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「ダメですよ、折角ですから食べなくては。それにおいしいと社内でも評判なんです、今もって来させますから」早野はデスクの受話器に告げる。「開発商品のあれ持ってきって、全部よ、いますぐにね」 断ったが、結局は食べるはめに。しかしやはり、食べきれない。食べ残しは今日中の消費を約束のもと、持ち帰りに彼女とは手を打った。姪への良いお土産になる、と調月は対処を考え付く。それから早野の接待攻勢は続く。割引券から、それこそ無料で最安値のハンバーガーが購入できる権などを数十枚。私の車にナビがついていないことを彼女は見つけていて、入り組んだ場所だから絶対に迷う、自分を助手席乗せろと言ってきかない。仕事があるのでは、…
すると、一人の女性が登場した。落ち着いた色合いのスーツを着込んだ女性である。彼女はなにやらお客を別のレーンに誘導した。そこで話を聞くらしい。私の番だ。料金支払って受け取る。店員の女性は再度中身を渡す前に確認、こちらにも確認を求めた。初めて食べるのでどれが私の注文した商品であるか、わからない、私は正直にそう述べた。相手は困惑。また変な人物がやってきたと思ったのだろう、顔が曇ったが、本当に食べた事がないので、と付け加えた。どうしてお客が気を使うのだろうか、調月はやり取りの疑問を早急に破棄、詮索を拒んだ。 レーンを通過、渋滞の列に入り込む隙間を伺う待機時間に、窓が叩かれた。 「調月さん、奇遇ですね。…
公園に停めた車に引き返す調月散歩は名前の通りに散歩を楽しむ。見慣れない風景はやはり心地よく、頼もしい。早道の適合は考えないよう宙ぶらりんで保管する。切り替え、調月は次の目的地、早野の自宅へ車を向けた。快晴。まだ時刻は正午前である。車の数が多く、道路が込み合っている。進んでは止まる。調月はいつも以上に空腹を意識した、ガソリンスタンドで口にしたおにぎりが呼び水となり、満腹に達するまで中枢神経が食事を要求している。仕方なく、最後のおにぎりを頬張るが、それでもやはり満腹には至らず、道路沿いのレストランを探した。低速ために建物は探しやすいが、飲食店の駐車場は込み合う時間帯と重なり、どこも満車である。臨時…
「突き詰めて考える材料には打ってつけです」調月は相手の目を見て、応えた。「即答はできかねます。表向きの言葉ならば、合格でしょう」 「隠し事があると、言いたいのかね?」片方の眉が上がる、そして煙も立ち上る。テーブルのリモコンで空調が動き出した。 「ええ。まったく裏表のない人は、可能性の一つ、僅かな事でも気づけば、言葉にする。私が察していようと、そうでなくともね」 「……人の懐に入るのがうまい、実に上手だ。組織に属さないから身につけた技能でもあるのか」しみじみと早道はつぶやく、深く背もたれに体を預けた。「君の用件、要望の真実もまた隠されていると、君の言い分では可能だ」 「私の指定した額を超える。も…
深い緑のソファにオーク材のテーブル、左右はびっしりと本棚で埋め尽くされた室内、戸の正面、こちら側を向いたデスクとその背後に木製?または竹のブラインド。天井はシェードがついた照明というよりかはランプに近い古めかしいフォルムがぶら下がる。ざっと室内を失礼なく見渡して、私はソファについた。カリカリとペンを走らせる音である。あまり詮索は無用だ、見えるものだけを忠実に吸収する。 コーヒーが運ばれ、早道が作業の手を止めてソファの対面に腰を下ろした。頬はやせ窪み、髪はほとんどない、いいや、剃りあげているといったほうが正しいか、外見の詮索はこれぐらいに。調月は自己紹介をする。 「存じ上げています、私のネットワ…
「土地売買の件で伺ったと言えばわかるとおもうのですが」私は通常通りの口調で応えた。あまり卑下しても仕方がない。周辺を調べるのは後からでも十分。まずは直接顔を見て、それで大半の事情、相手が抱える現状と必要性の有無で判断をする。周辺の情報は、在宅の場合には面会後の、気が抜けた時節を狙って収集を行うことしよう。 「少々お待ちください」二分ほど門前で待った。待たされた感じはまったく受けていない、むしろ周辺の立地を振り返って眺めていたら使用人に呼ばれたほどである。 家政婦という人種と使用人との違いはその権限の重さにあるだろう。私は仕事柄、人の家での交渉が多く、また取引はほとんどが資産をかなり潤沢に保有す…
車から降りて周辺の散策を開始する。早道という名前は歴史上の人物で聞き覚えがあった。家は豪邸よりも屋敷を想像した、歴史書や教科書の類で読んだ、あるいは聞かされた名前である。電柱の住所表示を確認する、手元の住所と見比べる。うーん、まだ距離がありそうだ。足を進める。いきなり番地が増えた。よくあることだ。ここがどうやら境目らしい。すると、道路に即した方角のどちらかに歩くか。調月は行き着いた通りを左折して公園から離れる位置取りを目指す。この近辺は住宅地として開拓された場所だろうか、かなり平坦な立地である。また、古くからの道とは思えない、私が歩く縦の道路に並行した道が伸びていた。かつての道を残しつつ、宅地…
調月散策の車は旧型である上にナビゲーションシステムを取り付けていなかった。購入の際に彼は断っていたのである、販売員の訴えにも屈することなく、彼は取り付けを拒んだ。乗車機会は月に二、三度。必要性は薄い。時間内に目的地に足を向ける場合はおおむね、所在とルートがはっきりした場所にしか車を使わない。自宅から空港への移動もタクシーと公共交通を利用する。 ただし、地理には詳しい。だから、大よその場所は見当がつく。問題は周辺から距離を詰める移動が要、これが移動時間を大きく左右する要素だろう、調月は早道の住まいに車を走らせた。 途中でガソリンを補給する。スタンドの店員に、エンジンの不具合を伝えて点検をお願いし…
「ですから、真剣なのですよ。そしてゲームとして楽しめる。毎回が賭けです。もちろん、人生が破綻しないように安全側に傾くような取引の範囲内、所有に困った土地はひとつもありません」 「私は彼の意見に賛同するよ」早見は重たそうな瞼を持ち上げて、こちらに賛意を示す。 「足を運んでいただいたのに申し訳ありません。私は皆さんに個別の面会を求めていれば」調月は首を振る。「いいや、それでも私は調査を求めて時間をいただいたでしょうね」 「今日の決断は厳しい、決めかねると、そうおっしゃるのね?」まくし立てて早瀬が答えを促す。 「ええ、はっきりと申し上げるべきでした。この場での決断は行いません」 「帰ります」早瀬は封…
国道を越えて山沿いの斜面を足の向くまま、調月散歩は星が丘の町を散策した。端末を本日二度目の操作、午後の最終便のチケットを確保してからは、大よその時間間隔で生きた。当てもなく歩き、行き止まりにぶつかり、進路を変えて、引き返す。傾斜地は閉塞的でつながる必要性は住民にはないのであるから、行き止まりが多くて当然なのだ。四時間ほど斜面を歩き、駅に引き返して地元民に紛れて乗り込む普通電車で車窓を堪能する。空港ではかなり待ったが事務所へは明日の朝までに行き着くのが彼の条件である、今日は家に帰れれば良いのだ。 翌日。自宅から久しぶりに車を出して、エンジンをかけた。バッテリィーは機能している。どれぐらいの期間、…
「二倍とおっしゃいましたか、あなた?」早瀬が一番に沈黙を打ち砕いた。早野へ資金の倍額を尋ねた。 「二倍です、一・五でもなく、一・八でもなくて、倍です。×二」 「他の方々は梃子でも動きそうもありませんので、あなたに差し上げますよ。持ち帰りなさい、そして二度とこの私の前に姿を見せないと、ここで約束してくれませんかね。どうもすいませんでした、不躾で場違いな私がのこのことやってきてしまってとね」 「使いきれないほどの資産を持つ、それが何、あなたのお金じゃないでしょうに。代々の資産を受け継いで膨らんだ利子で生活しているくせに、どうせあなたの夫が社長の座に収まった。いいえ、もしかするとあなたは都合よくその…
「私が買い上げますので、皆さんはどうかこのお金で引き下がってくださいませんか?」早瀬は白い厚みのある封筒を五つ、テーブルに無造作に置いた。投げたと言い換えてもいいだろう。 「この時勢に一軒家の購入を望む面々にそれぐらいのはした金など、触手が動くはずもないだろう。あなたの立場に置き換えれば、理解が簡単だろうに」早見が隣の女性を直接見ることなく発言した。場が一気に張り詰めた空気に移行する。 「そちらはマンションの債権です。数十年先までの価値を有する優良な物件ばかりを取り揃えました。皆さんが住まれるとは思いませんが、現金に換えると、一部屋を最低五百万と換算しても、ええ、これからの人生をより豊かにそし…
そういえばと調月は立ち上がって、デスクのブラインドを開けた。車がずらりと未舗装路に寄せて止まる。車は三台、残りの二人はどうやって、やって来たのか、タクシーを借りたのだろうか。そうやって考えをめぐらせていると、バイクが一台滑り込む。エンジン音は即座に止められた、気を配れる人物。調月は表に出て、人を迎えた。リビングのあからさまな喉の渇きを訴える仕草に気づいていないふりをするためである。ここは喫茶店でもなく、もちろん相手はお客であるが、私が望んだ会合、面会の場所ではないのだ。 「面会の方ですか?」調月から相手に尋ねた。ヘルメットを取った人物は若く、二十代の前半に見えた。 「ええ、僕じゃないんですけど…
「申し訳ない、昨日土地の購入に関して連絡を入れた早見というが、調月さんの事務所であってるかな、ここは」がっしりとした体格に似合った硬質な面立ち、髪はしっかりと健在、既に現役は引退しているらしく、ネクタイを外したスーツが様になっている。夏用の涼しげな淡い紫である。 「はい、調月です」足元から頭の先まで目線が移動。そして目にたどり着く。いつもの銅線、早見の表情は固い。思ったような人物ではなかったようだ、仕事振りから人を判断するほうがまだましというもの。顔や姿から想像されては困る、すべてを相手に見せているわけではないのだ。調月は、事務所の赤茶けたつやのあるテーブルに案内、そこに他のお客も座らせる予定…
一度にか……、調月は静かに頭を抱えた。 六名が一同に会するスペースは十分だが、椅子が足りない。ダイニングの椅子は一つが子供用の椅子で残りの四脚を確保。あとに二脚か。そうだ、調月は思いだして、事務所を出た、裏庭の倉庫を開ける。キーホルダーに取り付けた倉庫の鍵がやっと活躍の場を与えられたらしい、彼はいつも目に入っても掴もうとしなかった平たい鍵を差し込み、鍵を開ける感触を懐かしんだ。倉庫を開けたのはここを借りて以来だ、譲り受ける前に一度前のオーナーと庭で数分間立ち話をしていた、その時に倉庫の荷物はいくらか年代物で価値のある椅子が入ってるから、倉庫が必要なければ、それを売り飛ばしてくれれば良いと言われ…
冷蔵庫をあけて、お茶を飲み干す。調月の姪が二階の一室で暮らしているが、彼女には食事の権利を与えてはいない。それらは各自が支払う取り決めだった。彼女の飲み物が冷蔵室に見えた。 天井を見上げる、物音は聞こえない。物音が日常的に聞こえるぐらいなら不気味さが漂う事務所であって欲しい。まだ寝ているのだろうか、調月は足を音を無駄に立てて、階段を上がり右手の部屋をノックした。 「おはよう」ドアを二回ノック。聞こえていないのか、寝ているのか。もう一回ノック、今度は大きめに。 「……今日は講義がお昼からなんだってばあぁああ……」だんだん大きく、声がだんだん小さく。講義とお昼という言葉が聞き取れた。 「お客さんに…
「セミナーでも開いたら案外、お金取れるかもしれない。その話し方」 「納得していないみたいだな、まあ、わからせようとは話していない」 「売る相手を選ぶのに情報を流す意味があるの?」 「私の行動から制約避けるため。抱える案件を常に購買の状態、お客とフェアな立ち位置に取り繕うことで、土地所有を正当化しているのさ。閉鎖性は狙わる可能性が高い。私の趣味が大切だからな」 「ふうん。なるほどね、道楽を最もに上げてるってことか、それで、どうしますか社長さん」かしこまった口調で姪が話しかける、端末を当てる耳代えたようでガザゴソ、音声が伝わる。 「今日中にそっちに帰る。明日以降の予定を組んで、可能な限り個人を別々…
「また銀行から、取引額の確認だってさ。もういい加減一日の取引額の上限を引き上げてって何度言ったらわかるんだか、頭の回路がそっくり抜け落ちてんじゃないの?」 「攻撃性は兄貴そっくりだな」 「何よ、あらたまって感傷に浸ってんのさ、こっちは大真面目もまじめなんだから」 「すまない、口が滑った」 「まったく。いい大人がどうかしてる」 「いい子どもはダメな大人を叱ったりはしない」調月は口の中の飲食物を綺麗さっぱり食道に流す。 「口のうまさは兄弟揃って似てる」姪は明らかに聞こえる息の吐き方を選んだ。 「他に用件があるだろう、銀行のことならいちいち電話をかけてくるわけがないんだ」 「決め付けたように言わない…
「嫌がられませんか、あまりにはっきりと物事を述べることを」 「沈黙を守ってばかりいたので、それを払拭するために反動かもしれない。ただ、私は常にブレーキを人よりも多く慎重にかけたがる傾向のため、やりすぎぐらいがちょうどいいのですよ」 「個人的な質問でした。すいません」牧田は重く顎を引いて、契約に話題を戻した。 それから取引は順調に進み、契約の運びとなった。価格は電話のやり取りの通り、内装費の分を提示の価格から引き下げて、千二百万で折り合いがついた。元々、その倍額でも支払う予定だった、迅速に即決してしまう調月に、牧田は二度、問い返した。公園の敷地と隣の家とに境目に停めた軽自動車に乗り込んで、彼女は…
女性が一人座っている。立ち上がった。曲げた肘には黒のビジネスのバッグが下がる。私は、どこで確信を得たのかはっきりとしないが、公園に足を踏み入れて、数秒目があったとき、おぼろげな感覚がそれに変わった。調月から声を出す。相手が女性だったからではないことを、先に言及しておく。「こんにちは。不動産会社の方で?」「はい。牧田と申します」女性は切れ長の瞳をなくして、そっと微笑を浮かべた。そして、お辞儀。動作は一連でも心が篭っていた。お座なりとは別種の、行動と精神が通い合っためずらしい人物であると、調月は評価する。譲渡相手以外の接見、評価を避けるように努めてきたが、人から離れると感覚が研ぎ澄まされ、感じたく…
「費用はすべてこちらで負担します。それほど土地の所有には価値があるのですよ。マンションで得られた価値は浮いた金銭と一生の住まい。しかし、一軒家の土地を買えるほどの資産を所有する人物には、既に持ちえていたマンションでは琴線に響かない、一般のステータスが引きあがりましたから、そういった方々はもう一段階引き上げた場所を求める。それが、景観の自己所有ですよ」購入者に目の前の土地まで価格に含ませるとは考えていない、相手を納得させるための調月の嘘である。 「はあ、なるほど」まったく理解に及ばないような気のない男の返答を最後に、調月は契約を早急に今すぐに済ませたい旨を根気強く伝え、空き地隣の公園を落ち合う場…
「もしもし、星が丘駅近くの飲食店の売り物件を見て、お電話したのですが、こちらの販売価格を知りたいのです」 電話口の男は、最初こそくぐもった声であったが、咳払い一つで高く営業の、売りを願うさわりのない声に変更して応えた。「少々お待ちください。そうですねぇ、はい、出ました。価格は土地込みで千五百五十万ですね。かなりお手ごろな値段ですよ、個人が飲食店舗を手放すことはまずありません、皆さんマンション建設に土地を高額で売り払いますのでね。ただ、新規の事業を始める方の減少とこの一帯ではマンションの普及は遅れております。オーナーさんはマンションと飲食店両方の価値を残しておきたい意向で、流行といいましょうか、…
老人を残して店を出た。外は曇り空に早代わり、風が雲を引き連れるように運ぶ。犬を連れた人物が足早に通り過ぎて、首輪に繋がるリードをぐっと喉に食い込ませ、躾を教え込んでいた。数歩遅れて本来の飼い主が心配そうに見守る。トレーナーに犬の扱いを習っているのだろう、パートナーであり、ペットであり、家族であり、外では迷惑をかけない性格を重んじる。それを自分に課す選択が頭にはないのだろうな、調月は哀れにそれらの物体が通りすがるのを見送った。足を、手に入れた土地に向けた。 レストラン、ファミリー向けの大き目の駐車場を完備する飲食店の隣にもう一軒、奇抜な深い緑を基調としたログハウス風の建物を見つけた。国道沿い真後…
調月散策は老人に導かれるまま、強まった風を凌ぐべく、一本先、山側とを隔てる国道に出て、交差点の角の喫茶店に場所を移した。真四角の小さな窓四枚で一つの窓を形成、ただそれは引き上がって、テーブルには光を遮断する網戸が映し出した細い光と通過する細い筒に息を吹きかけたような甲高い音が店内に轟いていた。店内はうっすらとBGMが流れて、お客の会話が途切れると音が恥しげに躍り出る、調月と老人は共に温かいコーヒーを注文した。 「すまないな、君を利用させてもらった。ここへは一度入ってみたかったのだよ」腕組み、日焼けした顔で老人は微笑む。左半分が光に当たっていた。屈託のない笑顔である。 「それは一向に構いません」…
「私の場合、趣味が先行しています。しかし、まあ、商売ですから、売れる土地を選んで買います」調月は応えた。 「それで生活は、失礼なことを聞いてしまうが、成り立つのかね?」鼻の頭を掻いて老人はきいた。 「これまでの蓄えがあります。銀行からの融資にも手を出していません。事業とはいっても元手は私の勘と脚力と趣味のアンテナ、滞在費と旅費に食事代。土地が見つからなくても、休日を利用して数日旅行に出かけた、と考えています」 「とても都合のいい解釈だな」 「はい、それはよく言われます」 「家に帰らないのなら、奥さんが文句を言うだろう」 「ああ、私は独りです」 「それは、すまなかった」 「いえ、慣れています。無…
「先ほどからそこで何をなさっているのですか?」老人、くたくたのジャケットを羽織った、飛ばされそうな帽子を掴かみ、もう一方の手で杖を突いた人物が、調月散策の斜め後方から尋ねた。 「ああ、これは。その、花が綺麗だったものでつい夢中になって」調月は照れを装った。相手はここで不気味がるか、植物が好きな人物と確証をもって接するか。それ以外は不遜な表情を浮かべて、立ち去る。 「嘘はいけません、最初から私は見てましたよ。マンションの窓からね」老人は杖の先を宙空に向けた、風による影響は微塵も感じられない、この人の杖ももしかすると装いの道具かも、調月は思った。 「決して、怪しいものではありません。大抵この言葉を…
動植物行動学研究所 所長 調月散策 彼が作った名刺で土地取引とはかけ離れた会社も彼自身が作った。事務所としてそこは荷物を置いてもいて、事務員も一人、たまの応対に雇ってる。しかし、すべてこれらは私の本来の行動を円滑に進めるため、いわば根まし。年に数回、事務所の存在を確かめるべく、連絡をかける人物がいるのである。研究所の実績や実態、近時の活動など、報告を教えてくれ、と半ば威圧的で強制的な人物が多いだろうか。現在、事務所兼研究所には大学生の姪を住まわせてる。好きに使うという約束のもとで、私とはかなり固い絆で結ばれている。彼女は現在は家から通える距離の大学にも関わらず、一人暮らしをしたい旨を両親つまり…
春麗らかな日ごろ、時には突風、時には南風、日が照れば長袖は無用、しかし、雲が出張ると外気温は急に下がって、なんだか忙しい気候であった。いつもと変わりなく、当てもなく、いや、正確にはその当てのために歩いている彼である。調月散策は名前の通りに歩くことに関わりを持つたいへん稀有な人物。一日の大半を外で過ごし、休憩や雨宿りなどの緊急事態以外は屋外で時間を過ごす。本人にとって、それは本望であり、屋内における行動の重要性は低い。これに対して外に出れば、何かしらの出来事が待つ、と彼は常々感じている。自分からまずは、向かう姿勢に身を置いて、それから対処に当たるという、手法である。聖書で確か似たような言葉を読ん…
㍶の躍動を停止。痺れそうなお尻を労わって、屋上に出た。誰かに見られる可能性をはらんでいるのに、私は空がそれでも見たくなったの。月が出ていると思っていたのに、星も見えない。星を見るために、自然を求めに住まいを離れるんだって、おもしろいね。矛盾だよね。今の場所が居づらさで満載なのに。町の明かりも見える。人が住んでいる証拠、昼には拝めない、生命の営み。明かりで大勢を想像してしまえる、だから言ってるじゃない受け取り手の問題って。 私はいつも驚きたいんだ。 月が出ている時に、夜に空を見上げて、運の良さをかみ締められたら私は救われる。 そして、また見つけたことを忘れられる。 月が出てきた。隠れた雲からご挨…
「わかるかな。ただの自己満足から、作り手に変わって、生活をつないだ。求めるものを、さらに段階を引き上げた先を作り出して、提供したんだ。仕事とおんなじさ。同じものだったら、変わったほうをぼうけんとして選ぶだろう。それが価値になって、身しにしみて、強靭にそして周囲にばら撒き、一人歩きさ。またはなしが脱線。いけない、いけない。進めないってことじゃないよ。ひらがなだとむずかしいね。町のことね。どのぐらい人が住む予定なのかを知りたいですね。まんべんなく住まいとしせつとしごとばとをはなして、それらを公共の交通で結ぶの。冒険は少ないのよ。そこも求めるの?うーんん、むずかしい注文。切磋琢磨と安定は共存しないの…
私は文面を読み込んで、返信を書いた。 「お手紙ありがとう。読みにくいかもしれませんが、私の思いが伝わるようにここからひらがなを多用することをご了承ください。あたらしい町をつくり上げるのはとてもむずかしいです。楽しいですけれど、かなり大変。どこに建てるのか、それを知りたいな。だって、町はよっては気温とか、気こうとか、求められる要望はちがってくるでしょう? それに人口だってもうこれいじょうはふえないんだから、むりやり詰め込むような建物は必要ないと思うんだ。また、たぶんだけれど交通機関も車から公共交通の利用に切り替わるんだろうね、それは排気ガスや環境のためじゃないよ、乗る人が少なくなって、需要が減る…
物資が実店舗に赴かなくとも自宅に運ばれる世の中。それはこことまったく同一だよ。問題なく機能している、これまでが必要なやり取りだった会話や意志の疎通は獲得のために必要だったからで、十分条件でないのなら、あえて取り入れることもないのさ。隔離を擁護しているわけではないよ。早とちりで困る。最後まで読まないと。あなたの視点で物事を観測する癖を早く捨てなくては、どうして文字を追っているのか、そういった疑問に行き着かないの。責めてはいない、考え方を変えてほしいとも、言ってない。批判のあなたをもう一度つぶさに几帳面に観察して、ばらばらにパーツごとに解いて、組み立ててみるがいい。時間がない?これまでのあなたが大…
室内を探検。植物が生えている。機械が動き回って、あれは管理をしているのか。栄養を与えて、根が張ってるのは半透明な固体である。触ろうとすると、機械が近づいて警告を発する。赤いライトが怒りを表しているのか、やはり作ったのは人間。つまり、人がここへ入る事も想定済みだった。ワンフロアが、野菜で敷き詰められた空間。手の届かない天井付近に、蔓を伸ばしたトマトの実を見つける。ジャンプしても届かない、それにまた機械がレールを走って接近。手を挙げて無抵抗を合図。表情がなくても感情を識別する能力は、こちら側にあるのだ。つまりは、受け取り手の機能。それを機械の製作者は感じていたのだろう。 網網の床をしゃがんで覗く。…
だって外は私だから。翻って、考えて、取り込まれる前のまっさらで純白でビー玉みたいな瞳で私は世界を見たかったの。私がそこに少しでもほんの僅かにつま先でもはみ出したら、色がはみ出て染まってしまうの。 私の突拍子もない荒唐無稽さがどれぐらいに共感を得るのか、確かめたいんだ。これまでも仕事はしてきた、答えるため、微かに私を挟みいれたていた。それはでも、本来の私ではない。そういった仕事はごく限られた人にしか、与えられない権利だと、私はずいぶんと思い込んでいたんだ。しかし、よくよく考えてみると認められることは、既存の枠を延々たたき続けた人にしか渡らないのでは、そう思い始めたのだ。つまり、予定調和を破った先…
食料は潤沢に備えた。生活に困る必要はない。私はここで仕事を受ける事で生きられる。外に出る、という選択肢も考えないではなかった。生活に多少の貼りは必要なのかもしれない、と思い至り、方角を変えたのだ。室内への侵入は簡単だ。備品として運ばれれば良かったのだ。息を止めていられる時間もそれこそ、エレベーターで上階へ運ばれる、その間の辛抱。不測の事態に備えて、食料と水と酸素を抱えてはいた。自転車に乗り換えたのが、功を奏したようだ。目くらましに最適だったようだ。カメラの前に車をわざと止めたと、どうして疑わなかったのか、それが私には非常に信じがたい事実でもあった。しかし、予測して現在の私の居場所へと安全に移動…
鈴木の問いかけは数秒の無言から、数十分の沈黙にかき消され、車内はそのまま音を失くした走行に移った。 バイクを最近ではよく見かける。風を切る錯覚におぼれ、果てしなくただ遠くを目指して走る、車とは異なる臨場感が現実世界の生と死を安全側に立って体感したいんだろう。 ハンドルを切ってしまえばいいのに。 ブレーキを握ってしまえばいいのに。 ガードレールに直進すればいいのに。 生きようと願ってるばかりではないか。 いっそのこと彼女のように殺めてしまえば味わえるのに、こちらの世界が恋しいらしい。 夜でもない朝でもない境目が好きか。 私は黙って明日まで待つだろう。 一過性だから憧れて、取り込まれるんだ。 車線…
「何が?」 「試したいことです」 「曖昧だね」 「またはこれからのために余白をあけておいたのでしょう」 「ああ、うん、そうか。また新しい部署ができるかもしれないからか」鈴木は別の疑問を提示した。「そういえば、配布されたCDは、本当に社員全員が聞いていたんでしょうかね」 「監視する者がいたとは思えない」 「そうです。個人的な仕事をこなす、そこにただ他人を監視する仕事をわざわざ設けるとは、ちょっと考えにくい。かなり個人の裁量と良心に任せていたんですかね。仕事に活かしていたのはごく少数じゃないかと思うんです」 「理由は?」 「気分が乗らないとき曲を聴くと自然と例えばですけどデスクに向かっての作業でし…
「階段に凶器を残した理由はなんだったと思われますか?」 彼女は優雅に振り返る。片手には半透明のポット。「見つけてほしい、あるいは見つかって、いつか誰かが自分を探してくれる、そういった矛盾に満ちた動機。かわいらしいものを見ると、つい手の中で潰したくなる衝動に駆られませんか?かわいいと言ってくれると同時にその姿を消し去ってほしい。刹那の願いです。泣いて笑うのとも同じかもしれません、同時に二つを楽しみたかった。社長を殺害した動機は明確にはなりません、いくら彼女に成り代わってそれは無意味。意味を成さないことを認める度量がなくてはね。広かったのですよ、一般的な指標や意識よりも彼女は。社長さんはそれに気が…
熊田は種田の問いに応えた。「玉井タマリはエレベーターを使うつもりだったんだよ。最後の一人になって手間取って、支度を遅らせて、エレベーター内の凶器を回収しようとする。身体検査には硬質なコンクリート片は建築デザインの材料のサンプルとでも口実をつけただろう、しかし、私は彼らにエレベーターは点検のため止まっていて利用できない、と告げた。ただし、それは玉井タマリ以外の三人にだけで、彼女には点検は黙っていて、階段を利用するようにと伝えた。凶器はまだエレベーターに隠してある。不審に思われるのを覚悟で、とにかくビル外への脱出に彼女は目的を切り替えた。そして、エレベーターを上階まで動かし、回収、そして階段の鉢に…
「その時点で警察が来ていることは知りえた。なぜ、凶器を別の場所に移さなかったのでしょうか。業者がメンテナンスに取り掛かるまでに時間の余裕があったとはいえ、凶器が見つかれば熊田さんの指摘で彼女は窮地に立たされます」 「緊急的な隠し場所としては確率が低く、ましてメンテナンス業者の動きをあの時点、つまり殺人を他の社員に隠している状況では止められなかったのは事実だ。そこまで計算していたのかは、まあ、判断は難しいけど、メンテナンス業者が作業に取り掛かる日にちぐらいは計画的な犯行だったならば、知っていて、犯行計画に組み込んだ、と考えてもおかしくはないよ。たとえ、エレベーターが調べられたとしても、それは犯行…
「玉井タマリは証拠品を持ち出さずに階段によけた観葉植物の鉢にコンクリートの破片を隠したってことですよね?」鈴木が言う。「だとするとですよ、バッグの中身を調べただけの持ち物検査では引っかからなかったわけですから、エレベーターでわざわざ上階に昇らなくても、とは思いませんか」 「同フロアに安藤アルキが所属してます、フロア内に隠す場面は見つかる可能性が高い、また不審な行動に取られます」顔は正面を向けたまま種田が熊田に投げかけた鈴木の質問に回答した。 「だけど、上階に行ったほうが怪しくはないかな。だって他の社員は帰ったんだし、フロア内は想像だけど広くても互いの位置関係はわかっていると思うんだよね」 「熊…
崩落した橋が復旧工事の作業に終わりを迎えたのが、それから約一ヵ月半後。日夜急ピッチで行われる作業に動員された数は約二百名前後、それほどの重要な交通を支える道路及び橋であることが再認識された、今回の事故である。今述べたように、事故として警察は受理した。専門家や国の調査機関を交えての会議で出された結論は、故意な崩落を誘発する兆候は崩落した橋の破片採取によってもはっきり明言できる断定には至らず、調査は新たな橋の完成が近づくにつれ、真相の重要性が徐々に低下していったのであった。調査委員会も橋の老朽化による崩落との位置づけが妥当な回答である旨を提示、広く国民を安心させる目的も含んだより良い見解が求められ…
喫茶店 四月二日及び四月中旬 事件発生から長い一夜が明けた翌日。早朝にO署警察の第一陣が大挙として海岸線のビルに押し寄せた。大挙とはいっても高々十数人であるが、O署にとってはR川に架かる橋の崩落に人員を割いた緊急時、相当の決断を上層部が決め込んだ増員と思われる。橋については、少量ながらも車の流れは確保され、住宅街にとどろくクラクションを抑えるために警官が裏道の通りに立ち、運転手の機嫌を宥めるのに必死だときいた。 真っ先に回収した欠片を鑑識に回すように、それから四名の所在の早急な確認をもれなく伝えた。熊田は街頭が消えた、美弥都が置いた無線機を回収して、散歩がてら、防波堤に沿って歩いた。大型犬を連…
「……やっとこれで刑事さんも気が済みましたよね、僕らが犯人じゃないって」安藤アキルは晴れやかにこけた頬で笑った。 四人は地下に降りて各人の所有車、安藤は自転車で、帰宅していった。 箱の内部で、熊田は天井を調べる。作業員が一人三脚を持って天井をあけてくれたのだ、もちろんなにも見つからない。十階で降りなかった理由は、凶器をこの階で見つけるためである。熊田は十一階に降り立つ。案の序、階段の踊り場に不自然な観葉植物の鉢が見つかった。手袋をはめ、土を掘り返す。植物は表皮がはがれかけた南国の佇まい。初めてお目にかかる品種である。指先に感触、水を土全体に行き渡らせるための軽石にしては、形状が大きい。取り出し…
ビル メンテナンス業者に頭を下げて、取り掛かった作業を中断させた。熊田は端末に出て、五階の社、四階の武本、三階の安藤と玉井にそれぞれ連絡を返す、エレベーターを使用せず階段で降りてくるよう要請した。日井田美弥都の発言は、とにかく正しいと信じる。……はたして、あの人物は予想したように行動するだろうか。熊田はエレベーターの階数表示を見つめる。作業員の悲痛な視線を浴びつつも、犯人の逮捕が先決である。階段に凶器を隠している、と熊田は事件を把握しかけた当初は考えていた。六階のフロア侵入のための乗降解除を行い、階段に通じる非常ドアを開けて凶器を大胆に隠したのだと。しかし、乗降解除はエレベーターの停止が条件で…
「みすみす取り逃がすことは私にはできない。何か別の手段を用いて、拘束を引き伸ばせませんか?」 「相手は、考え抜いた末の行動に踏み切った用意周到な人物。最終的な行動、つまり最悪の選択も予期していたに違いない。凶器は既に持ち出されたか、まだビル内に隠されているか。それは私にも予測は難しいですよ」 「しかし、彼らの中の誰かが殺害を犯した!」熊田は訴える、憚りもなく声が高まり、多少上擦った。 「……殺害の理由が知りたいのでしょうか、それとも犯人を捕まえたいのか。その両方を一度に、それも同じ網で掬い取ろうというのが、そもそもの誤り。逃げたいのではありません、確実に予定の九割は完遂してる。もう、犯人は覚悟…
外 「橋の崩落は偶然の産物だったのか、という箇所に話は行き着きます」日井田美弥都は顔の半面に影を形成、こちらの一歩手前と一歩後をあわせたような不思議な安心感をただよわせて、事件を紐解いた。それは熊田の推理となんら代わりのないものに近かったが、彼女はあまりにも鮮やかに回答を明示したのだった。「あくまで想像ですし、これは何の根拠も持たない。事実をつぶさに観察し、解き解して、それでも、ろ過しきれない道を私は話します。まず、被害者は現場で殺されたと考えて間違いないでしょう。セキュリティが厳重なようです。フロアに下りるのにも許可が必要で、しかも当該担当の部署フロアしか許可を得ない限りは自由な乗降が禁止さ…
「前置きを言いました」 「そうだった。橋の復旧はそっちで何とかがんばってくれ」 「応援が必要ならば、一人ぐらいはそちらに向かいます」 「必要ないだろう。後は頼んだ」 呼吸を助けるように煙を吐いた。外は真っ暗に。闇に包まれて、波の音がここまで届きそうだ。錯覚。海沿いの街頭に虫が群がり始めた。もう暖かさを感知したのか、先月まで雪だったのに。 玉井タマリが犯人だと確信、いいや話の流れで彼女が事実を隠してると核心したのに、どうにも後一歩の押しが足りなかった。将棋ならば、ここで形勢逆転。隙を突かれ、がら空きの陣地から今度はこちらが窮地に立たされる。何か手はないのか、引き止めておく材料は残っているだろうか…
「わからないから、聞いている。わかっているのに質問するような余裕を見せた覚えはないが」 「そうでした。すいません」 「種田の意見を聞きたい」 「……持ち去られたのですか、それともはじめから確認されていない、または以前の置き場所を覚えていた」 「元々室内にあったものではないようだ」 「情報が少なすぎます。正確な情報がなければこれ以上はなにもいえません」 「室内の調査はS市に頼んだ」 「犯人の目星は?」 「あらかたついているが、決定的ではない」 「凶器が鍵ですか」 「そういうことだ」 「所持品の検査はとっくに行いましたよね?」 「いいや、手元に隠せるほどの形状には思えないからな」 「では、大掛かり…
六F→地下⇔外 行き当たりばったりでは、やはり行き着き先は行き止まりがオチか、熊田は表情にゆとりを取り戻した社ヤエもデスクに戻るように会議室から送り出した。凶器。熊田は凶器の在り処から事件を捉え直す。隠し持って登場するのであれば、コンパクトに服に隠せる形状、元々社長室にあったものか。社長室の物が無くなっていた、という事実確認が不可能だ。室内に物は少ない。また、社長室への出入りは社長のみが許されただろう。凶器の断定にはやはり鑑識の結果が必要なのか、あまりというかこれ以上頼りたくはないのが心境である。背に腹は変えられないにしてもだ。 もしも私が犯人であったなら、凶器はビルの外に持ち出すはずだ。警察…