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(挿絵:髭に対しても税を取る税吏)『絶対主義の盛衰世界の歴史9』社会思想社、1974年7西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革4税金の雨不断の戦争と、常備軍の増大によって、軍事費が莫大な額にのぼり、国庫は底をつき、財源も枯渇(こかつ)した。そこでピョートルはさまざまな新税を考案させた。そこで「利得発案者(プリブイリシチク)」という新しい専門家が登場することになった。国家に利得をもたらす方法をあみだすことが、彼らの職務であり、名案をだしたものには褒賞(ほうしょう)があたえられ、またそれが出世のいとぐちにもなった。たとえば、クルバートフという男は、もと農奴であったが、主人にしたがって外国へ行ったとき、印紙税のことを知った。帰国すると匿名(とくめい)の手紙でピョートルに「鷲(わし)」印紙を提案し、その結果、年三十...9-7-4税金の雨
(挿絵はピョートル大帝)『絶対主義の盛衰世界の歴史9』社会思想社、1974年7西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革1文明開化のはしり十七世紀ロシアで、アレクセイ帝(在位一六四五~七六)の宮廷に、日給一・五ルーブルで、歴史家(年代記編者)としてつかえたユーリ・クリジャニッチという人物がいた。すぐれた学者であったが、幼時を孤児としてイタリアでおくり、カトリック神学校を卒業したのち、ヨーロッパ各地を遍歴し、最後にモスクワにやってきた。彼はここを「第二の祖国」として愛好し、スラブ語を勉強して、その文法や辞典を著わしたが、またスラブ族の統一を主張し、のちの汎スラブ主義の開祖ともなっている。しかしやがて「現行制度を批判した」という理由で、とつじょシベリアへ流刑となり、そこで不幸な十五年間をおくった。その著書のひとつ『...9-7-1西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革