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利用者さんがドジャース対パドレスの試合を見ながら、昔を思い出したのか 利用者さん「俺が子供の頃に良く近所の人に連れて行かれて、後楽園球場に行ったよ。」 私「後楽園球場の側に、競輪場もありましたよ。」 利用者さん「子供だったから柄の悪いような人がいたのも覚えている。昭和だよな。」 私「昭和は長かったですね。」 利用者さん「長かったな。駒澤球場にも行ったよ。東映フライヤーズ対西鉄ライオンズの試合を見…
今週の詩は「後楽園球場」という詩です。先週の11日は、後楽園球場が開場した日がありました。東京ドームの前に巨人が主戦で使っていた球場です。その後楽園球場を書い…
早朝のラジオ深夜便が終わったあとの定番「今日は何の日」の紹介 近現代の今日起きた出来事の紹介がある。 身近に感じていた話題が二つも紹介された。 一つは、王選手が後楽園でハンクアーロンの記録
日本の音楽シーンにロックという楔(くさび)を打ち込んだ”ロックの申し子”【西城秀樹】
雷鳴轟く後楽園球場で秀樹が歌った「エピタフ」は、その雷鳴が奇跡の音響効果となったと現在も語り継がれている。秀樹が日本に上陸させたロックについて、きょうは語ろう。 トーク・イベント 音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集などで音楽に携わって来
通算本塁打3位の門田博光(南海、オリックス)、名捕手の岡村浩二(阪急、東映)、そして鈴木康二朗と、このところかつての名選手たちの訃報が続く。1977年9月3日、後楽園球場で巨人の王貞治が通算本塁打の世界記録となる756号を放ったが、相手投手はヤクルトの鈴木だった。あの日、高校の悪友たちと「今日あたり打ちそうな気がする」と思い立って、学校帰りに球場に行き、当日券でレフトスタンドに入ったのだった。第1打席はフルカウントからフォアボール。第2打席もフルカウントとなると、球場内には野次とブーイングが広がり、異様な雰囲気に包まれたが、鈴木が投球動作に入ると今度は一転して静かになった。そして運命の6球目を王がフルスイングし、打球は一直線にライトスタンドに飛び込んだ。その瞬間、雰囲気は一変し、歓声と叫び声と拍手が湧き上...「王に759号を打たれた投手」鈴木康二朗
【読売巨人軍ファン感謝デー】…1985年(昭和60年)11月23日勤労感謝の日にNPB(一般社団法人日本野球機構)日本プロ野球球団のセントラルリーグ読売巨人軍のファン感謝デーが開催された日です。読売ジャイアンツは法人としての名称読売巨人軍として呼称されることもあり、略称「ジャイアンツ」、「巨人」と略称されることもある。NPB傘下では最古の球団である。この年の読売巨人軍監督は王貞治さんが指揮を執る。セリーグの順位は3位...