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#レビ記22章のブログ記事
  • 2022/07/13 19:53

    神の聖さを悟るために ⑤(レビ記22章)

     主に感謝のいけにえを献げるときは、あなたがたが受け入れられるように、それを献げなければならない。その同じ日にこれを食べ、朝までそれを残しておいてはならない。わたしは主である。あなたがたはわたしの命令を守り、これを行わなければならない。わたしは主である。(29~31) 主に捧げたものを頂くことは主の振る舞いである。それは主の食卓に招かれた宴会であり、余さずに食べ切れるように人々を呼び集めて、気前の良い主の御救いを共に味わい喜ぶ歓喜の時である。 主のたまわりものを明日に取り置くことが出来ないのは、恵みは日ごとに新しく備えられ、「今日は何をたまわるのだろう」と朝を待ち望む者を育てて、一人ひとりに準備してくださった今日の備えを受けるためである。 それらの日々に在っても、自分の足りなさや弱さによる失敗は常にあるが...神の聖さを悟るために⑤(レビ記22章)

    • #レビ記22章

  • 2022/07/06 20:16

    神の聖さを悟るために ④(レビ記22章)

     主はモーセにこう告げられた。「牛か羊かやぎが生まれたときは、七日間、その母親のもとに置いておく。八日目以後、それは主への食物のささげ物として受け入れられる。」(26~27)                               主への捧げものは屠られていなければならない。生まれつきの命のままで献げるなら、主の祭壇を踏み荒らして汚すだろう。どれほど優れた人であっても、持って生まれたままのものを神に捧げることは出来ない。それは聖さにおいて欠けのあるものだからである。霊において十字架の死をキリストに抱かれて通り、聖霊によって新しく生み育てられて、捧げものとなる。 牛でも羊でも、それをその子と同じ日に屠ってはならない。(28) 私たちのうちから出て来るものを、主の故に屠って死に渡すとき、キリストの心は痛む...神の聖さを悟るために④(レビ記22章)

    • #レビ記22章

  • 2022/07/04 08:47

    神の聖さを悟るために ③(レビ記22章)

      あなたがたが受け入れられるには、それは牛、羊、あるいはやぎのうちの、傷のない雄でなければならない。欠陥のあるものは、どのようなものでも献げてはならない。あなたがたの代わりにそれが受け入れられることはないからである。(19~20) 神の御前に傷も一切の汚れもない方は、唯一神であるキリストのみである。しかし、イエス・キリストは人となって世に下り、人類の罪を負って父なる神に見捨てられ、御からだを傷つけられて、犯罪者と共に十字架で罰せられて死んででくださった。 神は罪の無いイエスを黄泉からよみがえらせたので、500人の弟子に現れ、使徒たちの前で天に昇られた。キリストは今も神の右の座に座して居られる。主は纏った肉によって人の罪をあがない、神に受け入れられる聖い捧げものとなって、信じる者を救ってくださったのである...神の聖さを悟るために③(レビ記22章)

    • #レビ記22章

  • 2022/07/04 08:46

    神の聖さを悟るために ②(レビ記22章)

     彼らがわたしへの務めを果たすなら、彼らが聖なるものを冒し、そのために罪責を負って死ぬようなことはない。わたしは彼らを聖別する主である。(9) キリスト者はみな主の祭司である。みこころを行うためにそれぞれに与えられているタラントを用いて、主に仕える祭司は働きのために権威が与えられ、必要のすべてが備えられる。 「務めを果たすなら罪を負って死ぬことはない」とある。人は務めを果すときに無知や肉性が混ざることを恐れるが、主が聖別してくださった者の働きは主と共にあり、主はご真実な方であって決して罠にかけることはないのだ。 たまわっているタラントは最低の1タラントでも6000日分の給料相当とある。それゆえ祭司は食べることや将来の思い煩いから解放されて、時に世に逆らっても大胆に主に仕えて、その務めを果たすことが出来るの...神の聖さを悟るために②(レビ記22章)

    • #レビ記22章

  • 2022/07/04 08:44

    神の聖さを悟るために ①(レビ記22章)

     主はモーセにこう告げられた。「アロンとその子らに告げよ。イスラエルの子らの聖なるものは慎重に扱え。わたしの聖なる名を汚してはならない。それは彼らがわたしのために聖別したものである。わたしは主である。(1~2) 生まれながらに見たことも聞いたことも、経験したことも無い神の聖さを、人が一体どのようにして、わきませえることが出来るだろう。創造主なる神の聖さに恐れを覚えるのは、キリストに出会ってからである。 神は、ご自身の聖さを曲げることなく愛を成就するために、キリストを十字架で罪の身代わりとして、罪の報酬である死を支払わせ、その事実を信じるだけで、価なく神に受け入れられる救いを完成してくださった。 神の聖さと御愛を知ることが出来たのは、聖霊に触れられ、キリストの平安を頂いて神の憐みを経験し、みことばの知識によ...神の聖さを悟るために①(レビ記22章)

    • #レビ記22章

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