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彼らはホル山から、エドムの地を迂回しようとして、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中で我慢ができなくなり、神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」(4~5) 敵を聖絶し続ける旅ではなく、迂回して平和のうちを行く旅は、神の備えによって生きることを味わう旅であり、其処に備えられた一つのことは、これまで生かしてくださった主への感謝と、信頼でなければならなかった。 彼らが飽き飽きしたという食べ物は、彼らが代価を支払わず、蒔きもせず育てもしないで、神が天から降らせてくださったものであり、荒野で子孫を産み出すほどに十分な食べ物であった。 その夕方、うずらが飛んで来て宿営...青銅の蛇(民数記21章)
ネゲブに住んでいたカナン人アラドの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来たと聞いた。彼はイスラエルと戦い、その何人かを捕虜として捕らえた。(1) 問答無用で襲い掛かって来る敵には主が勝利を取ってくださる。神が愛する者に対する憎しみは、神に対する憎しみでもある。 そこでイスラエルは主に誓願をして言った。「もし、確かにあなたが私の手に、この民を渡してくださるなら、私は彼らの町々を聖絶いたします。」(1~2) この時イスラエルは主に祈って戦いの備えをした。神の民の武器は第一に祈りであり、先立つみことばの約束である。如何なる時代であっても,、どれほど強い敵であっても、それらの命も創造主の御手のうちに在り、神に知られずに地に落ちる命は無く、雀一羽の命さえもご存じなのであって、生かすも殺すも主のご支配に在る命であ...聖絶(民数記21章)