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前回からの続きで、「務令沉着」の説明です。気を沈めることに努めなければいけない、ということを前回説明しました。それは、長い間努力をしないとなかなか辿り着けない境地です。ただ、がむしゃらに努力をすれば良い、というわけではありません。 蘇峰珍氏の「行功心解詳解」では、気を沈めるための前提は、「松」だと宣言をしています。今日のブログでは、この「松」とは何かを紹介します。 中国語でこの文字を書く時には、主に中国本土で使われている簡体字では「松」、台湾なので使われている繁体字では「鬆」と書かれます。発音はどちらもsōng(ソン)です。日本語で説明をする時にはどちらの漢字を使ったら良いか、迷います。なぜなら、どちらの文字も日本語に存在するからです。 「松」は日本語では通常は樹木の名称として使いますが、辞書を見ると「粗い(「鬆」の簡体字)」という意味も載っていました。「鬆」はあまり見かけはしませんが、これも常用外漢字として認識されていて、骨粗鬆症の「鬆」として使われます。 どちらの文字も日本語に存在して、どちらも「粗い」と言った意味を表すことができるのですが、「鬆」は「粗い」以外の意味を持たないので
今回は、行功心解(ぎょうこうしんかい)の次の部分に進みます。「務令沉着」です。「務めて、沈着せしむ」と訓読することにしましょう。 「務」は、日本語の辞書を引くと、「仕事などの役目を受け持ってそれを果たす」となっています。中国語では、この文字を副詞として用いる場合には、「きっと、必ずや、是非とも」という意味が出てきて、日本語では同じ発音の文字ではありますが「努めて」に近い意味に感じます。 「沈着」は、落ち着くこと。「令」は、古典中国語では使役の助詞で、「〜させる」と言う意味です。 以上から、単純にこの部分を日本語に訳すと、「可能な限り、落ち着かせる」と言うことになります。 何を落ち着かせるのかというと、前の文章からのつながりで、「気」です。前回からの続きで日本語に訳すと、「(落ち着いた)意識を用いて、呼吸を行い、その呼吸(気)を可能な限り、落ち着かせる」ということになります。 さて、「気を落ち着かせる」とか「気を沈める」ってどんな感覚でしょうか。太極拳ではよく聞く話です。でも、多くの人にとって、どんな感覚なのか、どうしたらそんな感覚が得られるのかが疑問に感じられるのではないでしょうか。
太極拳理論に関して色々と書いてみようと思って、「行功心解(ぎょうこうしんかい)」を読み解く連載を始めてみました。これまでに本文の説明が3回、付随する説明が2回の合計5回書いてみました。 全体を書き終えた後に小出しにしているのではなく、本を読んでは書き、読んでは書き、という作業をしているため、前後のつながりがおかしかったり、重複があったりしていると思います。書き終えた後に、全部繋げて読んでみて、さらに書き直しをしたいと思います。連載として書き続けることで、毎日少しずつ進められるのと、公表することがモチベーションとなっています。少しでも多くの方に読んでいただけると嬉しいです。 「行功心解」は、二百文字にも満たない文書です。5回のブログでやっと初めの4文字の説明が終わりました。このペースで行ったらいくつ記事を書いたら終わるのかって感じです。でも、焦らずのんびり書いていきたいと思います。 読んでいただく方に理解していただくためには、まず自分が納得して理解した上で書かないといけません。色々な本を参照するので、自分としても非常に良い勉強になります。 表面的な説明だけにとどまらず、自分が腑に落ちるま
太極拳は何か特別な呼吸法があると思っている方が多いのか、習い始めたばかりの方がよく「呼吸はどうしたら良いのか」と質問されます。 足腰の基盤を作り、動きを覚えるだけでもかなりの作業になるので、初めのうちは呼吸については多くを教えません。うちの師匠は、「鼻で呼吸をしなさい」っていうだけです。一通り動きを覚えて、身体をリラックスさせることを学ぶ段になったら、呼吸についても色々と語ることができますが、初めのうちはこれで十分です。 なぜ鼻で呼吸をしたほうが良いのでしょうか。 齋藤孝氏の「呼吸入門」にヒントが書かれていました。 「最近は口で呼吸する人が増えていますが、呼吸は正しくは、鼻でするものです。」 鼻と口の大きな違いは、鼻毛のようなフィルターが存在するかしないかです。鼻毛があるおかげで、鼻から空気を入れた場合には、埃や塵が体内に入るのを押さえたり、外部の気温と自分の体温との温度差がある時に、温度の調整をしたりすることができます。鼻からの方が綺麗な空気を入れることができるってことですね。 口で呼吸をすると、喉の奥の扁桃器官に直接外気が当たるため、ここが乾燥して免疫力が落ちるそうです。扁桃には身
前回のブログで、「以心行気」は、心を用いて、つまり意識的に呼吸を行う、としました。 意識的に呼吸をすればどんな意識でも良いのか、というとそんなことはありません。まずは、何を意識するかが問題です。通常、呼吸をするときには、勝手に空気が鼻や口を出入りするだけなので、それがどこに行くのか、身体のどの部分を意識するか、なんてことは考えません。 太極拳で行う呼吸は、空気を自分の身体の中に取り込み、取り込んだものを必要なところに溜め込み、それを全身にめぐらせることを意識して行います。でも、そんなことを頑なに意識してしまうと、身体も硬くなるし、呼吸をすること自体が苦痛になりかねません。そもそも何をやっているのかわからなくなることでしょう。 何を意識するのかは、初めのうちは気にしなくても良いと思います。身体と心が落ち着いてきたら徐々にできるようになれば良いです。 もっと重要なのは、どういった「心」「意識」で呼吸を行うようにするのか、って言う質の問題です。誰でもそうだと思いますが、心や意識は、散漫になりがちで、雑念に溢れていることも多いと思います。そういったものをできるだけ取り除いて、落ち着いた、邪念の
前回のブログの説明から、「気」とは「世の中の万物を構成する基本的な最低単位として考えられる概念で、それ自体がエネルギーを有すると考えられている」としておいて良いと思います。こう捉えると、「気」は何か不思議なことを可能にするもの、という神秘主義的なイメージから離れることができます。 齋藤孝氏の「呼吸入門」に「気」についての記載があります。 「私は息の研究を長くしてきましたが、「気」のことについては、意識的にあまり語らないようにしてきました。この本の中でも、そのことに触れずにきました。「気」というのは感じるだけのものです」 「気というものは、あくまでも呼吸の結果として生じるものと考えれば、神秘主義の罠に陥らないで済みます。武道、芸道のあらゆる達人も、呼吸という具体的なものに要を置いているわけですから、奥深さはそこに求めていってほしいと思います」 アントニオ猪木さんのように「ダー」と拳を突き上げたり、アニマル浜口さんのように「気合いだー」と叫ぶ時、なんとなく身体に力がみなぎる感じがしませんか?こういった感じが「気」を感じるということなんだと思います。 「気」は誰の身体の中にもあるもの、そのエ
太極拳をやっていると「気」を感じられるのようになるのでしょうか?と言う感じの質問をたまに聞かれます。太極拳を長くやっているけど、いまだに気を感じることができない、と嘆いていた人もいました。 昨日のブログでは、「行功心解(ぎょうこうしんかい)」の冒頭、「意を以て気を行う」を読み始めました。 そもそも、「気」ってなんなのかを今日は考えてみたいと思います。 YouTubeの映像なんかで、触れただけで数人の人を後ろに飛ばしてしまう映像を見たことはないでしょうか。あれが「気」のなせる技で、「気」は何か特別なことをできるようになる秘訣、のように思っている人もいると思います。実は私もそうでした。 鍛え方によってはそんな不思議な使い方もできるのかもしれません。でも、「気」って言うのは、そんなに特別なものではなくて、「世の中にあるすべてのものの最低単位の構成要素」と定義したいと思います。つまり、万物は「気」によって成り立っている、って言うことです。 ちょっと待って、それって「原子」と違うの?って思いませんか?原子って、「通常の化学的な方法ではそれ以上分割できない物質の基本的な構成単位粒子」と定義されます
前回のブログでご紹介した通り、「行功心解(ぎょうこうしんかい)」をじっくり読みながら、太極拳の基本的な概念についての私なりの理解を示していきたいと思います。 今日から何回かに分けて、一番初めの「以心行気」を説明していきます。 訓読は、「心を以って、気を行う」となります。ここで問題になるのは、「心」「気」「気を行う」が何を意味するかです。 ますは、「心」です。心識、意念だと本書にも書いてあります。でも、「心」を「心識」と置き換えても文字が一つ増えただけで、なんの意味もないように感じます。「意念」って日本語としても存在するのですが、不勉強は私は太極拳以外では聞いたことがありません。ここでは、とりあえず、「意識」としておきます。「心」をきちんと定義するのは非常に難しく、まともに取り組むととんでもないことになりそうなので、将来の課題としておきます。 「気」については、色々と考えたいこともあるので、明日以降のブログでどんなふうに私が考えているか説明します。 「気を行う」は、とりあえず、「呼吸を行う」と理解しておきます。実際には、呼吸だけではなくて、吸った息がどうやって気に変わり、それが体全身に回
太極拳の「経典」と呼ばれる書物は色々とあります。学び始めた当時から読み漁る必要はありませんが、套路を一通り覚えたぐらいから、少しずつ覗きみてると良いと思います。太極拳に対する理解が深まります。 このブログでは、不定期ではありますが、太極拳理論、太極拳の経典に関する情報を書いていきます。 余功保氏の「太極十三経心解」で紹介されているものはこんな感じです。そのうち、銭育才氏の「太極拳理論の要諦」に掲載されているもは太字で示します。( )内は、著者とされる人の名前です。 太極拳論(王宗岳) 十三勢行功(武禹襄) 太極拳十大要論(陳長興) 打手歌 四字秘訣(武禹襄) 五字訣(李亦畬) 十三勢歌(王宗岳) 太極拳九訣(楊班侯) 十三勢説略 太極拳経譜(陳鑫) 授秘歌 太極拳軽重浮沈解 太極拳説十要 普通、武術を学ぼうとすると、まずはどんな動きをするのか、を学ぶことから始めます。相手に打ち込むときはこうする、防御はこうする、それらができるようになるための練習は、こんなふうにする、っていう感じで学んでいくのが普通だと思います。写真付きで、太極拳の動きの解説をしている書籍は日本語でもいくつも出版されて
さて、様々な経典があることを前回のブログで紹介しました。その中から、まず手始めに紹介するのは、「十三勢行功」にします。 一番有名なのは、王宗岳の「太極拳論」なのですが、これは、日本語で書かれた、銭育才氏の「太極拳理論の要諦」でそれなりに詳細に紹介されているため、後回しにすることにしました。 蘇峰珍氏の「行功心解詳解」という本が「十三勢行功」を200ページに渡って詳細に説明を加えています。これを読み解きながらいろいろな概念を紹介していきます。 「十三勢行功」は、行功心解、十三勢行功要解、王宗岳先生行功論、打手要言とも呼ばれます。このブログでは、蘇峰珍氏にならって、「行功心解(ぎょうこうしんかい)」と呼ぶことにします。 武禹襄の書いたものだとされることが多いのですが、王宗岳や李仲が書いたと考える人もいます。ネットで「行功心解」と検索しても、誰の著作かをはっきり書いた記載は見つかりませんでした。蘇峰珍氏もこの点については「行功心解詳解」で明確に示してはいません。 誰が書いたかは、興味はありますが、内容の理解に大きな影響を及ぼすものではありません。この「行功心解」は、王宗岳の「太極拳論」に並ぶ
「行功心解(ぎょうこうしんかい)」の全文を紹介する前に、このブログで使う漢字について少し説明します。 中国語で使われる漢字には、簡体字と繁体字の二つがあります。どちらも日本語の漢字とは似てはいますが、異なります(同じ文字もあります)。 繁体字は、今から1800年以上前の2世紀、漢王朝時代に作られたものだとされています。現在では、台湾、香港などで使われいます。 簡体字は、1950年代に中国で制定された比較的新しいものです。繁体字を簡略化したものです。中国本土の他、シンガポール、マレーシアなどで使われています。 書店に行って中国語の本を眺めていると、どちらの字体で書いた本も売っています。 簡体字の一例です。これぐらいだと中国語を学んだことがなくても認識できるのではないでしょうか。そう、「愛」です。以前読んだ雑誌で、中国の「愛」は心がない、なんて揶揄していました。 個人的には、日本人にとっては、繁体字の方が認識しやすいのではないかと感じますが、私は簡体字で中国語を学んでしまったため、繁体字で書かれている文書を読むときは読むスピードが落ちます。 日本語の漢字、簡体字、繁体字が全て異なる例です。