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聖母の目を通してイエズスの御受難を黙想し聖母の苦しみに与る―その理由。
2024年3月22日(金)「童貞聖マリアの七つの御悲しみ」大阪ミサ説教トマス小野田神父聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。あと一週間で聖金曜日です。その前に教会は常に、聖母の七つの悲しみの記念を行っています。特に、聖ピオ十世会のシスター会そして奉献修道女は、悲しみのマリア様に捧げられているので、この記念を一級の大祝日として祝っています。教会の精神に従って、マリア様の目を通してイエズス様の御受難を黙想いたしましょう。そして、マリア様の御悲しみに与ることにいたしましょう。なぜ、マリア様の目を通してイエズス様の御受難を見て、またマリア様のこの苦しみに与ろうとするのでしょうか。その理由を黙想することを提案します。【1:聖母はイエズス・キリストがどなたであるかよく御存じであった】ひとつは、イエズス・キリスト...聖母の目を通してイエズスの御受難を黙想し聖母の苦しみに与る―その理由。
主の御受難をよく黙想することによって、わたしたちの罪を深く痛悔する:十字架上のイエズスは全ての人々から捨てられた
2024年3月17日東京での8時30分のミサの説教トマス小野田圭志神父聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。愛する兄弟姉妹の皆様、今日は2024年3月17日、御受難の第一主日です。【1:御受難の神秘】母なる教会は、主の御受難をよりよく黙想するために、またよく黙想することによって、わたしたちの罪を深く痛悔するようにと、招いています。ですから今日は教会の招きに従って、主の御受難を一緒に黙想いたしましょう。今日の福音では、イエズス様は、ご自分が約束されたメシアであり、天主であることを断言します。「まことにまことに私はいう。アブラハムが存在する以前に、私はある」と。ラテン語によると、アブラハムがつくられる前に、わたしは在ると、なっています。そのときユダヤ人たちは、イエズス様がまことの天主であるということを主...主の御受難をよく黙想することによって、わたしたちの罪を深く痛悔する:十字架上のイエズスは全ての人々から捨てられた