「盂蘭盆会」という言葉について(高田道見先生『盆の由来』参究7)
【安居と仏歓喜の意味(高田道見先生『盆の由来』参究6)】の続きである。早速に高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。◎問ふ、以上は覚えず枝葉に走りての問ひなりしが、今最も必要として問はむとする所のものは、盂蘭盆と云へるの字義なり〈中略〉委しく其意義を弁明せよ○答ふ、盂蘭と云ふは梵語とて天竺の音なり、又は烏藍婆拏とも云ふ、烏藍と盂蘭とは只梵音の訛りなり、烏藍と云ふは倒懸と云ふ事に成り、婆孥とは盆と云ふ事に成る、故に烏藍婆孥を盂蘭盆と名けて、之を救倒懸と翻訳し来れり、その倒懸と云ふは喩にて、盆は法なり、元照師の註に魂ひ暗道に沈み、命ち倒懸に似たりと云へり、その暗道とは餓鬼道の事にて、倒懸とは飢渇の苦みなり〈中略〉次に盆とは器なり、乃ち食物を盛るの浄器なり、一切の椀鉢も通じて盆と名く、盆の字が救...「盂蘭盆会」という言葉について(高田道見先生『盆の由来』参究7)
2024/08/16 08:11