~研修会に参加したら変な顔されました~ うらやましいほどの結束力です。遺跡発掘調査に従事するプロパーと呼ばれる専門職員たちは互いに仲が良いです。 県だけでなく、いくつかの市町村にも一人ぐらいずつプロパーが配置されています。彼らは県や市町村の行政職ですが、他の種類の課に行くことがなく常に遺跡調査の仕事をしているのだそうです。 よく電話で連絡を取り合ったり、新しい情報の交換を楽しそうにしています。新潟...
歴史の人物エッセイ集です。歴史と基本的人権を融合し、人間の生き方の指針を探していきます。
上から目線でなく、一般民衆の立場から、自由・平等を中心とする基本的人権の獲得を中心テーマにしました。歴史を見る視点を変えることによって、自由で心豊かに生き、差別意識から解放される人が一人でも増えることを願って書きました。
~研修会に参加したら変な顔されました~ うらやましいほどの結束力です。遺跡発掘調査に従事するプロパーと呼ばれる専門職員たちは互いに仲が良いです。 県だけでなく、いくつかの市町村にも一人ぐらいずつプロパーが配置されています。彼らは県や市町村の行政職ですが、他の種類の課に行くことがなく常に遺跡調査の仕事をしているのだそうです。 よく電話で連絡を取り合ったり、新しい情報の交換を楽しそうにしています。新潟...
~研修会に参加したら変な顔されました~ うらやましいほどの結束力です。遺跡発掘調査に従事するプロパーと呼ばれる専門職員たちは互いに仲が良いです。 県だけでなく、いくつかの市町村にも一人ぐらいずつプロパーが配置されています。彼らは県や市町村の行政職ですが、他の種類の課に行くことがなく常に遺跡調査の仕事をしているのだそうです。 よく電話で連絡を取り合ったり、新しい情報の交換を楽しそうにしています。新潟...
~教員なんていらねえんだよ。命令ばっかりする人たちだからな~ 今となってはたくさんのことを教えていただき、彼には本当に感謝しています。しかし当時僕を含めた教員たちは苦しい立場でした。 事実上の上司である木村さん(仮名)から突きつけられたこの一言はきつかったです。偏見と職業差別です。 僕は長い教員生活の中で、3年間だけ行政職として遺跡の発掘調査員をやったことがあります。 この時に突きつけられた言葉で...
~先生、お母さんがA高校を受けさせてくれない~ 12月だったでしょうか。夜電話がかかってきて、泣きながらいきなり冒頭の言葉がとびだしてきました。相手は僕が学級担任をしていたC中学校の3年生女子生徒、花子さん(仮名)。 彼女はA高校を受験したいのですが、母親はB高校を受験しろと言って譲りません。親子ゲンカになってしまったのですね。 思いあまった花子さんは、担任の自宅にSOSの電話をかけてきたのです。...
~「まだ早い、集落のことについてはオレの方が先生だ」~ 年配の田辺さん(仮名)から見下されて、いきなり突きつけられた言葉です。歓迎されると思っていたのに、これには少しショックでした。 僕が居住している集落は、わずか30数軒という小規模で閉鎖的なところもあります。集落全体を対象とした自治会は存在しますが、そのほか任意入会の有志の団体がいくつか存在します。 僕が入会した田辺会(仮名)はその中の一つでし...
~教頭が部下を連れて校長宅へ初詣で~ 2回ありました。新年会という名の典型的なおべっかの会ですね。Ⅾ中学校に勤務していたときのことです。冬休み中の1月早々、教頭から声がかかりました。 「校長の家へ行こうぜ」・・・僕を含めて5~6人の教諭が誘われました。冬休み中のお正月です。教頭には日頃からお世話になっていたので、正装してお付き合いをすることにしました。 結構楽しく飲むことができました。でも今から思...
~賞状伝達。生徒をステージ下に降壇させてから礼~ 僕が平成初期に勤めていたⅮ中学校では、全校朝会のときに珍しい風景が見られました。 新潟県の多くの小中高では、賞状伝達のときには礼をしながらステージ上で校長から賞状等を受け取ります。そしてその場で回れ右をして、全校生徒にも礼をして降壇します。 ところが、回れ右をさせない校長が山田さん(仮名)でした。左向け左です。生徒たちはそのまま左から降壇して下のフ...
~誰も読まない自費出版の本を売りさばかさせる退職校長~ 「大川原さん、本1冊買ってくれんかのう?」・・・「えっ?どれですか」・・・そこには本を十数冊抱えた教頭が立っていました。 僕が平成初期に勤めていたⅮ中学校の男子更衣室での出来事です。 本の題名は「これからの○○教育」。教員向けのものでしょう。手に取って少しページをめくってみました。著者名を見てピンときました。僕も知っていた退職校長の名前だったから...
~「第11代校長○○」・・・退職後に自分を囲む会を半強制~ 「第〇代はいらんだろう・・・」職員たちの声です。僕も違和感を覚えました。多くの学校の式典では校長挨拶があります。 挨拶の最後のところで、普通自分の名前の前に職名はつけても「第〇代」はつけません。中山さん(仮名)はあえて意気揚々と大きな声でこれをつけたのです。 僕が過去に勤めていたC中学校の、第何十周年か忘れましたが記念式典での出来事でした。た...
~教育集会所での研修後・・・「そんなこと言ったって・・・」~ 教育集会所というのは、僕が勤めていたC中学校の学区内にあります。被差別部落の人々が、集会所として使用していた公会堂の名称です。 同和教育の職員研修として被差別部落に足を運びました。当事者の方々から、直接部落問題を差別の現実から学ぼうとしたのです。フィールドワークもやって、驚くことばかりでした。 差別は今でも厳然として存在することにやっと...
~初めて会った被差別部落の人・・・「どこかちがうのではないか」~ 正直、率直な感想です。というより偏見です。僕が初めて被差別部落出身者として認識した人は長田さん(仮名)という女性でした。同和教育の職員研修で、講師として招かれていました。 僕が過去に勤めたC中学校でのことです。彼女は堂々と、ご自分が被差別部落出身であることを宣言し、解放運動を行っていました。 被差別の当事者としての体験を具体的に語り...
~「おい、同和問題はないだろうな」・・・「ねえよ」~ 今は亡き実父と息子である僕の会話です。20代の後半でした。婚約したことを両親に告げた数日後、父親がこっそりと小声で発した言葉です。つまり、こういうことです。 「おまえの結婚相手は被差別部落の女ではないだろうな。であれば反対するぞ」・・・「ちがう。それにしても面倒なことにならなくて良かった」この会話は、いったい何なのでしょう。 結論を先に言えば、...
~体罰・・・修学旅行で正座 スリッパはたき~ 「愛のムチ」という言葉で正当化されてしまった行為ではないでしょうか。 相手は僕が勤めていたB中学校の3年生。学級担任をしていた自分のクラスの男子生徒全員でした。20人ほどいたでしょうか。場所は修学旅行で宿泊していた京都の旅館。 時間は夜中の12時ごろです。大声で騒いでいる生徒たちを全員廊下に出して正座させました。そしてスリッパでパンパンと全員の頭をはた...
~体罰・・・両親の目の前で子どもにビンタ~ こともあろうに、やってしまいました。お詫びしなければいけません。僕が担任していた男子生徒で村田さん(仮名)と言います。 事の発端は万引きと、自分の家の親の財布から継続的にお金を盗み続けていたことです。問題行動が他にもいくつかあり、それらの中からこの事実が発覚したのです。 学級担任として責任を感じ、家庭訪問をして生活指導をすることになりました。冒頭のビンタ...
~前校長宅詣で~・・・「お前それだけやれ」・・・ 初対面の僕にいきなり突き付けられた言葉です。相手は3月に定年退職したばかりのB中学校の前校長。僕は4月に赴任したばかりの経験不足の未熟な若い教員。 1年生の学級担任と、他の4クラスほどの社会科の教科担任。柔道部の顧問と生徒会活動やPTA活動の一部も担当していました。 彼が言った 「それ」とは、柔道部の顧問を指しているのです。単刀直入の言葉に違和感を覚え...
~3年たってやっと○○会を退会、ハンコをついた~ 「大川原さん、何で○○会やめたね?」・・・校長はそう言いながらハンコを付いてくれました。(えっ?今ごろハンコ?)口には出しませんでしたが、僕は心の中で驚いてしまいました。 やめたのは3年前。前任校に勤務していたときだったからです。前任校の校長とは口約束だけだったのです。 つまり僕はこの3年間、何も活動してないのに、高い会費だけ給料天引きで延々と支払わさ...
~お前は先輩の言うことを聞かん~ 昭和末期に勤めていたB中学校でのことでした。生徒会活動の一つとして、僕は応援団という委員会の担当顧問をしていました。 当時の新潟県の多くの中学校では応援活動が盛んにおこなわれていたのです。特に陸上競技の市内大会になると「全校応援」と言って、全校生徒を競技場へ引率して応援活動をしました。 もちろん授業は全部つぶします。各校が一堂に会するわけですから、嫌でもお互いに目...
~カン違いの校長が週3回の全校朝会とボーナス渡し~ 「これって変ですよね」・・・僕が勤めていたA中学校の教職員たちの会話です。 「これ」とは一体何でしょうか。 答えは12月のボーナスを校長が数十人いる職員一人一人に声をかけながら手渡して与えたという事実です。僕も深々と頭を下げながらいただきました。 この出来事は後にも先にもこの時1回だけでした。矛盾はどこにあるのか。そもそも新潟県の公立学校の給料や...
~体罰に対して 「先生いいよ、オレが悪い」~ 中学3年生の男子生徒でした。名前は忘れてしまいましたが、ある冬の日の放課後、事件が発生しました。 彼は体育館で長靴、つまり土足を履いたまま、バスケットボールを乱暴に蹴って遊んでいたのです。その姿に僕はカッとなり、平手で強烈なビンタを食らわせてしまったのです。 「しまった」・・・思わず 「おい、大丈夫か?」と声を掛けました。体罰です。これは明らかにやりす...
~臨時職員を見下したために食らった痛い一撃~ 「・・・しなさいとは何だ‼」・・・突然怒鳴られてしまいました。強烈な一撃です。一緒に夕食を食べていたときのことでした。 相手は同じA中学校に同僚として勤務していた本田さん(仮名)です。即座に謝りましたが、まさか怒鳴られるとは思っていませんでした。 僕と彼は同い年。特に親しい友人でもありませんでしたが、同じ職場で同じような悩みや不満を持っていたので話がよく...
~○○会なんて新潟県教育界のガンだ、やめます~ 「何をバカ言ってんだ。校長に話をしろ」・・・勤務校の教頭から浴びせられた強烈な一言です。僕が「やめます」と言った理由は、次の事実によるものです。 まだ週休二日制が実施されていなかった頃、土曜日も半日勤務で3時間の授業がありました。午後は全校の大半の生徒が元気よく部活動をしていました。 その午後に○○会は堂々と飲み会を開くというのです。多くの生徒が活動中で...
~教務が年度途中で教頭に~ 囲む会で胴上げ・・・? 「出なければよかった」・・・同調圧力に負けて参加した飲み会です。高い会費と貴重な自由時間を失いました。11月頃だったでしょうか。 僕が勤務していた同僚の研究主任、原山さん(仮名)からの呼びかけです。「教務主任の桑山さん(仮名)がこのたび教頭先生になられます。 祝賀と激励の会を開きますので、希望される方はぜひご参加ください」朝の職員朝会でのことで...
第3章 昭和末期 3 社会的身分差別(1) クリスティーナ女王
~指導主事の見送り強制~ 「そういうもんだ」・・・? 僕が今まで勤めたことのある学校はどこへ行ってもそうですが、教職員の飲み会は本当に多かったです。何か行事があるたびに、やれ反省会だ、やれ激励会だ、などという具合です。 年に少なくとも10回以上、多ければ20回前後にもなります。どの学校も参加して当然という雰囲気があり、飲み会を休むなどということは何か特別な事情があるときだけでした。 自分の意志で...
~2種類の生徒の発言 「すげー」と「三流」~ 「先生どこの大学出たの?」僕が過去に勤めたA中学校の1年生の質問です。僕の返答に対する反応で、前者は加藤さん(仮名)、後者は須藤さん(仮名)という男子生徒でした。 言い方を変えてみましょう。前者は「あなたは立派な学歴をもっていますね」となります。後者は「あなたは三流の学歴しか持っていませんね」ということですね。 見事なほど対称的な生徒たちの反応でした。...
~学校要覧に職員の出身大学名を記載~ 学校要覧は保護者や地域の方々にわかりやすく紹介するために多くの学校で作成・発行されています。 年間の授業、学校行事、生徒会活動、部活動など、その学校の良さ、特徴が写真や文章で表現されています。これから進学しようとしている生徒たちには必見のものですね。 それぞれの学校ごとに創意工夫されています。校舎の写真や校長の挨拶分などはたいていの学校要覧には掲載されています...
~偉いと思っていた生徒会役員バッジ~ 「生徒会だとよ、バカかあいつ」 名古屋の地下鉄に乗って、下校しているときに僕の耳に小さな声で飛び込んできた言葉です。高校1年のときでした。 右斜め向かいの反対側の席に座っていた顔も名前も知らない他校の生徒2人のひそひそ話でした。 自分が座っていた座席との間は3メートルほどありましたが、僕のことを噂して放った言葉であることは一目瞭然です。 制服の左えりのところに...
~上京した甥に東京をいばる知り合いの叔父~ 「うちの叔父さん、東京のこといばるんだよな」…大学進学の為に、北海道から上京した知り合いの黒田さん(仮名)のぼやきです。東京はすごい都会だろう、北海道は問題にならない。 言外にこのような差別意識が感じられたのでしょう。彼の親戚ということで下宿も紹介してもらっていました。 お世話になったとはいうものの、この叔父と甥の会話はそれほど楽しいものではなかったよ...
~「家は○○です。田舎者ですがよろしくお願いします」~ ○○というのは名古屋の近くにある人口10万前後の都市の一つです。中学校の同級生の一人である大山さん(仮名)という女子生徒の自己紹介で発せられた言葉です。 新しいクラスがスタートすると、大抵どこの学校でも自己紹介をしますね。冒頭の言葉は最初の学活のときに発せられた彼女のものです。 そのときの学級担任はすかさず 「〇〇は田舎ではない」 と一言だけ言い...
~「自分の子どもに知能テストの練習をさせた大学教授」~ 大学2年の時でした。僕は中学校と高校の社会科教員の免許状取得をめざして、専門科目と一般教養以外の単位になる教職課程の授業を受講しました。 その数ある授業の中の1科目を担当していた教授が、ある日の授業中にこんなことを言いました。 「私の子どもが学校で知能テストを受ける前に、自宅で子どもに知能テストの練習をさせたら、後日学校ですごく高い数値の成績...
~「名古屋駅で絶交した友人の一人」~ 高校時代に仲良くしていた大切な友人を一人失ってしまいました。 江田君(仮名)は高校1年のときの同級生です。2・3年になってクラスは分かれても仲良く付き合い卒業後までしばらく続きました。 当時の友人4人の中の一人で、江田君とは共通点がいくつかありました。 学校と名古屋駅との間の通学ルートが同じで、ともに在学していたA高校は、僕も彼も第一希望で入学したわけではあり...
~「卒業後、人に出身校名を言えるような大学に入れ」~ どなただったか忘れてしまいましたが、僕が19歳のときに通っていた予備校の先生の言葉です。 授業中にこの言葉を発した本人の名は忘れても、言葉そのものだけは数十年たった今でもはっきりと覚えています。当時の僕自身がこの意識にとらわれていたからですね。 浪人生として痛い目にあいながらも、希望校めざして日々学習に励んでいる生徒たちを励ましたつもりだったし...
~「私の分身がC高校にいる」~ ・・・・・? まるで、サスペンスドラマかアニメに出てきそうな言葉ですね。 僕が高校生のときです。中学時代の複数の同級生たちから、同じクラスだった、山村さん(仮名)という女子生徒の言葉として伝わってきました。 推測の域は出ませんが、当時の状況を総合的に考えると事実であった可能性が濃厚だと思います。C高校は当時の愛知県でも有名な進学校の一つ。 そこに行けなかった彼女は被...
~「女子の制服は差別の象徴!」~ ・・・・・? 僕が高校1年のとき、近くのB高校に通う杉田さん(仮名)という女子生徒の言葉です。 今から思うと結構な美少女だったと記憶しています。あるとき突然、彼女の口からこの言葉が出てきたのです。 僕は唖然としてしまいました。推測の域は出ませんが、おそらく杉田さんもB高校に自身の第一希望で入学してはいないのだと思います。 だとすれば、典型的な学歴差別であり自分差別...
~「A校に生きA校に死す」 「こんなところで死ねるか」~ 僕が高校1年の時、同校の知り合い2人が冗談交じりに交わした会話です。前者は山田さん(仮名)で後者は川上さん(仮名)です。 2人とも僕より1つ年上の高校2年生でした。山田さんは第一希望で入学してきた生徒です。川上さんは第二希望での入学でした。 だからこのような言葉が出てきたわけですね。山田さんは自分が通う学校に誇りをもっています。だから生き生...
~「お前らは〇〇に感謝するべきだ。でないと今頃は・・・」~ 感謝と恨みが相半ばする個性的な恩師がいました。僕が高校2年のときでした。 まず感謝です。「宗教」という教科の担当で山本先生(仮名)という方でした。彼の授業は言葉に癖がありましたがわかりやすく、世界のさまざまな宗教を幅広く公正に教えていただきました。 いろいろな宗教の良さ、特性を知ることができ、その中には今でも役に立っていることがたくさんあ...
~「追いつけ、追い越せ」 「私が勤めていた○○高校」~ 口ぐせのように何度も聞かされた言葉です。僕が高校1年生のときの教科担当の先生のお一人でした。 授業は上手とは言えませんが、結構楽しくて人気もありました。彼は前任校である○○高校から、僕たちが在学していた第一高校(仮称)に赴任してきたのです。 つまり、君たちの多くは第2、第3希望として入学してきたので第1希望の学校の生徒より学力が劣る。だから 「追...
第2章 昭和後期 5 学歴差別(5) ヨハン・ベートーヴェン
~第1、第2希望校だった高校の教科書~ 当時は違いましたが、今は逆転しました。母校の高校に心から感謝します。 自分自身の性格や学力実態に最も合った適切な進路であり、現在も生活や仕事で生かされていることがいくつもあります。 15歳当時の僕はそうではありませんでした。進学した第一高校(仮称)は僕の第3希望だったからです。 結論を先に言えば、この15歳の僕は学歴差別の意識から解放されていなかったため...
~聞きもしないのに 「おかげさまでS大に合格」~ 僕が高校2年生の時だったでしょうか。全校集会の話はほとんど忘れているのに、数少なく覚えている一言があります。 「おかげさまでS大に合格しましたけれども・・・」 S大学というのはいわゆる受験の難関校の一つです。当時の同級生や同学年の生徒の中で、ここに合格できる学力のありそうな人は極めて少数でした。 もちろん、僕も問題外でした。話をしていたのは田辺さ...
第2章 昭和後期 3 学歴差別(3) フリードリヒ・ヴィーク
~キセル乗車を学校名から許した~ 僕が通っていた中学校は、当時の自宅からバスを乗り継いで1時間。電車とバスを乗り継ぐルートだと1時間半もかかってしまいました。普段は前者で通学していましたが、後者の方は遠回りになるけれど名古屋の繁華街を通るため、たまに利用することがありました。同窓生の松田さん(仮名)は比較的自宅が僕と近い生徒の一人です。通学ルートが似ているため、よく一緒にバスや電車に乗りました。 ...
~大学合格者氏名を新聞が発表~ 今では皆無になりました。大学合格者の氏名を全員新聞記事で発表していたのです。 僕が中学生、高校生だった昭和時代後期のことです。当時は当たり前のように、3月になると大学名、学部学科名、氏名が新聞記事を賑わしていました。 同じ氏名の人が何か所も出ていることも珍しくありませんでした。でも21世紀になった今は、そのようなことをやる新聞社は見当たりません。 この事実の背景には...
~制服の色が違う特別な中学校~ 自分から進んで受けたわけではありませんが、僕は中学受験をしたことがあります。親が勧めるままに2つの特色ある中学校を受験することになりました。 今から思えば、その手続きに小学校の担任は大変だったことでしょう。学区内の中学校に普通に進学していれば、しなくてもよい仕事を作ってしまったからです。 2校とも自宅からバスを乗り継いで、通学に約1時間かかるところにありました。中学...
~小学校卒業後大学までの進学先を公開~ 小学校6年生のときでした。担任から突然声がかかりました。「大きな船に乗って名古屋から神戸まで行く体験学習に参加しないか」 当時の僕は、飛行機には興味をもっていましたが船はそれほどでもなかったのです。だから難色を示しながら即座にOKの返事は出せませんでした。 東海海洋体験学習(仮名)という催し物でした。結局家庭での父の強い勧めもあり、翌日になって参加の意思を担...
~僕につけられた嫌なあだ名~ 「ウマ」と「エッチ」僕が小学校のときにつけられた2つのあだ名です。どちらもあまり格好よくないですね。今だからこそ笑って蹴とばせるけれど、小学生だった当時の僕は真剣に悩みました。 テレビの影響でしょう。「てなもんや三度笠」というおもしろい番組の主演俳優が藤田まことでした。彼は顔が少し長く、馬ずらが笑いの種になっていたのです。僕も人よりは少しだけ顔が長かったようです。だか...
~大都市に住む優越感~ 僕はこれまでの間、東京や名古屋などの大都市、地方の中小都市、そして人口わずか数千人の農村などに、進学や就職に伴って次々に移り住んできました。その中で出会った知人の一人に白川さん(仮名)がいます。 彼は北海道から、大学進学のために上京していたのです。埼玉県に住む叔父に下宿を紹介してもらったりしながら、他にもいろいろお世話になっていたそうです。 ところが、彼の口からはこんなボヤ...
第1章 昭和中期 8 地域差別(1) 謝花昇(じゃはなのぼる)
~名古屋弁はいかんで~ 僕は名古屋生まれなので、小さいときからごく普通に使ってきた言葉です。だから親しみを感じます。 ところが他県出身の知人、大原さん(仮名)の言葉です。 「・・・・だがや」 「がや、はいかんで」 名古屋弁という一つの方言を悪い言葉と決めつけた発言です。 そういう彼自身もかなりなまった方言を使っていました。その方言は良いというのです。 自分の価値観に凝り固まった偏見がなせる業です...
~○○町はいかんで、あいつら朝鮮だ~ 「弥生町(仮名)の子とは遊ぶな、弥生町の方へは行くな」「一緒に仕事をしたが、あいつら飯の時間になると真っ先に走っていく」「そんな辛いものばっかり食べてると朝鮮と同じだ」 差別意識が言葉になって現れてきていますね。残念ながら、僕の小学校時代はこのような言葉が、日常茶飯事のように飛び交っていました。 この差別的な環境の中で、僕は自然に 「そうなのかな」 と思ってしま...
~女は運動も勉強も劣る?~ 「女はだめなんだ、勉強も運動も男より劣る」 今こんなことを言えば、即座にバッシングの嵐になります。明らかな差別者の言葉ですね。 僕が小学生のときにお世話になった学級担任の一人、前田さん(仮名)の言葉です。何の時間だったか思い出せませんが、授業中だったと思います。 当時の同級生の女子生徒たちは、どんな思いでこの言葉を聞いていたのでしょうか。 男子生徒だった僕は「ふーん、そ...
~小学校時代に横行していた体罰~ 僕は小学生のときの6年間、5人の学級担任と出会うことができました。みんなそれぞれ個性のある熱心な先生方だったと思います。 ただ、この中で体罰の記憶がないのはお一人だけ。あとの4人は、みんな体罰をしていたのをよく覚えています。今から思えば信じられないような教育環境ですね。 たぶん、僕が在学していた学校だけでなく、全国的にこの傾向があったのだと思います。生徒にゲンコツ...
~なぜ学級委員バッジがあったのか~ 直径2センチくらいの桜の形をした金属製のバッジでした。僕が在学していた名古屋市立高山小学校(仮名)では、各学級の学級委員男女に、日ごろから常にバッジをつけさせていました。学級委員とは、各クラスの選挙で選ばれた代表です。学校によっては級長、代議員など、さまざまな呼び方がありました。僕は小学校6年間の在学のうち、5回もこの学級委員バッジをつけていたのです。 これって...
~土人とだっこちゃん~ 「土人」 (どじん) という言葉をご存知でしょうか。今ではほとんど使われなくなりましたが、僕が小学生のときは当たり前のように使われていました。 本来は土着の人、先住民などという意味の言葉です。しかしそこから転じて、特に黒人に対して野蛮人、未開の人、無礼者などのマイナスのイメージが色濃く反映していたことも事実です。 こうなると差別用語ですね。マスコミも使用を控えています。日...
~日本はほとんど戦争に負けたことがない~ 小学生の時でした。同級生の一人で山崎君(仮名)という生徒がいました。 彼は歴史が大好きな少年で、よく歴史年表を見ていました。 教室には長くて大きな、常に掲示されている歴史年表があったのです。 まだ歴史を学んだことがなかった僕は、不思議そうに眺めていたのでした。「これはいったい、何だろう」 この無知な僕に、初めて歴史の講義をしてくれたのは彼でした。「日本は、ほと...
~道で偶然出会った白人~ 「わっ!白い人形がしゃべりながら歩いている。気持ち悪いなあ」僕が幼年時代に、初めて白人に遭遇した時の正直な気持ちです。 当時住んでいたところは名古屋。自宅のすぐ近くの道端でのでき事でした。「こんな人間がいるわけがない」 とも思いました。 あまりの驚きに、僕はしばらくの間声も出ず、じっと彼女らを観察していました。金髪の若い女性2人です。その時の結論です。 「やっぱり人形じ...
第5集 差別意識からの解放「現代編」 目 次はじめに第1章 昭和中期1 外国人差別(1) ペテロ ~道で偶然出会った白人~2 外国人差別(2) アインシュタイン ~日本はほとんど戦争に負けたことがない?~3 人種差別 キング牧師 ~土人とだっこちゃん~4 社会的身分差別(1)山県有朋 ...
第5集 差別意識からの解放「現代編」はじめに 差別意識とは、一言でいうと 「人を見下す意識」 です。見下す側もされる側もどちらも不幸になる事例は、日本史、世界史上を問わずあまりにもたくさんあります。 不幸になることに気づいていれば、わざわざ差別をしないでしょう。ところが多くの場合、たとえ悪気はなくても気づいていないのです。僕自身の前半生の生き方は、まさにその典型だと思います。 人間なら差別をしたり...
第5集への中間報告17 3uwl1b こんにちは。 第5集への準備は予定全体の約9割がまとまった状態まできました。残りはあと少しです。来月には公開できそうです。最後の場つなぎになりそうですが、今回も短い記事でご容赦願います。 17回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 ...
第5集への中間報告16 3uwl1b こんにちは。 第5集への準備は予定全体の約7割がまとまった状態まできました。残りはあと3割です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 16回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミニ記事16 今回も、基本的人権の...
第5集への中間報告15 3uwl1b こんにちは。 第5集への準備が、やっと進んできました。予定全体の約2分の1がまとまった状態です。残りはあと半分です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 15回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミニ記事15 今回...
第5集への中間報告14 3uwl1b こんにちは。 先月に引き続き、わずかながら一歩進歩してきました。でも、第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1から抜け出せない状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 14回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎの...
第5集への中間報告13 3uwl1b こんにちは。 わずかながら、一歩進歩してきました。でも、引き続き第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1から抜け出せない状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 13回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのための...
第5集への中間報告12 3uwl1b こんにちは。 今月も先月と同じ状態で進展していません。引き続き第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1の状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 12回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミニ記事12 「...
第5集への中間報告11 3uwl1b こんにちは。 今月も相変わらず先月と同じ状態が延々と続いています。引き続き第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1の状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 11回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミ...
第5集への中間報告10 3uwl1b こんにちは。 先月と同じ状態が延々と続いています。引き続き第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1の状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 10回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミニ記事10 今回は...
第5集への中間報告9 3uwl1b こんにちは。 相変わらず足踏み状態が続いています。引き続き第5集への準備は、予定全体の約5分の1からなかなか抜け出せない状態です。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 9回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのための...
第5集への中間報告8 3uwl1b こんにちは。 この1か月、またしても足踏み状態が続いています。第5集への準備は、予定全体の約5分の1からなかなか抜け出せません。今回も短い場つなぎ記事でご容赦願います。 8回目の中間報告になりました。歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミ...
第5集への中間報告7 3uwl1b こんにちは。 1か月経つのは本当に早いですね。第5集への準備は、前回から足踏み状態が続いています。相変わらずのナメクジペース。来月こそは少し進歩したいです。 7回目の中間報告になりました。今回も歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミニ記事...
第5集への中間報告6 3uwl1b こんにちは。 第5集への準備は、まだ予定全体の約5分の1ほど進んでいるところです。相変わらずのナメクジペース。まだまだですね。 のんびりとゆっくり引き続き取り組んでいきます。 6回目の中間報告になりました。今回も歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎ...
第5集への中間報告5 3uwl1b こんにちは。 第5集への準備は、前回からほんの1ページ分くらい進んだだけです。カメどころか、まるでナメクジのようなスピードになってしまいました。 引き続き焦らずにじっくりと取り組もうと思います。 5回目の中間報告になりました。併せて歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 ...
第5集への中間報告4 3uwl1b こんにちは。 第5集への準備は足踏み状態が続いています。まるでカメのようになってしまいました。 僕のブログを読んでくださる方々には申し訳ありません。スピードよりも質を大切にしたいので、引き続き焦らずにじっくりと取り組もうと思います。4回目の中間報告になりました。併せて歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単...
第5集への中間報告3 3uwl1b こんにちは。 前回から1か月経ちましたが、準備は予定の約5分の1から全く進んでいません。この1か月は公私ともに多忙でした。 焦らずにじっくりと取り組もうと思います。3回目の中間報告になりました。併せて歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介していきます。 場つなぎのためのミニ記...
第5集への中間報告2 3uwl1b こんにちは。 ブログ 「差別と歴史上の人物」 は第4集の記事公開が終了してから、現在第5集の公開に向けての準備中です。 すでに3か月以上も経っていますが、準備は予定の約5分の1がやっとできたところです。 まだまだ長い時間がかかりそうなので、2回目の中間報告をして、併せて歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単...
第5集への中間報告1 3uwl1bこんにちは。ブログ 「差別と歴史上の人物」 は第4集の記事公開が終了してから、現在第5集の公開に向けての準備中です。すでに2か月以上も経っていますが、準備は予定の約6分の1がやっとできたところです。まだまだ長い時間がかかりそうなので、中間報告を数回して、併せて歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単に紹介し...
第4集 権力と心労に揺れた人々「日本史編」3uwl1b おわりに権力者には、常に問われていることがあります。それは誰にために権力という名の「強制力」 を行使しているかということです。一般民衆のために行使されるべきことであることは言うまでもありません。人を強制する力は、社会全体には必要であると思います。というのは、これがないと何でもかんでも自分勝手が横行し、収拾がつかなく...
12 田中角栄 (1918 ~ 1993)3uwl1b~実行力と金の力で出世して裁判で自滅した農家の二男~ 「小卒でも首相になれる。人間は学歴じゃない」「約束したら、必ず果たせ。できない約束はするな」「借りた金は忘れるな。貸した金は忘れろ」戦後を代表する総理大臣、田中角栄の言葉です。「戦後最大の首相」 とまで言われ、日中平和友好条約を締結しました。自分の学歴に自信のない人に夢と希望を与えた人物でもあります...
11 東条英機 (1884 ~ 1948)3uwl1b~権威・権力を手にして敗戦で絞首刑にされた軍人~ 「カミソリ東条」 という言葉があります。抜群の記憶力をもつ優秀なエリート軍人でした。昭和天皇からも厚い信頼を獲得し、感謝の勅語も贈られています。内閣総理大臣も経験し、戦前の日本を代表する政治家でもありました。しかし、彼は太平洋戦争の敗戦後、極東国際軍事裁判に被告人として立たされてしまいました。A級戦犯と...
10 松岡洋右 (まつおかようすけ) (1880 ~ 1946)3uwl1b~国民的英雄として歓迎され日米開戦に号泣した外務大臣~ 「連盟よさらば」 1933年の新聞記事の見出しです。連盟とは国際連盟のことです。さらに記事は「連盟、報告書を採択。我が代表堂々退場す」 と報じました。報告書とは、リットン報告書のことであり、この代表というのが、松岡洋右を指しています。太平洋戦争前夜の数々の外交で活躍し、日本代...
9 清浦奎吾(きようらけいご) (1850 ~ 1942)3uwl1b~第二次護憲運動で総辞職に追い込まれた短命内閣の首相~ 「私は坊さんになるつもりはありません。将来、国のためになる立派な人になりたい」大正末期の総理大臣、清浦奎吾の若き日の言葉です。92歳の天寿を全うし、江戸時代から昭和まで生き抜きました。貴族院議員や首相を経験し、歴史上にその名を残しています。幼いころから学問の才能があり、山県有朋の...
8 野口英世 (1876 ~ 1928)3uwl1b~努力で成果を発揮し晩年に権威と心労に悩まされた医師~1,000円札の肖像でおなじみの超有名人ですね。僕も小学生のころから、絵本などで何度も読み、顔も名前も知っていました。超人的な努力で逆境を克服して大成した「医学界の巨人」 として、多くの人々から尊敬されています。ノーベル生理学・医学賞の候補に、三度も名前が挙がりました。しかし、彼の晩年は強烈な心労に...
7 山県有朋 (1838 ~ 1922)3uwl1b~権力にこだわって国民と皇室を敵に回した日本軍閥の祖~ 「人間は権力から離れてはならない。 それ故、自分も権力の維持に力を尽くしている」明治・大正を代表する政治家の一人、山県有朋(やまがたありとも) の言葉です。2度にわたって総理大臣を経験し、その後も元老として、大きな政治的権力をもち続けた人物です。しかし、彼の葬式は「国葬」 であったにもかかわらず、...
6 桂 太郎 (1848 ~ 1913)3uwl1b~総理大臣最長記録をつくり半年で病死したニコポン宰相~ 在職2886日。3度にわたり内閣を組織し、西園寺公望(さいおんじきんもち) とともに、交互に明治末期の「桂園時代」(けいえんじだい) とよばれる黄金時代を築いた人です。ニコニコ笑って肩をポンとたたき、政治家や財界人を手懐けたので「ニコポン宰相」 と呼ばれました。日本史上に残る、総理在位最長記録の保...
5 伊藤博文 (1841 ~ 1909)3uwl1b~行政の頂点で国政を動かし海外で暗殺された長州の貧農~ 日本初の内閣総理大臣です。過去の千円札の肖像にもなった人物で、明治を代表する日本を動かした大物政治家としてあまりにも有名です。陽気で開放的な性格で人気が高く、明治天皇からも信頼されていました。お世辞を言わない無骨な正直者で、金銭にきれいなことがその理由でした。アジア最初の立憲議会政治家として、現在...
4 勝 民子 (1821 ~ 1905)3uwl1b~良妻賢母を演じ続け最期になって心労でキレた幕臣の妻~ 「オレにはもったいないくらい出来た女房なんだ」夫にこう言わせたほどの良妻民子は、幕末維新の有名人、勝海舟の正妻です。海舟といえば、海軍の創設や江戸城の無血開城などで知られる、開明的で極めて優秀な幕臣です。民子は海舟の門下生や女中たちからも「おたみさま」 と呼ばれて尊敬されていました。しかし、彼女は...
3 陸奥宗光 (1844 ~ 1897)3uwl1b~日本を列強諸国に加え外交で苦悩した和歌山の家出少年~ 条約改正で、中学校や高校の歴史教科書で必ず登場する有名人ですね。第二次伊藤博文内閣の外務大臣として活躍し、その鋭い辣腕は「カミソリ大臣」 とあだ名されました。幕末に結ばされた不平等条約の一つである領事裁判権の撤廃に成功しました。関税自主権の一部も獲得した功績は、国民全体に大きく貢献した日本史上の偉...
2 三条実美(さねとみ) (1837 ~ 1891)3uwl1b~政争に巻き込まれ心労を重ねて倒れた京都の名門貴族~ その華々しい経歴。 正一位大勲位公爵、右大臣、太政大臣、内大臣、内閣総理大臣兼任など、まだまだあります。幕末維新を生き抜いた元勲の一人として、歴史上にその名を残しました。そもそも三条家は、摂関家藤原北家の嫡流で、公家の中でも名門中の名門といえる家柄です。華やかな貴族らしい生活が想像されま...
1 岩崎弥太郎 (1834 ~ 1885)3uwl1b~努力で裕福になり心労で病に倒れた土佐の下級武士~ 「日本一の大金持ちになる」少年時代の貧しさから抜け出そうと懸命に努力を重ねました。大会社の社長になった明治を代表する経済界の大人物として有名ですね。三菱財閥の創始者であり、弥太郎が創設した三菱商船学校は、現在の東京海洋大学海洋工学部です。負けず嫌いで向学心が旺盛。幕末から明治以後の日本の経済界に大き...
12 斎藤きち (1841 ~ 1891)3uwl1b~外国人差別と鎖国政策の犠牲になった若き美貌の芸者~ 「死んでもいやだ」17歳の若き美貌の芸者の言葉です。下田奉行所の伊佐新次郎から 「きち、頼みがある。玉泉寺へ通って、アメリカ領事殿を慰めてやってくれぬか」 と言われた時の返事でした。言い方を変えれば、これはハリスの妾になれということです。彼女には鶴松という、将来を誓い合った恋人がいました。断るのは当...
11 土方歳三 (1835 ~ 1869)3uwl1b~武士に出世して時代の流れに翻弄された農家の末っ子~ 歴史上の人物で、これほど多くの女性にもてる男性が他にいたでしょうか。現在でも、さまざまな時代劇やドラマで登場する人気者です。もともと色白で引き締まった顔立ち、長身で剣の達人です。鬼のような勇敢さと、気配りのできる心優しさをあわせ持った人物といわれています。和歌や俳諧も好む風流さもありました。しかし、...
10 孝明天皇 (1831 ~ 1867)3uwl1b~鎖国にこだわり新時代を前に犠牲になった若き天皇~ 江戸時代で歴史上に登場したといえる天皇は2人だと思います。一人は初期の後水尾天皇(ごみずのおてんのう) で、もう一人が孝明天皇です。15歳で即位した、江戸時代最後の天皇です。学問好きな性格で、公家の学問所である学習院を創設したほどです。和歌にも優れ、歌集も出しています。影が薄い江戸時代の歴代の天皇の中...
9 徳川家茂 (いえもち) (1846 ~ 1866)3uwl1b~開国と攘夷の狭間で犠牲になった幕末の若き将軍~ 13歳で将軍。現在でいえば中学校の1年生ですね。一国のリーダーになれということ自体無理があります。14代将軍徳川家茂は、鼻筋の通った現代的な顔つきであり、妻とは相思相愛でした。彼が亡くなったときは、誰もが死を惜しむような人柄だったと伝えられています。多くの人々から親しまれ、幕末のむずかしい...
8 武市半平太 (1829 ~ 1865)3uwl1b~尊王攘夷運動と大名の権力の狭間で揺れた土佐の志士~ 武市半平太(たけちはんぺいた) は人格者として人気が高い幕末の志士です。言説さわやかで、誠実な人柄が長く語り伝えられています。剣の腕も一流で教養もあり、指導者としての資質を十二分に持ち合わせていた人物でした。土佐勤王党を結成して尊王攘夷運動にまい進し、一時は土佐藩全体を動かすリーダーにもなりました...
7 井伊直弼 (1815 ~ 1860)3uwl1b~開国の犠牲になって暗殺された幕末の大老~ もっと高く評価されてもよい人物ではないでしょうか。井伊直弼(いいなおすけ) は日米修好通商条約で知られる日本史上の有名人ですね。当時の世界情勢からも、開国はいつか誰かがやらなければならなかったことです。日本の近代化の第一歩を踏み出した、勇気ある決断と考えられます。しかし、直弼の最期は働き盛りの44歳、予告され...
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~研修会に参加したら変な顔されました~ うらやましいほどの結束力です。遺跡発掘調査に従事するプロパーと呼ばれる専門職員たちは互いに仲が良いです。 県だけでなく、いくつかの市町村にも一人ぐらいずつプロパーが配置されています。彼らは県や市町村の行政職ですが、他の種類の課に行くことがなく常に遺跡調査の仕事をしているのだそうです。 よく電話で連絡を取り合ったり、新しい情報の交換を楽しそうにしています。新潟...
~研修会に参加したら変な顔されました~ うらやましいほどの結束力です。遺跡発掘調査に従事するプロパーと呼ばれる専門職員たちは互いに仲が良いです。 県だけでなく、いくつかの市町村にも一人ぐらいずつプロパーが配置されています。彼らは県や市町村の行政職ですが、他の種類の課に行くことがなく常に遺跡調査の仕事をしているのだそうです。 よく電話で連絡を取り合ったり、新しい情報の交換を楽しそうにしています。新潟...
~教員なんていらねえんだよ。命令ばっかりする人たちだからな~ 今となってはたくさんのことを教えていただき、彼には本当に感謝しています。しかし当時僕を含めた教員たちは苦しい立場でした。 事実上の上司である木村さん(仮名)から突きつけられたこの一言はきつかったです。偏見と職業差別です。 僕は長い教員生活の中で、3年間だけ行政職として遺跡の発掘調査員をやったことがあります。 この時に突きつけられた言葉で...
~先生、お母さんがA高校を受けさせてくれない~ 12月だったでしょうか。夜電話がかかってきて、泣きながらいきなり冒頭の言葉がとびだしてきました。相手は僕が学級担任をしていたC中学校の3年生女子生徒、花子さん(仮名)。 彼女はA高校を受験したいのですが、母親はB高校を受験しろと言って譲りません。親子ゲンカになってしまったのですね。 思いあまった花子さんは、担任の自宅にSOSの電話をかけてきたのです。...
~「まだ早い、集落のことについてはオレの方が先生だ」~ 年配の田辺さん(仮名)から見下されて、いきなり突きつけられた言葉です。歓迎されると思っていたのに、これには少しショックでした。 僕が居住している集落は、わずか30数軒という小規模で閉鎖的なところもあります。集落全体を対象とした自治会は存在しますが、そのほか任意入会の有志の団体がいくつか存在します。 僕が入会した田辺会(仮名)はその中の一つでし...
~教頭が部下を連れて校長宅へ初詣で~ 2回ありました。新年会という名の典型的なおべっかの会ですね。Ⅾ中学校に勤務していたときのことです。冬休み中の1月早々、教頭から声がかかりました。 「校長の家へ行こうぜ」・・・僕を含めて5~6人の教諭が誘われました。冬休み中のお正月です。教頭には日頃からお世話になっていたので、正装してお付き合いをすることにしました。 結構楽しく飲むことができました。でも今から思...
~賞状伝達。生徒をステージ下に降壇させてから礼~ 僕が平成初期に勤めていたⅮ中学校では、全校朝会のときに珍しい風景が見られました。 新潟県の多くの小中高では、賞状伝達のときには礼をしながらステージ上で校長から賞状等を受け取ります。そしてその場で回れ右をして、全校生徒にも礼をして降壇します。 ところが、回れ右をさせない校長が山田さん(仮名)でした。左向け左です。生徒たちはそのまま左から降壇して下のフ...
~誰も読まない自費出版の本を売りさばかさせる退職校長~ 「大川原さん、本1冊買ってくれんかのう?」・・・「えっ?どれですか」・・・そこには本を十数冊抱えた教頭が立っていました。 僕が平成初期に勤めていたⅮ中学校の男子更衣室での出来事です。 本の題名は「これからの○○教育」。教員向けのものでしょう。手に取って少しページをめくってみました。著者名を見てピンときました。僕も知っていた退職校長の名前だったから...
~「第11代校長○○」・・・退職後に自分を囲む会を半強制~ 「第〇代はいらんだろう・・・」職員たちの声です。僕も違和感を覚えました。多くの学校の式典では校長挨拶があります。 挨拶の最後のところで、普通自分の名前の前に職名はつけても「第〇代」はつけません。中山さん(仮名)はあえて意気揚々と大きな声でこれをつけたのです。 僕が過去に勤めていたC中学校の、第何十周年か忘れましたが記念式典での出来事でした。た...
~教育集会所での研修後・・・「そんなこと言ったって・・・」~ 教育集会所というのは、僕が勤めていたC中学校の学区内にあります。被差別部落の人々が、集会所として使用していた公会堂の名称です。 同和教育の職員研修として被差別部落に足を運びました。当事者の方々から、直接部落問題を差別の現実から学ぼうとしたのです。フィールドワークもやって、驚くことばかりでした。 差別は今でも厳然として存在することにやっと...
~初めて会った被差別部落の人・・・「どこかちがうのではないか」~ 正直、率直な感想です。というより偏見です。僕が初めて被差別部落出身者として認識した人は長田さん(仮名)という女性でした。同和教育の職員研修で、講師として招かれていました。 僕が過去に勤めたC中学校でのことです。彼女は堂々と、ご自分が被差別部落出身であることを宣言し、解放運動を行っていました。 被差別の当事者としての体験を具体的に語り...
~「おい、同和問題はないだろうな」・・・「ねえよ」~ 今は亡き実父と息子である僕の会話です。20代の後半でした。婚約したことを両親に告げた数日後、父親がこっそりと小声で発した言葉です。つまり、こういうことです。 「おまえの結婚相手は被差別部落の女ではないだろうな。であれば反対するぞ」・・・「ちがう。それにしても面倒なことにならなくて良かった」この会話は、いったい何なのでしょう。 結論を先に言えば、...
~体罰・・・修学旅行で正座 スリッパはたき~ 「愛のムチ」という言葉で正当化されてしまった行為ではないでしょうか。 相手は僕が勤めていたB中学校の3年生。学級担任をしていた自分のクラスの男子生徒全員でした。20人ほどいたでしょうか。場所は修学旅行で宿泊していた京都の旅館。 時間は夜中の12時ごろです。大声で騒いでいる生徒たちを全員廊下に出して正座させました。そしてスリッパでパンパンと全員の頭をはた...
~体罰・・・両親の目の前で子どもにビンタ~ こともあろうに、やってしまいました。お詫びしなければいけません。僕が担任していた男子生徒で村田さん(仮名)と言います。 事の発端は万引きと、自分の家の親の財布から継続的にお金を盗み続けていたことです。問題行動が他にもいくつかあり、それらの中からこの事実が発覚したのです。 学級担任として責任を感じ、家庭訪問をして生活指導をすることになりました。冒頭のビンタ...
~前校長宅詣で~・・・「お前それだけやれ」・・・ 初対面の僕にいきなり突き付けられた言葉です。相手は3月に定年退職したばかりのB中学校の前校長。僕は4月に赴任したばかりの経験不足の未熟な若い教員。 1年生の学級担任と、他の4クラスほどの社会科の教科担任。柔道部の顧問と生徒会活動やPTA活動の一部も担当していました。 彼が言った 「それ」とは、柔道部の顧問を指しているのです。単刀直入の言葉に違和感を覚え...
~3年たってやっと○○会を退会、ハンコをついた~ 「大川原さん、何で○○会やめたね?」・・・校長はそう言いながらハンコを付いてくれました。(えっ?今ごろハンコ?)口には出しませんでしたが、僕は心の中で驚いてしまいました。 やめたのは3年前。前任校に勤務していたときだったからです。前任校の校長とは口約束だけだったのです。 つまり僕はこの3年間、何も活動してないのに、高い会費だけ給料天引きで延々と支払わさ...
~お前は先輩の言うことを聞かん~ 昭和末期に勤めていたB中学校でのことでした。生徒会活動の一つとして、僕は応援団という委員会の担当顧問をしていました。 当時の新潟県の多くの中学校では応援活動が盛んにおこなわれていたのです。特に陸上競技の市内大会になると「全校応援」と言って、全校生徒を競技場へ引率して応援活動をしました。 もちろん授業は全部つぶします。各校が一堂に会するわけですから、嫌でもお互いに目...
~カン違いの校長が週3回の全校朝会とボーナス渡し~ 「これって変ですよね」・・・僕が勤めていたA中学校の教職員たちの会話です。 「これ」とは一体何でしょうか。 答えは12月のボーナスを校長が数十人いる職員一人一人に声をかけながら手渡して与えたという事実です。僕も深々と頭を下げながらいただきました。 この出来事は後にも先にもこの時1回だけでした。矛盾はどこにあるのか。そもそも新潟県の公立学校の給料や...
~体罰に対して 「先生いいよ、オレが悪い」~ 中学3年生の男子生徒でした。名前は忘れてしまいましたが、ある冬の日の放課後、事件が発生しました。 彼は体育館で長靴、つまり土足を履いたまま、バスケットボールを乱暴に蹴って遊んでいたのです。その姿に僕はカッとなり、平手で強烈なビンタを食らわせてしまったのです。 「しまった」・・・思わず 「おい、大丈夫か?」と声を掛けました。体罰です。これは明らかにやりす...
~臨時職員を見下したために食らった痛い一撃~ 「・・・しなさいとは何だ‼」・・・突然怒鳴られてしまいました。強烈な一撃です。一緒に夕食を食べていたときのことでした。 相手は同じA中学校に同僚として勤務していた本田さん(仮名)です。即座に謝りましたが、まさか怒鳴られるとは思っていませんでした。 僕と彼は同い年。特に親しい友人でもありませんでしたが、同じ職場で同じような悩みや不満を持っていたので話がよく...
~体罰・・・両親の目の前で子どもにビンタ~ こともあろうに、やってしまいました。お詫びしなければいけません。僕が担任していた男子生徒で村田さん(仮名)と言います。 事の発端は万引きと、自分の家の親の財布から継続的にお金を盗み続けていたことです。問題行動が他にもいくつかあり、それらの中からこの事実が発覚したのです。 学級担任として責任を感じ、家庭訪問をして生活指導をすることになりました。冒頭のビンタ...
~前校長宅詣で~・・・「お前それだけやれ」・・・ 初対面の僕にいきなり突き付けられた言葉です。相手は3月に定年退職したばかりのB中学校の前校長。僕は4月に赴任したばかりの経験不足の未熟な若い教員。 1年生の学級担任と、他の4クラスほどの社会科の教科担任。柔道部の顧問と生徒会活動やPTA活動の一部も担当していました。 彼が言った 「それ」とは、柔道部の顧問を指しているのです。単刀直入の言葉に違和感を覚え...
~3年たってやっと○○会を退会、ハンコをついた~ 「大川原さん、何で○○会やめたね?」・・・校長はそう言いながらハンコを付いてくれました。(えっ?今ごろハンコ?)口には出しませんでしたが、僕は心の中で驚いてしまいました。 やめたのは3年前。前任校に勤務していたときだったからです。前任校の校長とは口約束だけだったのです。 つまり僕はこの3年間、何も活動してないのに、高い会費だけ給料天引きで延々と支払わさ...
~お前は先輩の言うことを聞かん~ 昭和末期に勤めていたB中学校でのことでした。生徒会活動の一つとして、僕は応援団という委員会の担当顧問をしていました。 当時の新潟県の多くの中学校では応援活動が盛んにおこなわれていたのです。特に陸上競技の市内大会になると「全校応援」と言って、全校生徒を競技場へ引率して応援活動をしました。 もちろん授業は全部つぶします。各校が一堂に会するわけですから、嫌でもお互いに目...
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~体罰に対して 「先生いいよ、オレが悪い」~ 中学3年生の男子生徒でした。名前は忘れてしまいましたが、ある冬の日の放課後、事件が発生しました。 彼は体育館で長靴、つまり土足を履いたまま、バスケットボールを乱暴に蹴って遊んでいたのです。その姿に僕はカッとなり、平手で強烈なビンタを食らわせてしまったのです。 「しまった」・・・思わず 「おい、大丈夫か?」と声を掛けました。体罰です。これは明らかにやりす...