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戦争が絶えなかった16世紀の時代状況を背景として、デイデリウス・エラスムスは、『平和の訴え』という著書において、身勝手で強欲な君主達を批判しつつ、人々に問いかけています。「悪魔どもは殺すものと殺されるものが同時に二重の犠牲となることをひどく嬉しがるものですが、キリスト教徒が捧げているのはまさにこの二重の犠牲なのではないでしょうか」と・・・。‘君主達’を各国政府、あるいは、その背後で操る世界権力に置き換え、‘キリスト教徒’を、「人命を尊重し、暴力を厭う精神性を備えた現代人」に置き変えて読みますと、この問いは、現代という時代にも十分に通じるように思えます。ウクライナ紛争に対するロシアの軍事介入に始まる一連の流れを追ってゆきますと、そこには、世界大に戦争を起こそうとする一つの意思が読み取れるように思えます。既に...戦争による二重の犠牲-悪魔を嬉しがらせてはならない