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続日本100名城 秋田城 秋田城跡歴史資料館(秋田県秋田市寺内焼山9-6)
▲秋麻呂(あきまろ)くん▲駐車場秋田市立秋田城跡歴史資料館秋田県秋田市寺内焼山9-6大人210円続日本100名城スタンプはこの資料館と秋田護国神社側の管理棟に…
<秋田城>の”城門”を巡る-蝦夷対策として大和朝廷が築いた古代城柵の再現城門
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
秋田に宿泊して、翌9月15日。秋田駅前からバスに乗車し、秋田城跡歴史資料館前で下車しました。 秋田城は、奈良時代から平安時代にかけてこの地域の政治・文化の中心として機能しました。続日本紀には733年創建と記載され、当初は出羽柵と呼ばれていたようです。東北地方に配された城柵の中で最北にあることから、律令国家の北縁を決めていたものと思います。 現在は、一帯が高清水公園として整備されていますが、政庁の南西部1/3程が明治時代につくられた羽州街道の切通により失われていたり、城域北部に護国神社があるなど、遺構は完全ではありません。 陸橋の上には政庁の西門と築地塀の位置が表示されていました。 陸橋を渡ると…
昨日掲載した雉の写真は、秋田市の高清水公園で撮った。秋田城跡に作られた公園である。江戸期のお城は「久保田城」という城で、秋田城は古代(奈良時代〜平安時代)の古代城柵である。戦闘拠点であると同時に、朝廷の出張所(オフィス)みたいなもので、県庁的なものだろうか。あの坂上田村麻呂だって来たかもしれない。この秋田城跡からは古代の水洗トイレが出土され、驚くことにそれが復元されている。すべり台のような汚物の通り道が設けられ、「いたした」後に水を掛けて流す仕組みとなっている。現在もトイレとして使うことはできないが、実際に瓶に貯められた水を流す体験ができるらしい(後から知った。流してみたかった!)。気になるのは流された「ぶつ」がどう処理されるか、である。肥料として使用されたのだろうか。むしろ穴に貯めた方が衛生的だったので...古代の水洗トイレを見学した
続日本100名城 秋田城(秋田県秋田市大字寺内)☆★氷処さゆり(札幌市中央区南5条西3丁目)
▲▼続日本100名城秋田城政庁東門秋田県秋田市大字寺内秋田城の創建は733年(天平5年)に出羽柵が庄内地方から秋田村高清水岡に移転したことにさかのぼりその後天…