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【教会の危機】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・
アヴェ・マリア!愛する兄弟姉妹の皆様、以下は2007年3月の記事からの再掲です。【質問】「現在、カトリック教会は危機に襲われているのでしょうか?」の記事で、カトリック信者の信仰が危機にあるのは結果で、その原因は、聖職者達の信仰の喪失の危機であることが触れられていますが、教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?教皇様なのでしょうか?それとも第二バチカン公会議なのでしょうか?【答え】セペール枢機卿(CardinalSeper)は「教会の危機は司教たちの危機である」と言いました(inGeorgMay,Gefahren,diederKirchedrohen,StAndrae-Woerden,Mediatrix,1990,p.27)。現代の教会の危機には、その能動因として司教様たち(そして究極の責...【教会の危機】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・
【教会の危機】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・ 続き
アヴェ・マリア!愛する兄弟姉妹の皆様、(これは「【質問】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・」への答えの続きです。)セペール枢機卿(CardinalSeper)は「教会の危機は司教たちの危機である」と言いました(inGeorgMay,Gefahren,diederKirchedrohen,StAndrae-Woerden,Mediatrix,1990,p.27)。現代の教会の危機には、その能動因として司教様たち(そして究極の責任を問われるものとして教皇様)、その切っ掛けと原理を与えたもの(形相因)として第二バチカン公会議があります。【教皇様】教会の危機は、教会の最高の権威まで浸透しています。第二バチカン公会議後の教皇様たちご自身が、少なくともヨハネ・パウロ二世の統治下に至るまで...【教会の危機】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・続き
ミサに関する三つのカトリックの真理:ミサ聖祭は罪の償いのための犠牲、ホスチアにはイエズス・キリストがまことに現存する、叙階の秘蹟を受けた司祭だけがミサ聖祭を捧げる役務者
アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、2023年2月23日、札幌で聖伝のミサを捧げましたが、その後で講話「ミサとは何か」を行いました。今回は「ミサとは何か(その二)」のメモをご紹介いたします。メモなので、語調が統一されていません。その二では、ミサに関わるいくつかの真理のうち次の三つの点をお話ししました。(1)ミサ聖祭は天主に捧げられる、罪の償いのため(天主の正義をなだめるため)の犠牲である。(2)ホスチア(いけにえ)は、キリストご自身で、パンとブドウ酒の形色(外観)のもとにイエズス・キリストがまことに現存する。(3)叙階の秘蹟を受けた司祭だけがミサ聖祭を捧げる役務者。ミサとは何か(その二)2)ミサに関わるいくつかの真理(1)ミサ聖祭は天主に捧げられる本当の犠牲。罪の償いのため(天主の正義を...ミサに関する三つのカトリックの真理:ミサ聖祭は罪の償いのための犠牲、ホスチアにはイエズス・キリストがまことに現存する、叙階の秘蹟を受けた司祭だけがミサ聖祭を捧げる役務者
ルフェーブル大司教を擁護する:第二バチカン公会議後の困難な時代においてルフェーブル大司教の持っていた超自然的な賢明さ
ルフェーブル大司教を擁護する:第二バチカン公会議後の困難な時代においてルフェーブル大司教の持っていた超自然的な賢明さIndefenceofArchbishopLefebvre2023年3月4日FSSPX.NEWSサイト愛する兄弟姉妹の皆様、フランソワ・レネ神父(聖ピオ十世会)によるとても良い記事を日本語でご紹介します。これは、「イテ・ミサ・エスト」(IteMissaEst)【聖ピオ十世会英国・スカンジナビア管区の雑誌】の2023年3・4月号に掲載された論文です。はじめに数カ月前まで、私はニュージーランドにいて、教会に関する論争の最前線から遠く離れていました。しかし今は、英国で新しい任務に就いており、ある同僚から、当会の教会法上の地位と教会との関係に関する疑念に悩まされている信者たちを助けることはできないだ...ルフェーブル大司教を擁護する:第二バチカン公会議後の困難な時代においてルフェーブル大司教の持っていた超自然的な賢明さ
【参考情報】公会議はたった一本の糸にぶら下がっているだけである:ヴィガノ大司教による、リード、カヴァディーニ、ヒーリー、ワイナンディへの返答
【参考情報】公会議はたった一本の糸にぶら下がっているだけである(危機に瀕している公会議):ヴィガノ大司教による、リード、カヴァディーニ、ヒーリー、ワイナンディへの返答ここでの問題は、モンティーニ【パウロ六世】のミサを考案したファリザイ派的偽善を隠そうとして、祭服やグレゴリオ聖歌を使って、新しいミサを昔のミサのように「着飾らせる」ことではありません。第二奉献文(PrexeucharisticaII)をやめたり、東を向いて(adorientem)【祭壇に向いて】ミサを捧げたりすることでもありません。戦いは、トリエント・ミサにおける天主中心のビジョンと、第二バチカン公会議以後の偽のミサにおける人間中心のビジョンと間にある存在論的違いに関するものです。2023年1月24日(火曜日)THEONETHREADBYWH...【参考情報】公会議はたった一本の糸にぶら下がっているだけである:ヴィガノ大司教による、リード、カヴァディーニ、ヒーリー、ワイナンディへの返答