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「でも、今日の夕方は、とても、うつくしい夕焼だったわ。夕焼は、明日いいお天気になるという証拠でしょう? きっと、お天気になりますわ。(後略)」 「相模曾我日記」と題して太田静子さんが付けていた日記帳は、彼女自身の手によって太宰治に渡され、太宰はこの日記をヒップホップ的な意味でサンプリングしつつ、傑作『斜陽』を書いた。『斜陽』出版後、太宰が死んだのちに、この日記は『斜陽日記』として世に出た。 読んで、とても面白かった。なんというか、太宰がいかに太田静子さんの文章を再現しつつ『斜陽』を書いたか、その再現力の高さに恐怖を覚えたりもした。そして、これは『斜陽』のクレジットに太田静子さんの名を加えるべき…
1、作品の概要 太宰治、晩年の名作。 1947年、刊行。 当時のベストセラーとなった。 得意とする女性の告白体で書かれている作品で、没落していく貴族を表して「斜陽族」という言葉を生み出し、社会現象となった。 自身のファンであった太田静子の日記を参考に書いたとされている。 太宰はこの女性と関係を持ち、後に女の子が生まれ、自身の名前を一字入れて治子と名付ける。 先日、公開した蜷川実花監督の映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』にも太田静子との出会いから、斜陽の執筆、私生児をめぐる泥沼のやり取りまでが描かれています。 hiro0706chang.hatenablog.com 2、あらすじ 父を亡くし…