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『鎌倉殿』実は堂々としていた平賀朝雅 「討手」の報に慌てず後鳥羽上皇に ... - J-CA
プーチンの心を掴んだ男、英FT紙の元編集長が語る「独裁者とジャーナリズム」 - Yahoo!ニュース Yahoo!ニュース - Yahoo! …
源実朝の結婚相手を迎えにいくため上洛していた北条政範(北条時政と牧の方(ドラマではりく)の息子)が急逝するという悲劇に見舞われたものの、御台所の鎌倉下向...
畠山重忠に謀反の疑いありとの讒訴を平賀朝雅より受けた北条時政は、畠山重忠・重保父子の誅殺を決意するも、息子の北条義時、時房からその軽挙を諫められ、いった...
鎌倉殿の13人 第37話「オンベレブンビンバ」・第38話「時を継ぐ者」 ~牧氏事件~
私事ですが、本業の仕事があまりにも忙しすぎて、先週の大河ドラマの稿をすっ飛ばしてしまいました。まあ、元より趣味でやっているブログですから、毎週必ず起稿し...
↑神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目2−9(Googleマップの所在地表示)に建つ「畠山重忠邸址」石碑を訪問しました。↑石碑は、鶴岡八幡宮の東鳥居の向かい、民家の前に建っていました。八幡宮を訪問された際に寄られてみるのが良いかもですね。畠山重忠に関して説明は不要と思いましたが、Wikipedia情報の一部を以下に引用させて頂いて、復習しました。畠山 重忠は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。 源頼朝...
坂東武士の鑑と称された畠山重忠の嫡男、畠山六郎重保(しげやす)の館跡と伝わる「畠山重保邸阯」を訪問しました。↑写真は、畠山重保の墓塔と伝わる宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。まず、畠山重保のWikipediaの情報の一部を以下に引用させて頂いて復習しました。畠山 重保(はたけやま しげやす、生年不詳〜元久2年6月22日(1205年7月10日))は、鎌倉時代初期の武将。父は畠山重忠、母は北条時政の娘。通称は六郎。 ...
鎌倉殿の13人 第34話「理想の結婚」 ~時政の専横と実朝の縁談~
源実朝が三代鎌倉殿となり、祖父の北条時政が侍所別当と執権に就任すると、ここから時政の専横がはじまります。あくまで幼い将軍の代理という名目ではあるものの、...
京都市中京区東洞院通に、後白河天皇の皇子・以仁王の御所跡に高倉宮址碑があります。門が高倉小路に面していたため、高倉宮御所と呼ばれていました。以仁王以仁王像(蜷川親胤模、東京国立博物館蔵)後白河天皇の第二皇子。母は藤原季成(すえなり)の女成子。三条高倉に住み、高倉宮と呼ばれました。『吾妻鏡』には、平賀朝雅が京都守護として滞在していた館は、「六角東洞院」にあったと書かれており、六角堂(頂法寺)の付近にあっ...