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大会自体は、11月17日午前11時20分開始でユーチューブ配信していましたから、もうたくさん方がご覧になっているのかもしれませんが、私の場合は、あえて昨日午後にNHKで編集した放送が行われるまで、待っていました。 高専ロボコン公式HP https://official-robocon.com/kosen/ 理由は、それ以前の各地方大会の予選放送が、12月10~12月13日の一週間にわたり、深夜のNHK番組で全国大会結…
AWXアンテナ分析(5)_2.3倍波(一辺0.567λ長):85.1MHz対応改良モデル(2)【水平パターン・ベスト】
2倍波と元の3倍波の途中の大きさモデルに「これぞ、AWXアンテナ」と言えるモデルが存在するのでは?と試行錯誤を続けた結果、一応納得ができるモデルに到達できたと思います。 ※細かい部分を微調整で、2.5倍波よりもパターンのきれいさでこちらのベストモデルとしました。 2.5倍波の場合、21.15m高リアルグ…
AWXアンテナ分析(3) 3倍高調波励振:85.1MHz付近受信専用アンテナ動作
なぜ、昔からAWXが「高利得アンテナ」だとアマチュア無線界で評価されているのか?は、この3倍高調波励振動作を指しているのかもしれません。 ただ、都市伝説的なところも否めません。というのは、DP,LW,ZEPP,果ては、スローパーアンテナですら、3倍高調波励振すると高利得が得られると過去のCQ誌記事でのアンテナ製作・使用レポート等において、堂々?と公表されていることが、その要因でも…
AWXアンテナの実態をネット情報で探るも、詳しい解説されている情報が見当たりません。V,UHF(144/430MHz)共用アンテナとして利用している模様ですが、そのデータ解析の詳細は公開されておりません。 (未確認情報) AWXアンテナの歴史的使用例に関してもネット情報では、よく判りません。過去の何かの資料の記憶だけですが、元々は、海外向けHF帯固定通信用のアンテナ群(カーテ…
自作アンテナのルーツ(5)3本の竹竿組合せ85MHz,FM放送受信用AWXアンテナ
こちらは、香川県の西部地方の(当時)詫間電波高専の寮の屋上に設置した自作アンテナです。1975年の時期は不明ですが、4年生の時になります。鉄筋コンクリート造4階建の屋上には、周りを囲むように手すりがあって、自分の部屋のちょうど真上に当たる位置に設置しました。 (本論) アンテナの概要は、長い目の竹(5m程度)1本を縦方向とし。少し短い竹(4m)2本をそれとは直交するよう…
(青春物語#5)おまけ編:傷心旅行とその前後のイレギュラー・デート
前回の一人っ子美人からの連想です。(青春物語#5)での変則な(イレギュラー)デートをしたことを思い出しました。 (本論) albumの君#3の彼女と別れた後の間近にK君のお相手だったYさんと二人きりで喫茶店でお会いしたのです。その頃、K君とYさんの交際は、止まっていた時期だろうと思います。ですから、Yさんは私とは浮気的に会ったのではありません。 理由は2つあると思い…
技術談(3)電子制御技術専科(近畿管区編):JPHC題からスピンアウト
技術談編の流れでは、平成7年時期まで一気にトリップしてしまうのですが、JPHC話題中に紹介した「電子制御技術専科」について、触れておきたいと思います。 https://jo3krp2.seesaa.net/article/502820092.html (本論) この話題で挙げた専科は、過去には東京都中野区にある施設で毎年執り行われていた学科です。私は、昭和61年7月中の実施時期の時に初めて、東京都中野区の施設に…
今回の青春物語等の写真アルバムから見つかった、アマチュア無線関係写真を見つけたのでこちらを公開します。 (記) それは、1979年(昭和54年)3月31日、和歌山県教職員組合が経営しているホテルの一室での宴会です。その集合写真の後ろの幕には。「JPHC和歌山クラブ/第一回グランドミーティング」と表記があります。 JPHCは全国規模のクラブで、おそらく、中央の組織は JP…
(技術余談)公務編(3)ラジオ放送周波数(9KHz単位へ)一斉変更(3)ラジオ回路の故障発覚と荒業修理奮闘【完結】
今回が、この余談テーマのメイン部です。周波数変更は、旧水晶片をソケットから抜き出して、新しい水晶片を差し入れるだけの作業ですから、それは、別に無線技術者でなくてもできる作業のはずだった。ところが、現実は・・・・。 (本論) 和歌山市内の現場機器は、かなり旧製品となっていました。また、製造メーカーも何社かに別れていました。そして、製造年代ごとにラジオ回路設計…
今回も言い訳になりますが、あのような多忙な事態となったことなどへの背景説明をさせていただきます。 (本論) 1.複数女子たちと同時にデートとなった事情 私達(前回の彼と私)は、他所のいろいろな場所でたくさんの女子達と知り合ったのではありません。全ての女子達は、詫間電波高専のキャンパス内で、しかも、「電波祭」文化祭の開催時期に限られたからです。 ですから、…
(青春物語#4_前置)学生時代と社会人以降の女性からの(私への)男性観変化(1)学生時代編
これは、勝手に「たぶん、こうだったのんじゃないか?」(チコちゃんからパクリ)との推定(または、仮説)話ですから、全く正論とは言えません。そこは、適当に流してください。 また、今回の部分は学生時代の自慢話かのように描かれていると感じられると思いますが、かなり、控えめに表現したつもりです。行われた事実に嘘偽りはありません。 なお、今の私の風貌・姿からでは、想像…
(物語#3-3)Last SpinOff story (3)同窓会再会の別女子へ交際申し込み
今回で中学校クラス同窓会からの記憶は最後です。ただ今回の話は私の恋の挑戦への失敗事例です。というか、デートまでも到達できていないのですから!。まだ、この時は、初心者マークの拙い状態だったのです。 ただ、今なら言えるのは、【恋への挑戦はチャンスがあるのなら、何度でもトライするべき!。】です。やらないよりもやって失敗だったとしても、その失敗が次の成功へと繫がること…
(物語#3-3)からのスピンオフ(1)中学校3年生時代の初恋相手への告白手紙とその後
前回の#3-3の主旨は、かつて、ある時期盛んに行われた大池遊園のボート遊びでの男女の(秘匿)目的を露わにすることでした。おそらく、大池遊園関係のネット検索では出てこない情報だろうと勝手に判断してのことなのです。 ただ、私としてはそのネタ振りに利用した中学校同窓会からの連想のほうが、ショックな過去を思い出してしまいました。今回は、スピンオフ編として、そちらをテーマと…
(祝)男・女共世界卓球団体戦8位以上でオリンピック出場獲得!&卓球が取り持つ妻との縁
昨日のTV東京系で生中継された標記のことは、たぶん。たくさんの方もご覧になって、ハラハラドキドキの瞬間だったと思います。終わってみれば、どちらも快勝と言える試合だった。試合は、まだ上位決戦となっていくので、さらに健闘していただきたいと思っています。ここでは、男子・女子チーム共にオリンピック出場おめでとうございます。 (私的卓球のつながり) 私も卓球経験はけっ…
前回お知らせしたように、遠隔操作技術を習得できた過程での出来事紹介は一次保留です。それに替わる内容が今回の昔の船舶無線局の送受信設備での遠隔操作概要です。 昨日、速報で紹介させていただいた、最新機器IC-PW2と比べるとその大きさの違いに驚きます。でも当時はこの大きさが業務無線では当たり前だったのです。 また、動作騒音も全然違います。自然空冷管を使用していましたが、それでも相当動作音がうるさい…
余談(7)NEAC2200アセンブラで開発(5)当時の日本国内のコンピュータ事情
これは公式の記録ではありません。あくまで、その業界の一番の末端から見た日本国内情勢です。ただ、詫間電波の同期生たちは、この業界でそれぞれ頑張っていました。彼らからの伝聞情報もこのベースとなっています。 (本論) 当時の国(通産省:現経済産業省)の意向で、日本企業に食い込むIBM(ビッグブルーと呼ばれていました。)の進出を阻止しようと各社が社運を賭けての戦いを仕掛けようとしていた時代であったので…
(総括)詫間電波高専時代の学生生活実態(1972年4月から1977年3月の5年間)
今回のブログ記録だと他校の女子学生たちと遊び惚けているばかりの感じに受け取られそうですが、実際の生活はまったく違っています。 今回紹介した内容は、5年間の学生生活のほんの一瞬一瞬だけを切り取った出来事です。実際には、授業カリキュラムに従った勉強に追い立てられる毎日が日常です。高専は(おそらく他高専も同じ状況)詰め込み授業で、アルバイトなどはできる余裕はあ…
(最終)就職活動編/詫間電波高専5学年/NEC日電ソフト㈱入社試験とある女性との結末
今回の主題は、就職活動が合格で完了となったことではありません。それと並行して繋がりのあった、ある女性とのデリケートな関係にあります。人生でもしも・・・があるとしたら、きっとこんな出会いからなのかもしれません。 (ただ、今ならできる冷静な判断でも) あの時の一瞬の決断はお互いの将来にとって良い結果となりました。 できるなら、彼女に再会してみたい気持ちは今もあります。そのとき、きっと「あの時…
オーディオ時代編と同じ1976~77年初期ですが、別の切り口での学生時代の最後の学生活動を振り返ります。余談ですが、今朝のオーディオ鑑賞は、坂本冬美「Love Songs II ~ずっとあなたが好きでした~」アルバムから「安奈」を聴いていました。昨日の記事の影響を受けたようで、久しぶりに聞く、この曲に遠い思い出が重なりました。 今の自分からみ…
(最終)私的70年代事情(7)1976年(4)第二回レコードコンサートと後談-FM放送出演ほか
1976年11月、土・日の二日間に電波祭が催されました。今回のレコードコンサート会場となったのは、学生棟の通常の授業教室でした。広さはまずまずあるのですが、天井高が低く、周囲との遮音もとれていない等、音響特性など考慮されていない環境での開催となりました。 今回調達できたSPはヤマハNS-1000Mの1組だけとなって、多数のお客さんに観にきてもらうには魅力が足りません。そこで急遽対策を練りました。結果、採用…
(補正)私的・・・・1976年(3)・・・・最後の文化祭季節に至る事情を年代校正
前回記した思い出内容に出来事時期でのいくつか錯誤があるようです。今回が絶対正しいと自信はもてないのですが、一応、1974年(昭和49年)~1976年(昭和51年)までの電波祭行事とその他の私的関わりを整理してみました。 (本論) ① 占い模擬店開催:1974年秋頃で当時高専3年生の時です。当時もオーディオ趣味は始めていましたが、文化祭催し計画はなかった。上戸学園女子短期大…
私的70年代事情(6)1976年(3)学生最後の文化祭季節(1)JA5YAA女子部長ほか隣接校生達の出会い
こちらもオーディオとは関係は無いのですが、学生生活の良き思い出として記録に留めたいと思います。以前紹介した文通関係でなく、直接顔を会わした女子たちとの私の学生時代の数少ない交際記録の一部です。 (本論) 当時、私の詫間電波高専学校での役目は、 ① 学生会執行部で書記役 別に学校の政治的活動に興味はありません。ただ、寮での同室者が学生会会長だったのが理由で…