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日本の病理「失敗しても責任を取らない(問われない)エリート」
日本の病理として「失敗しても責任を取らない(問われない)エリート」というものがある。大東亜戦争の陸海軍の高級将校がその典型だが、現在でも同じだ。財務省の御用学者は国民を10年以上緊縮財政で苦しめても責任を取らないし、問われないのである。異常である。これは日本の死に至る病だ。~~引用ここから~~三橋貴明『失敗しても責任を取らない日本のエリート層』株式会社経世論研究所講演・執筆依頼等、お仕事のご依頼はこちらから三橋貴明のツイッターはこちら人気ブログランキングに参加しています。チャンネルAJER更新しま…三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへblog」PoweredbyAmeba(略)なんかもう、日本人エリート層の特徴なのではないかと疑い始めていますが、「失敗している道を『同じ人間』が突き進み、失...日本の病理「失敗しても責任を取らない(問われない)エリート」
こんにちは。RIYOです。今回はこちらの作品です。 「死に至る病」とは絶望のことである。憂愁孤独の哲学者キェルケゴールは、絶望におちいった人間の心理を奥ふかいひだにまで分けいって考察する。読者はここに人間精神の柔軟な探索者、無類の人間通の手を感じるであろう。後にくる実存哲学への道をひらいた歴史的著作でもある。 セーレン・オービュ・キェルケゴール(1813-1855)はデンマークの思想家であり哲学者です。当時のゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルを中心とした理想主義の席巻は、宗教論にまで派生してデンマークの各教会にまで影響(ぐらつき)を与えるほどでした。これに対抗する思想を立ち上げてぶ…