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税吏は胸を打ちながら"天主よ、罪人の私をおあわれみください"と祈った。
2024年7月28日大阪説教トマス小野田圭志神父聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。愛する兄弟姉妹の皆様、今日の福音では、「自分を義人と信じ、他人をさげすむ人々」について、主がたとえをお話になりました。今日は一緒にこのたとえを黙想いたしましょう。まず第一に今日の福音を考察します。【1:今日の福音】登場するのは二人の男です。一人はファリザイ人、もう一人は税吏です。当時の人の気持ちになってみてください。ファリザイ人というのは、律法を守ろうと、書かれていた通りに厳しく守ろうとした人々です。その守り方があまりにも厳しくて、文字通りに縛られていたので、そして、律法の精神を忘れていったので、イエズス様からは非難されますが、しかし、律法を学んで律法を守って、そうすることによって、外国のギリシアやローマからの異教...税吏は胸を打ちながら"天主よ、罪人の私をおあわれみください"と祈った。
聖霊は、癒やしや奇妙な異語などを通してではなく、聖霊の賜物として教会の中に現存しておられる
聖霊降臨後第十の主日の説教イヴォン・フィルベン神父親愛なる信者の皆さま、先週の主日の福音を覚えておられますか。私たちの主が、エルザレムの町と神殿が崩壊することを予言しておられました。それは、ユダヤの民の中心となる人々が、主を受け入れるのを拒否したためでした。それは実に悲しいことでしたが、天主は偉大なお方ですから、エルザレムの神殿よりもはるかに良いもの、すなわち聖なる教会を与えてくださいました。教会は聖霊の住まわれる場所ですから、新しく、より良い神殿なのです。また、教会の一員として、皆さまも神殿なのです。聖パウロは、そのことをたいへんはっきりと、こう言っています。「あなたたちが天主の神殿であり、天主の霊はあなたたちの中に住み給うことを知らないのか」(コリント前書3章16節)。私たちが成聖の恩寵の状態にあるな...聖霊は、癒やしや奇妙な異語などを通してではなく、聖霊の賜物として教会の中に現存しておられる
自分に責任のない隣人の行いに関わることなく、自分のことだけを考え、自分の過ちを認め、力を尽くしてその過ちを改めようとする人は幸い!
聖霊降臨後第十の主日―軽率な判断アルスの聖なる司祭(2024年、札幌)ワリエ神父2024年7月28日「天主よ、私は、他の人のように、貪欲な人、不正な人、姦通する者ではなく、またこの徴税人のような人間でもないことを、あなたに感謝します」(ルカ18章11節)親愛なる兄弟の皆さま、これは、高慢な人間の言葉です。自分が重要な人間だという思いに満ちており、隣人を軽蔑し、隣人の行動を批判し、非難するのです。1.見た目このファリザイ人は、徴税人の心構えを知ることすらせず、徴税人のことを悪く思い、軽率に判断して、非難するのです。アルスの聖なる司祭によれば、このような意見は、ただ臆測のみに基づくものです。私たちが判断し、批判するのは、どのような根拠に基づくのでしょうか。見た目だけであり、さらに、多くの場合、「そう言われてい...自分に責任のない隣人の行いに関わることなく、自分のことだけを考え、自分の過ちを認め、力を尽くしてその過ちを改めようとする人は幸い!