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看護師で僧侶という肩書の玉置妙憂さんという方が、新聞に「生きているとはどういうことか」について書いてらした。仏教の教えによると「生きているとは感じること」なの…
橋の上は それも真冬の橋の上の寒さは痛いほど そんなことを幼いときに祖母から聞いたことがあって 私も10代のときにそれを経験した 今でも忘れることのない真冬の朝の橋の上 歩いて向こう岸まで 夏の橋は 川の流れを橋のど真ん中で暫く眺めてて 岩のあるところの流れが変わったり と 耳の風も心地よくて それが真冬の橋の上を歩くと なんてこの橋は長いんだ 向こうはなんて遠いんだ って きっとその時って かなり辛かったんだろうな そう感じた記憶は 別の世界に辿り着いても覚えていそう いや別の世界・・・そこに辿り着くまでには消えるかな それほどに寒いと..
桜が咲いた そう 私の部屋から見えたのが ついこの前のよう 葉桜になり新緑が増して その色がどんどん濃くなって 木々の上から色づきはじめ 今年は特にその紅さが美しかった そして 気づけばもう細い枝々になって 今日のように午後から風が吹くと 細い枝は 風に身を任せて くるくると揺れて 決して その強風に負けないという任せ方で その細枝には 来季へと 絶対に咲くという芽をつけていて 寒さにも蓄えようとする姿に 毎年のように 木々から勇気を貰う 寒い冬はこれから それでも部屋から見える桜の木に 私はたくさんのことを感じ 彼らの力強さを..
曇天の予報だけれど 今のところ晴れてて このまま晴れててほしいな 12月に入りあちらこちらでクリスマスツリーのキラキラが こんな私でもワクワクとサンタクロースを思うものだ 子どもたちなら尚さらだろう 広島の家では息子が2〜3歳ころかな 安いを買って100均で諸々小物を買って 断捨離というけれど こういうの捨てる勇気がない またここでもが今年も飾られて 子どもたち以上に私が喜ぶ有様 ハロウインには年齢的に関心がないが やはりXmasはどこか嬉しい さてさて今日は年賀状の下書きをチェックしておくかな にほんブログ村
そんな不義理なことを! そうやって叱る自分は 最早 いない^^
今朝は今季一番の冷え込みで 近隣の屋根は霜がおりて 今年もこんな季節まできたんだなって思う 何をしたろうか 何を残せたか そんなことにも思いがゆくが それにこだわることもなかろう と ここで甘えをだしてしまう 年賀状はどうする Xmasプレゼントはどうする いやいや お年玉の新札交換だ と 例年のことの繰り返しに 気忙しくなる やれやれ┐(´д`)┌ヤレヤレなのである そう 正直にやれやれ それなのである そんな不義理なことを! そうやって叱る自分はもういなく ええやん これまで十分尽くしたやないの 間に合えば、そのことに間..
仮定の話 もしかしたらの話で すごく自己アピールというか そうだね 自分大好きな青年がいたとして 確かに仕事場でも活躍し 上司にもそれなりの評価があり それでも 人の輪に入ってるようで入りきれず 入れてもらっているのに ふと気づくとひとりでいたり 笑っいるのに 瞳が笑ってないというか だからほんとはその輪に 入ってる風かな それは自分でも気づいてるかもで 傍目には自己中にも見えて 実は・・・ ポン!とフォーカスするというか ファインダーからというか すると 彼の目が周囲より寂しげであり 別の表現をすれば 大人しい、かな 自..
今朝はがっつりと雨が降り 雨音の響きが早朝から部屋に届く 休日の雨は嫌でもなく ゆっくり出来るからいいかとも思う かと言って 何かするわけでもなく ここを閉じようか そんなことも昨日から考えたり もう少し頑張ろうかとも思ったり とりあえず 今日はこのまま休もうかな にほんブログ村
私は近頃 あまり昔のことを思い出して 愚図々々ということが少なくなった 記憶が薄れているのか それとも ・・・理由はわからない しかし 思い出してみたところで なんにもならないことだし それはそれで 多分、折りたたんで体の奥の何処かにあるんだろう 昨日 録画していたドラマ『PICU』を観ながら こういうドラマは観ておいたほうがいいな こういうドラマを制作してほしいな と 私も夜間救急に子ども抱いていき 帰りは夜が明けていた なんてこともあり 心の中で なんでうちの子だけ・・・と自己中なことを思って ミルクは飲まない 飲んだら吐いてしまう チアノ..
秋色。。。 そこに物語がありそうな 今年は紅葉の当たり年とか 確かにそうかもと窓から見える桜の木々をみる もうほとんど葉は残っておらず わずかの葉が揺れるだけ 春にも物語があり夏にもあり これから訪れる冬はもっとあるかな 冬の作品さがしに またぶらぶらするかな イチョウの黄色は毎年待ってる感じ 歩道にも秋色。。。 にほんブログ村
知人が 長年の朗読活動をやめようか、どうしようか そう悩んでいる なかなか それも告げられないとも言う 告げられないことは1年にも渡っていることから 私は 彼女はまだその「長年」を手放せないのだろう まだ指先が強く握っているのだろう そう感じた だから 私は彼女に まだやりたいんでしょ 手放すことで悔いが残らないときは 指からスルッと抜けるもの だから まだ指が握っていることは 心の中の未練に正直に と話した そう助言したことに私は悔いはない きっと彼女は再び 朗読の羽根を大切にしてくれると 私は確信している 木々は 緑だけではなく緑..
朝からお日様で近所をひとまわり 秋の色を見ながら今年ふっと振り返ってみて どんぐりを踏みそうになってしまって ひとり言 今年の葉は昨年より紅が濃いように感じたり 枯れたようで 葉を落としてしまいながら もう次の日を見ている枝々の先 毎年のことながら勇気をもらう へこたれるなって にほんブログ村
こんにちは なかなか音声配信が出来ないまま日々を見送っています 朗読の稽古不足です。。。 連日 様々なことがあり テレビを付けていることも切なくなります 以前もここに書きましたが 私は引っ込み思案で何も言えない子どもで そうですねぇ 小学校4年生かな、ひと月くらい学校に行けないことがありました 心が止まってしまったんでしょうね、おそらく 図工の授業中に熱がでて保健室で休んで それでも熱が下がらず早退したんです 机の上はそのまま、というか記憶ないほどの熱だったような それで回復して登校したら 新品だった絵の具が殆ど使われててね 貧しい家庭でした..
馬鹿馬鹿しい、、、この言葉は決していい言葉ではないかもしれない が 私はこの言葉が嫌いではない それは愛があるように感じるから・・・ 『おさん』のラスト 馬鹿馬鹿しさに身悶えする これで終わっている ここが好きで 私は読んだのかもしれない 馬鹿馬鹿しいんだから、、、 暮らしの中でも 家族間でも友人間でも 使うこともあるだろう これは とても愛情のある表現で 温かいものが流れていないと 使えないかもしれない 相手に 周囲に なにか温かく優しいものがあれば 人の心にふわっと入りそうな気がする 私も時々 「まったく馬鹿馬鹿しいんだから」..
昨晩 LINEの音声通話を押した 呼び出し音が鳴り続くだけで応答はなく これまでいくらメッセージ送っても 決して既読にならず それでも つながっているようでスタンプを送る 最近の報告をしたり 泣き言をつぶやいたり ある人が 「LINE にまだお名前があるんですが、、、」 と私に話す アカウントはそのままにしてあるんですよ と私は伝える 不思議なのだろう 繋がりもしないLINEを残すなんてね それでも 不思議でも 大きな支えというか なんと表現すればいいかな 私も不思議な線なんで 彼のスマホは眼鏡と並んで仏壇の前にある..
朗読をしているというと 派手な目立つ世界だという人もいる いやいや そんなことはない とても地味で根気がいり体力もいる もちろん声も衰えてくる が やはりネットに、、、というと 派手な世界だと勘違いされることがある だから私はあまり多くの人に この 〜声の空間〜を知らせてはいない それでいいし 目立つためにいま声出ししているのではなく 母親として 背をおしてくれた相方クンに対して また自分の存在というか ここにいたんだというか こう言うとまた目立つとなるのだろうか 難しい 考えるととても難しい 坪井祐実として 作品に出会い作家のその時を思い ..
先にアップした『姥捨』を読んで 正直にとても悲しく切なくなりました これは小説だと思いながらもです が 最近の世の中も どう感ずればいいのやらとも思います もちろん真実というか 本当、はどこなのかわかりませんが せめて 軸だけは真っ当であってほしい 導く、導く位置なら、、、と思えてなりません 道、を未来のある子どもたちが迷うことのない 道、を捻じ曲げてほしくない 日本の子どもたちが、夢、を手に掴めるように そんな虚しい最近です にほんブログ村