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聖書に登場する幕屋とその発展形である神殿は、天にある目に見えない「真の聖所」の影、比喩である。ヘブル人への手紙9章には、「第一の幕屋が存続しているかぎり、聖所への道がまだ明らかにされていない」とある(ヘブル9:8)。これが書かれた時はまだ神殿があったが、まもなくローマによって破壊されてしまった。霊的に見れば、イエスが十字架でご自身のからだを完全ないけにえとしてささげ、「…
「どうか 神が私たちをあわれみ 祝福し 御顔を私たちの上に 照り輝かせてくださいますように。 あなたの道が地の上で 御救いが すべての国々の間で知られるために。(詩篇67:1〜2)」 詩篇67篇を読んだ。短い詩なのでぜひ直接聖書を確認してほしい。ここでは、「国々」「諸国の民」「地の国民」「地の果てのすべての者」、すなわち世界のあらゆる民族、異邦人(非ユダヤ人)が救われ、彼らの間で…
ユダヤ人(イスラエル人)は神に選ばれた特別な民族である。そして、その選びは今も変わらない。 但し、彼らが特別な民族であるとは、他の民族より優れているとか偉いとかいうことを意味しているのではない(申命記7:7)。その点、誤解されやすいし、ユダヤ人自身の中にもそう誤解して高慢になっている人々がいるかも知れない。 むしろ、他のあらゆる民族に神の祝福をもたらす管としての役割…
本来、神の祝福の契約は、アブラハムとその正統な子孫であるユダヤ人に授けられたものであった。けれどもユダヤ人たちがイエスを拒んだ時、それは彼らから取り上げられ異邦人(非ユダヤ人)に授けられた。 しかし、それは実は、はじめから、すべての異邦人に福音を広め救いをもたらすための、壮大な神のご計画の一環であった。ユダヤ人は世界に祝福をもたらすべく選ばれた特別な民族だからこそ…
私はイスラエル抜きに信仰を成り立たせることはできない。イエスはアブラハム契約の成就者として十字架を成し遂げたのであり(ガラテヤ3章)、私たちはイスラエルというオリーブの根に接ぎ木された枝として救いを受け取っているのだからだ(ローマ11:17~24)。また、現在のユダヤ人帰還とイスラエル国の存在は預言の成就であり、生ける神の真実さの証しである。 私はディスペンセーション神学を…
もうずいぶん前になるが、韓国に行った時のこと。ある大きな教会の主日礼拝に出席した。案内してくれた人に通訳してもらって聞いた説教の内容は、次のようなものであった。ローマ11章前半からであったが、11~12節を引用する。 「それでは尋ねますが、彼らがつまずいたのは倒れるためでしょうか。決してそんなことはありません。かえって、彼らの背きによって、救いが異邦人に及び、イスラエ…