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ローマやヴェネチアよりも、私はフィレンツェの町を歩くのが好きだ。ローマには、ローマ帝国の威容を誇る巨大な建造物が多いし、遺跡群も規模が大きい。そのためか生活の匂いがするようなおもしろい街角や広場を見つけることがややむづかしい。哲学者ベンヤミンも、ローマよりもパリの室内の感覚にも触れることができるパサージュのほうを好んでいる。ヴェネチアはどうか。確かに素晴らしい。でも、ヴィスコンティ監督の名画「ヴェニスに死す」から受けた印象が強く、その余韻がまだ消えないでいるので、私のヴェネチアには、19世紀末豪華ホテルの時間が止まったような爛熟した雰囲気がたちこめている。有名なサン・マルコ大聖堂も重々しく、権…
『ラスト・ストーリーズ』(ウィリアム・トレヴァー、訳=栩木伸明、国書刊行会)
『Last Stories』(William Trevor、2018)本書にはアイルランドの国民的作家であるトレヴァー(1928~2016)が最後の約10...
スクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ/イタリア)〈パドヴァの14世紀フレスコ作品群〉
旅アルバム「世界遺産」71 イタリア スクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ/イタリア)〈パドヴァの14世紀フレスコ作品群〉Cappella degli Scr…
「最後の審判/ジョット・ディ・ボンドーネ」と「公正世界仮説」
公正世界仮説(こうせいせかいかせつ、just-world hypothesis) または公正世界誤謬(こうせいせかいごびゅう、just-world fallacy)とは、 人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、 と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。 ―― ウィキ/公正世界仮説ある現実、例えば、世界は不公正であるという事実、それに対抗するもうひとつの現実を見出すものは、もうひとつの現実を構成させる視点だ。その視点は、死後...