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自由という言葉の響きが耳に心地よいために、‘自由’と名の付くものは全て‘素晴らしいもの’に違いないと思いがちです。それが不条理な束縛からの解放であれば、なおさらのことです。しかしながら、自由というものも深く掘り下げて考察しませんと、逆の結果が待っているケースもないわけではありません。その最たる事例が、自由貿易主義やグローバリズムではないかと思うのです。自由が不自由に逆転してしまう場合には、凡そ二つの形態が見られます。その第一は、国家や社会において自由というものが、特定の人、あるいは、一部の人々にのみ許される場合です。例えば、ヨーロッパの近世で多々見られた絶対王制とは、‘絶対(absolute)’のラテン語の語源が‘あらゆる束縛のない状態’、すなわち‘完全なる自由な状態’にありますので、君主一人に無制限な自...自由貿易主義という名の‘不自由’
先日、国際戦略研究所(IISS)の主催の下、シンガポールにて各国の首相や国防相が顔を揃える中で開催されたシャングリア・ダイアローグは、今日の国際社会が抱えている構造的な問題を浮き上がらせた点で、極めて‘意義’のある会合であったと言えましょう。平和や信頼醸成の構築という文脈での‘意義’ではなく、危険性、あるいは、建前に隠れた本音の認識という意味での‘意義’です。そして、この構造的問題とは、自由貿易主義がもたらす安全保障と経済との関係に出現する‘悪循環’というものなのでしょう。デヴィッド・リカードがその比較優位説のモデルにおいて完全に無視し、最適な国際分業への自然到達という‘ユートピア’を描いたためか、今日でも、現実に生じる貿易不均衡の問題については軽視される傾向があります。しかしながら、ブレトン・ウッズ体制...自由貿易主義と戦争ビジネス