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殺しに行った相手に、逆に窘められて帰るという顛末は、燈子の短い生涯の中でも特に忘れ得ぬ記憶として刻まれる事となった。いつの間にか降り始めた小雨は次第に強くなり、敗北感に打ちひしがれた燈子の頭を、追い討ちをかけるように小突き回す。 「あーあ、何やってんだろ、私」 濡れた制服に体温を奪われ、何度もブルリと震えながら、足は自然と可楽の居る道場へと向かっていた。 「で、可楽に会ってどんな顔を向ける…
その日、可楽と共に出かけた寄席から逃げるようにして帰宅した燈子は、目を真っ赤に泣き腫らしながらベッドの中に潜り込んだ。 「う゛ぅぅ…悔しい…く゛やし゛ぃよ゛ぉぉぉぉぉ!!」 戦いの道を歩む事に関して、可楽から「覚悟が足りない」と言われた事にショックを受けたのはもちろんだが、それ以上に、自分が日頃から全幅の信頼を置く師が他の人間をベタ褒めした事が、燈子にとっては他の何よりも耐え難かった。
『この尾形清十郎、齢はとっても、腕に年はとらせんつもりと、長押(なげし)の槍を小脇に抱え、ツカ…ツカ…ツカ〜ツカ〜ツカ〜ツカっ!!』 「うはははは!!楽しいのぅ!!」 今、私の隣の席で、可楽が普段の言動からは想像もつかないほどの大声で笑っている。 私自身、すっかり忘れていたが、可楽は弱体化したとはいえ喜怒哀楽の『楽』を司る分身鬼であり、この笑い声こそが彼本来の『素顔』なのだろう。
「燈子ちゃんの様子が、おかしいって?どういう風に?」 「なんかもう、別人になっちゃったみたいなんだよ…」 我妻 善照は、姉の燈子が約一ヶ月前から早朝のジョギングを始めた事、それ以降、自分との会話が極端に減り、必ず一人で下校するようになった事、そして… 先日、武道場のような建物に入って行った事と、それを問い質したところ、怒りを露…
地面に蹲って呻き声を上げていた三人のチンピラが、やっとの思いでヨロヨロと立ち上がった。何かしら捨て台詞でも吐くかと思ったが、私の方を振り返りもせずに身体を引き摺りながら去って行った。 それを見届けるようにして、事の一部始終を木の影から覗いていた視線の主が、私の前に姿を現した。見た感じは六十歳を過ぎているだろうか、作務衣を着た目つきの鋭い初老の男が、確かな威圧感を保ってゆっくりと私の前に進み出た。
「た・お・れ・ろぉぉぉぉっ!!」 「こらっ、やめなさい!!なんなんだ、君は!?」 太腿へのミドルキック、脹脛(ふくらはぎ)へのローキック、鳩尾(みぞおち)と金的への前蹴り、爪先への踏みつけ、そして側頭部への跳び回し蹴り…その全てを防がれて、燈子の焦りは頂点に達していた。 路上格闘の王者となる為に、そのデビュー戦として彼女が選んだ対戦相手は、身長が2メートルはあろうかという巨漢だった。
朝6時ちょうど、家の門をカチャリと開ける音が軽く響き、燈子の一日の始まりを告げ知らせる。今日もまた、その音で目を覚ました弟の善照(よしてる)は大きく欠伸をしながらカーテンを少し開けて、徐々に小さくなっていく姉の背中を見送った。 (おかしい、何かがおかしい…) 姉の燈子が毎朝のジョギングを始めてから、一ヶ月ほどが過ぎようとしていた。もちろん、それだけの事であれば何ら訝しむ要素は無いのだが、日常…
「…で、可楽の事は『護身術の先生だ』って言っといたわ」 「そうか、弟に足取りを追われていたか…」 「もちろん、親には絶対に言わないように、キツく念押ししといたけど…」 「まぁ、家族と同居している時点で、露見するのは時間の問題であったからな」 昨日、弟の善照に放課後の行動を追跡されていた次第を、燈子は焦り半分、怒り半分の面持ちで可楽に報告した。脅しが効いたのか、一夜明けてから下校の時刻に至るま…
その日、燈子は殊の外に機嫌の良い表情で電車に揺られながら、鼻歌交じりで窓の外を流れる景色を眺めていた。 先日の防御技の習得の際に(訳は分からなかったが)可楽に褒められた事に加えて、今日…