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聖典の民には、しばしば原理主義者が出現する傾向があります。イスラム原理主義者をはじめ、キリスト教原理主義者、そして、シオニストを含むユダヤ教原理主義者も・・・。原理主義者とは、聖典の記述をそのまま信じ、今日において忠実にそれを実行しようとする人々です。聖典に記された全知全能の神の言葉は絶対であるとみなしますので、聖書の記述に違うことを行なえば、それは、神に対する背信行為である考えるのです。聖典の記述が普遍性のある道徳律の啓示であったり、その全てが過去の出来事の記述であれば、現代における負の影響は深刻に懸念するほどではなかったかも知れません。ところが、聖典には、未来に関する記述が含まれているという問題があります。『新約聖書』の最後に記されている「黙示録」の内容は、誰もが読んだり、耳にはしたことがあるはずです...イスラエルがアブラハムに倣うなら
選民、それは、文字通りに解釈すれば、神に選ばれた民を意味します。数多ある民族の中から敢えて神が選んだのですから、選ばれた民族は、自らを特別な存在として誇ることでしょう。優越感に浸ると言うこともあるのでしょうが、選民思想には、解きがたい自己矛盾が潜んでいるように思えます。選民思想にも、アドルフ・ヒトラーが唱えた‘アーリア民族優越主義’などもあるのですが、とりわけよく知られているのが、ユダヤ人の選民思想です。『旧約聖書』の記述を根拠として、ユダヤ人は、古来、自らを神から選ばれた民として自認してきました。今日、イスラエルがパレスチナ人を迫害し、その地を奪おうとしているのも、その根底には選民思想があってのことなのでしょう。また、アメリカの福音派のように、聖書の一文一句を絶対視して信仰の対象とする故に、イスラエルを...選民思想の自己矛盾―神の評価基準とは?