戦後も暫くの間は維持されてきたのですが、秋篠宮家の長女眞子さんから学習院離れが始まり、今般、新たな問題が持ち上がっています。それは、長男である悠仁氏の進学問題です。皇嗣の嫡男となりますので、現行の皇室典範によれば、将来、天皇の位に就くものとされています。悠仁氏も、幼稚園から中学校までの期間はお茶の水大学の付属学校で...皇族の東大推薦入学の是非