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先日、和歌山県で発生した岸田首相襲撃事件は、実行犯として逮捕された木村隆二容疑者が黙秘を続けているため、様々な憶測が飛び交っています。その一方で、同事件は、思わぬ方向に波紋を広げているように思えます。本ブログでも述べたように、偽旗作戦や謀略の実在性が証明されている今日では、統一地方選挙にあって自民党が勝利を収めるための自作自演であった可能性も否定はできなくなります。現場の様子や政府の対応に既に準備されていたかのような不自然な点があったことに加え、現に、事件直後に低下傾向にあった岸田内閣への支持率が50%近くまで急上昇しました。世論調査の結果としながらも、岸田政権への国民の不満が渦巻く中での不自然な支持率上昇が、かえって茶番説を裏付けてしまった感さえあったのです。また、日本ファクトチェックセンターが突然に出...木村容疑者の問題提起の波紋
岸田首相によるウクライナへの電撃訪問を受けてか、ロシアのプーチン大統領は、ロシア国営テレビのインタビューにて米欧を第二次境大戦時の枢軸国に喩えたと報じられています。全体主義体制という観点から見れば、ロシアや中国の方が余程ナチス色が強いのですが、今日の世界は、まさしく真偽が逆さまとなる二重思考に染まっているように思えます。日本国もその例外ではないのかもしれません。二重思考を人々に強いるための具体的な手法とは、オーウェルの『1984年』におけるゴールドスタイン説明によれば、価値の先取りと言うことになります。この手法は、同作品が世に出る以前から、政治の世界では、国民を誘導したり、騙したりする方法として使われていたのかもしれません。例えば、マルクス主義も、平等や搾取なき社会の実現を掲げつつ、結局は、その真逆の世界...メビウスの輪作戦から読み解く岸田首相のウクライナ支援
web上のニュースを見ておりますと、しばしば目にするフレーズがあります。気付かれた方もおられると思うのですが、それは、王室・皇室並びに芸能人等に関する記事において散見されるのですが、多い時には毎日のように掲載されておりました。それは、‘○○の△△に、□□の声’というものです。例えば、‘××さんの装いに、賞賛の声’といった表現です。何故、こうした表現に違和感があるのかと申しますと、報道される以前の段階では、撮影者や周辺のほんの少数の人しか見ていないはずなのに、既に多くの‘賞賛の声’が寄せられているかのように報じているからです。時系列的に考えれば前後が逆であり、冷静になって考えてみれば、あり得ないのです。常々その不自然さを訝しく思っていたのですが、この奇妙な報道方法は、人々を二重思考へと誘導するテクニックの応...価値の‘先取り’こそ人々を騙す手法-二重思考への誘導
ジョージ・オーウェルが没してから既に70年を超える月日を経た今日、同氏の代表作である『1984年』は、再び脚光を浴びています。ITが発展し、‘政府の嘘’が露呈してきた現代という時代が、同作品に描かれているディストピアに酷似してきたからです。オーウェル自身は同書の出版も1984年をも待たずに47歳の若さでこの世を去ったものの、国民監視装置としてのテレスクリーンの発想などは何処に由来するのか、極めて興味深いところです。政治思想の観点から見ても、オーウェルの『1984年』は、貴重な作品であるように思えます。現代の政治理論家や政治思想家が面と向かっては書かなかった、あるいは、‘書けなかった’支配者の側の統治術が記述されているからです。今日にあっては、理論や思想を評価する場合、民主主義、自由主義、基本権の尊重といっ...‘二重思考’とは‘馬鹿の故事’の現代版であった
日本国の岸田文雄首相は、昨日11月17日にタイの首都バンコクにおいて中国の習近平国家主席と初の首脳会談を行ないました。今朝方、両首脳が‘核兵器の不使用で一致’とするニュースが速報として伝えられると共に、‘基本的考え方においても習主席と一致した’と報じられています。‘一致’という文字が並び、どこか、情報統制されている気配があるのですが(一致を使うように‘上部’から指令?)、この一致、無意味なのではないかと思うのです。例えば、‘核兵器の不使用で一致’という見出しを目にした多くの人々は、中国が、自らの核兵器不使用を決断したものと錯覚したかもしれません。しかしながら、同記事を読みますと、日中両首脳は、ロシアはウクライナに対して核兵器を使用すべきではない、とする見解において一致したのであって、中国が核の不使用を約束...無意味な日中首脳の‘一致’
ジョージ・オーウェルの作品、『1984年』を以て世に知られるようになった二重思考の起源は、おそらく前近代にまで遡るのでしょう。もしかしますと、人類が、コミュニケーションの手段として言葉を使うようになったその時から、他者を欺く偽りの言葉のみならず、他者に対する言葉による思考の強制は始まっていたのかもしれません。そして、こうした利己的、あるいは、傲慢な行為が多くの人々に不利益や損害をもたらしたり、精神的な苦痛を与えたからこそ、他者を騙す嘘や思考の強要は、道徳律や法律によって禁止されるに至ったのでしょう。『1984年』がディストピアと評されるのも、人類にとりまして、その世界が実現して欲しくないものであったからに他なりません。そして、半世紀以上も前に執筆されながら、オーウェルの作品が今日まで読み継がれてきた理由は...創価学会も二重思考?―平和は戦争なり
二重思考とは、ジョージ・オーウェルの作品、『1984年』に登場する、国家による思考統制の手法です。オーウェル自身の説明に依れば、「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」ということになります。近代以降に誕生した全体主義国家を観察しますと、まさに『1984年』に登場する「党」が掲げる三つのスローガン、即ち、“戦争は平和なり”“自由は隷従なり”“無知は力なり”を地でいっているかのようです。そして、今日なおも、人類は、二重思考の脅威にさらされているように思えます。全体主義国家において‘戦争は平和なり’という二重思考が必要とされる理由は、戦争は、国内体制と密接に結びつくからです。ソ連邦にあって、スターリンが自らの独裁的な地位を固め、全国民を徹底した監視下に置く全体...二重思考から全体主義を読み解く-現在の危機