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空港に着いて 今までは到着すると すまんの、と言いながら座って待っていてくれた父はもういなかったお迎えがなく1人路線バスとタクシーを乗り継いで帰ったのは 初めてだった 3000円ほどかかった想定はしていた事だったけれど 実家の交通の便の悪さを痛感したこの日は訪問看護や介護の人が入り、ベッドマットなどの交換があった家の前では私と面談希望した訪問看護と介護ステーションの代表者の方が待っていた見慣れない景色 物々しい非日常の実家の風景に いよいよだと気を引き締めた家に入ると手洗いうがいし、 父のところへ行った「弱ってしもうた」なんとなくバツが悪そうに 第一声、そう言った今でもその場面は忘れる事ができ…
何もかもできなかった 父が癌と診断を受けて3ヶ月あまり。本格的な抗がん剤治療が始まり、 進む方向が見えてきました。 父との時間をゆっくり過ごそうと お正月に帰ってみたものの、 体力や元気をなくし 体重も減ってしまった父を なかなか受け止められずにいました。そして、物で溢れ返り 掃除もほとんどできていない実家を放置できず、 片付けと掃除に終わった帰省でした。帰省の間、夜中になると何度も1人で泣いてしまいました。家族が病に倒れるということ 一家の柱だった(亭主関白の古風な家庭でした)大好きな父がいずれ亡くなるということ頭ではわかっていても 心がついてきていないようでした。 母との埋まらぬ価値観の違…
2月24日 抗がん剤3クール目再開 骨髄抑制の副作用で休薬の後、 抗がん剤治療を再開したのが 2月終わりでした。 この回は、前回までの副作用をふまえて、 薬の量を調整し減らしたそうです。 結果は しばらくお休みしていたせいか、 かなりしんどかったそうです。 反動といった感じでしょうか。やはり吐き気がひどく、食べ物を受け付けないようでした。 そのかわり 休薬期間の間が2週間あったので、 身体が少しは楽になったようでした。そして、近くの温泉にも行ったようです。ずっと行きたかった隣町の蕎麦屋さんにも車を運転して行けたようでした。 そして蕎麦を1人前食べることができたと。それでも無理をしたせいか、次の…
1月13日 1クール目の抗がん剤治療が始まりました。 1クールは3週間です。 そして初めは入院するため、面会禁止です。 13日に1回目の2種類の抗がん剤を点滴で投与しました。 20日に2回目の抗がん剤を同様に投与。 そして1週間は休薬期間。 このサイクルで1クールです。詳しい薬の名前は知りませんが、おそらくこの治療だと思います。 ゲムシタビン・シスプラチン(GC)療法:2種類の抗がん剤を3時間かけて点滴で投与する治療法で、週1回で2週連続行い3週目を休む、3週間1コースのスケジュールで繰り返します。シスプラチンは腎臓に障害を起こしやすい抗がん剤であり、2L程度の多めの点滴を必要とします。 ・当…
腹水を抜いた ステントを新しく交換し、 その後おも湯から食べられるようになり、 退院日が決まりました。 13日の金曜日です(-。-; その1日前に 退院おめでとう電話をしました。 そうすると、 「腹水抜かれたぜ」 と父が言いました。 「うそ……」 前から、 腹水が多ければ、入院して強めの利尿剤を使いながらの 腹水治療をする、という話は出ていました。 もしくはそれでもダメなら最終的には抜くしかない、 とも言われていました。 その判断をするための、 エコーの予約もしていたのですが。 それより前に入院になってしまったのです。 それでも、 まさかステント交換で絶食になり、 体力も落ちている状態で、 腹…
そして夢を見ました 前述した夢の記録。 息子と話した15日の日曜日の夜、私は夢を見ました。 その話をしたら、 なんと息子もその同じ日の夜、 夢を見たと。 その内容もしんどいもの。 トイレで父が吐いていて… それが広がっていて…と その話を聞いて、すぐ実家に帰ろうと思いました。 緩和ケア外来に電話 17日の火曜日、本来なら入院していた病院で抗がん剤治療の日でした。 でもそんな退院したばかりで体力も落ちてる。 抗がん剤なんてできるはずない、思っていました。 やはり父は前日の月曜日から体調が悪化。 トイレも1人で行く事が難しくなってきていました。 そして火曜日の診察も、往診してくれたかかりつけ医が主…
下書きしている途中でしたが、 記録として残しておきます。 ステント交換まで胆汁を出す 溜まってしまった胆汁を出すため、 また絶食に。 緊急入院し、 即その日に古いステントを出し、 胆汁を鼻から出すチューブをいれ、 その後はナースステーションに1番近い個室に移ったようでした。 5月2日に電話で話す。 また弱ってしまったと言う。 5月3日に 千葉から数年ぶりに兄がやっと帰省。 少しだけデイルームで面会できる。 今後のことなどお願いしていたよう。 ただ、兄は初めから無関心で、 今回の帰省も私に促されての面会。 でも一緒にやる予定だった、 夏野菜の苗の植え付けを頼まれて 母と2人でやったようだった。 …
記録が追いつかないまま。 父、永眠しました。 夢に出てきて4日後に帰省。 その3日後に亡くなりました。 息子も私が夢を見た同じ日、 父の夢を見ていました。 具合が悪くて、実家のトイレで 吐いていて 吐いたものが床に広がって… という夢だったそうです。 退院して1週間でした。 最後に会えて触れたこと 最後まで話ができた事 入院せず家でそばにいられた事 ありがとう 最後はしんどい思いさせて ごめんね でも そばにいられて 触れていられて たくさん話してくれて お葬式やお墓の事も言ってくれて ありがとう あの3日間で 分かり合えた気がします これから強く生きていけると思う ありがとう お父さん にほ…
発熱から緊急入院 私が自宅に戻った4月上旬から1か月間。 ゲムシタビンを3週続けて打ち、1週休んだのが4月18日の週。 その間、畑を母と2人でやったり、 一度は外食をしたようでした。 ただ4月14日の3週目の抗がん剤治療の前、 採血で白血球が下がりギリギリのラインだったようです。 しかし父は腹水が溜まるのが嫌なのか、 治療を受けると言って受けたようでした。 休薬期間中に体調も戻るかと思いきや、 しんどいと言って寝ている日が2日ほどあったようです。 それでも、 4月28日の次クールの1回目の抗がん剤治療前の採血で、 白血球の数値も戻っていたので、 普通に抗がん剤治療を受けて帰りました。 抗がん剤…
腹水がたまる 3月23日にCTをした結果、 癌の方はあまり変化なく、 それほど大きくも小さくもなっていないようでした。 そのかわりに、 腹水がかなり溜まっていることがわかりました。 腹水がたまる、 この事実はかなりショックな事だったと思います。 4月はじめに旅行に行く予定だったそうです。 少し遠いところに思い切って宿を取ったと言っていました。 最後になるかもしれない桜を、 母を連れて見にお出かけしたかったのだと思いました。 それも、キャンセル。 腹水=末期 そんな覚悟をしたのだと思います。 私は旅行に連れて行ってあげたくて、 運転するために帰省しようかと思っていました。 それを言った時、 「バ…
おとうさん、冷たいよ 昨日の夜、父の夢を見た。 父が病気になって 今までも何度も見ていたけど、 夢に現れるのは たいがい父の調子が悪い時。 それか悪くなる前兆。 こちらに来た父の顔を見ると アザのようなものが顔半分に広がっていて、 それが緑だった 緑に変わっていった たまらず抱きしめたら 父の身体はとても冷たくて おとうさん、冷たいよ そう言ってギュッとしたら、 おとうさんは抱きしめ返してくれた いつ以来だろう こんなに抱きついたのは 父もギュッとしてなかなか離してくれなかった そうしたら、身体がだんだんあたたかくなってきて あー良かった そう思って目が覚めた しばらく寝付けなかった 今日の昼…
実家に2週間ほど帰っていました コロナ禍の中、前に帰ったのは2年前。11月中旬に胆汁が詰まり肝硬変で入院。 検査をして肝内の胆管が癌だとわかりました。 かなり広範囲に浸潤していて、手術も不適応。 リンパにも及んでいたので、ステージはⅣくらいだと思われます。(言われてないけど) 帰省してやった事 はじめの5日間は、男手があったので(夫と息子) 2階の大物、パイプベッド(私の1人暮らしの時の持ち帰り品)やでかいスーツケースなど含めて、 ドロドロのホコリだらけの不燃物を市の不燃物工場へ運びました。 45リットル袋30袋以上はあっただろう…(山の中まで3往復)片付けられない人と化した母親は、物を溜め込…