メインカテゴリーを選択しなおす
聖典の民には、しばしば原理主義者が出現する傾向があります。イスラム原理主義者をはじめ、キリスト教原理主義者、そして、シオニストを含むユダヤ教原理主義者も・・・。原理主義者とは、聖典の記述をそのまま信じ、今日において忠実にそれを実行しようとする人々です。聖典に記された全知全能の神の言葉は絶対であるとみなしますので、聖書の記述に違うことを行なえば、それは、神に対する背信行為である考えるのです。聖典の記述が普遍性のある道徳律の啓示であったり、その全てが過去の出来事の記述であれば、現代における負の影響は深刻に懸念するほどではなかったかも知れません。ところが、聖典には、未来に関する記述が含まれているという問題があります。『新約聖書』の最後に記されている「黙示録」の内容は、誰もが読んだり、耳にはしたことがあるはずです...イスラエルがアブラハムに倣うなら
『旧約聖書』の『創世記』には、神とアブラハムとの契約が記されています。その一つは、「わたしはわたしの契約を君と君の後の代々の子孫との間に、永遠の契約として立てる。それは君と君の後の子孫に対して神たらんためである。わたしは君とその後の子孫に、君が今やどっているカナンの全地を、永遠の所有として与える。わたしは彼らの神たらんとするのである。(『創世記』第17章)」という下りです。それでは、この記述は、人類史に照らしますと、どのように解釈できるのでしょうか。上記の内容を要約しますと、‘アブラハム系諸民族が’神‘を唯一神として崇拝するのと引き換えに、‘神’は、アブラハム系の諸民族を増やすと共にカナンの地を与える、というものです。永遠の契約ともされますが、この契約も、アブラハムが生きた時代の人類の願望が投影されている...‘約束の地’を人類史的に解釈する
『旧約聖書』の記述は、しばしば権力や権威の正統性の問題と結びつくため、現代という時代に至るまで少なくない影響を与えてきました。とりわけ、『創世記』では、ウルの地に住っていたアブラハムを神がカナンの地に連れ出すという物語が記されており、アブラハムはユダヤ人にとりましては特別な存在です。このため、ユダヤ教原理主義者やキリスト教原理主義者の中には、アブラハムの血脈に君主の地位の正統性を求める人々も現れることとなったのです。こうしたアブラハム正統説、並びに、シオニスト達のカナンを神授とする主張の根拠となったのは、『創世記』18の第17章に見られる以下の文章です。重要な文章ですので、長くはなりますが以下に掲載します。「「わたしは全能の神である。君はわたしの前に歩み全かれわたしは君との間にわたしの契約を与える。わたし...アブラハムの子孫問題―聖典の解釈リスク
イスラエル・ハマス戦争を引き起こしたネタニヤフ首相は、明白なる国際法違反であることを知りながら、あくまでも大イスラエル主義を貫く模様です。犯罪国家の汚名をものともせず、自らの“理想”を求めて暴走する同首相の背景には、シオニスムを含むユダヤ教原理主義があることは疑い得ません。ネタニヤフ首相にとっては、如何なるイスラエルの蛮行も、カナンの地をユダヤ人に与えた神の言葉の実行に過ぎないのです。同首相は、自らこそ神の忠実なる僕として自負していることでしょう。しかしながら、宗教的信念は、犯罪を合法化することはできるのでしょうか。答えは、否、に決まっています。宗教に関する教科書的な説明に依れば、同じく一神教であっても、ユダヤ教は、ユダヤ人固有の宗教であり、‘ユダヤ人’という民族的な殻を脱して普遍化したのがキリスト教とさ...‘神が与えた土地’では全人類が納得しない
アドベント(待降節)である。イエス・キリストの降誕を祝うクリスマス(降誕節)を待ち望み、心備える期間だ。この時期によく歌われる賛美歌のひとつに「わがこころは」がある。(『讃美歌(1954)』95番、『新聖歌』67番。)ルカ1:46~55のいわゆる「マリアの賛歌」を歌ったものだ。 私はこの5節が好きである。「アブラハムの すえをとわに かえりみ イスラエルを 忘れまさで 救いたもう と…
アドベント(待降節)の時期に入っている。イエスの降誕を祝うクリスマスを前にして、心備える期間である。 多くの教会の礼拝説教や、聖書通読誌のプログラムでは、キリストの降誕にまつわる聖書箇所が読まれる。その中でよく取り上げられる箇所のひとつが、マタイの福音書冒頭の「イエスの系図」だ。一見ややこしい片仮名の名前の羅列のようで、苦手に思う人も多いが、この箇所にも神からの色…
Y牧師 昨日、夕方にY牧師が急遽奥様とご一緒に自分の働く職場に来られることになった。勿論私に会うために来られるわけではなく他のご用があっての来訪であるが急に晴れ晴れとした気持ちになった。かつて教育現場にいた時にチャプレンとしてご奉仕されてい
旧約聖書の中の「信仰の父」と呼ばれるアブラハム。 新年聖会のメッセージの中で、「アブラハムは何かしたでしょうか?」と問われました。 「アブラハムのように祝…
1月9日(月・祝)新年聖会へ行ってきました。 若い頃から新年聖会と夏の聖会へは特別な事情のない限り、聖書のみことばを聞くために参加するようにしています。 昨…
みなさん、こんにちは。 今回から「日猶同祖論」にも触れてみたいと思います。 これもうカオスと言いますか「諸説紛紛」「議論百出」です。 そもそも「諸説粉粉」の一つの理由は「日猶
忍耐 テキストを用いた聖書研究で「忍耐」ということを学んだ。特に試練の渦中での忍耐ということを学んだ。神様からの応答が遅く、ダビデ王も 「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。いつまで、御顔をわたしに隠されるので
前回は、「モアブ人とアンモン人との戦い」、「エリコの戦い」について、旧約聖書の記述をもとに書かせていただいた。この2つの戦いは「神の戦い」だった。しかし旧約聖…
みなさん、こんにちは。昨日の畑の手入れで、今朝起きたら、多少疲れ気味でした。パソコンの前でボーッとしながらこの画像を見てました。 これはヤコブの腰から出た男の子一覧表です。 「あ〜これはお母さんごとに、まとめ