メインカテゴリーを選択しなおす
ナジル人は何人いたのか~士師記とオペラの『サムソンとデリラ』は随分違う
NKJVの民数記6章1~4節を聴いていた時、「Nazirite(ナジル人)」が出て来ました。口語訳で『男または女が、特に誓いを立て、ナジルびととなる誓願をして、身を主に聖別する時は、』という箇所があり混乱しました。ナジル人は自発的になるものではないと思っていたからです。 それは、士師記に出て来るサムソンは「生まれながらのナジル人」だったからです。調べてみた所、通常のナジル人は自分で誓願を立て、期間は限定的で30日~数年で、誓願の遵守は本人の責任で、サムソンはみ使いによって胎児期から定められ、期間は死ぬまで、誓願の遵守は両親と本人が守るべき神の命令とのことでした。 直接ナジル人とは言及されていま…
弱さ 昨晩、ある中学生から連絡があった。高校進学を考えている最中に「君には他の学校に行く学力は無い。系列の学校に進学する以外に道はない」と校長先生に言われたと泣いて連絡してきた。これが事実であれば非常に残念なことである。ミッションスクールで
主はモーセに告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。男または女が、主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、(1~2) ナジル人は願いを持って神に誓いを立てて、身を聖別する人々のようであるが、神はその願いを聞き入れられて、モーセに命じられたのだ。人間は自分の願いを叶えてもらうための方法として、断食をしたり、痛みや苦難を我慢することがあるが、目的が人の目に良いことであっても、そこに神の関わりがないなら意味はないだろう。捧げものが、神の求めておられるものでなければ的外れだから・・。わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。(ホセ6:6) その人は、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んでは...ナジル人(民数記6章)