メインカテゴリーを選択しなおす
八戸法難は江戸時代末期の弘化元年(1844)に仙台・仏眼寺の玄妙房日成師による八戸弘教によって惹起した法難です。日成師は天保13年(1842)に奥州弘教に為に長横町の阿部喜七宅に投宿されその滞在中に、喜七と娘婿・阿部豊作を教化し、さらにこの両名の折伏で、三崎清兵衛、三崎忠助、石橋大治郎、佐藤清助(桝屋恒佐)、城前(瀬戸屋)善吉等が大石寺信仰に帰依しました。翌年の天保14年に喜七等は大石寺に参詣し日英上人より御本尊と御影像を頂戴し、帰郷後には日成師の指導のもとに益々折伏の邁進し入信者も相当数に増えていきました。当然、折伏弘教が進んでいくほど周囲の反発も大きくなり悪口や誹謗といった不穏な空気も徐々…
創価教学じゃない御書講義(2022年11月座談会御書・千日尼御前御返事)
譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ 今月の座談会御書は別名『雷門鼓御書』の一節です。当抄は夫の阿仏房を身延の大聖人の許に三度送り出した妻の千日尼の信心を称賛されてる一節です。この御文は顕正会・浅井がインチキ遥拝勤行を正当化する御文としても有名です。創価的には、「池田先生と直接会うことが大切なのではなく、師匠の心をわが心とする師弟不二の云々」という男子部的な講義か、「家族が学会活動に出かけ…
顕正会員が良く口にする言葉に「大聖人の御遺命の国立戒壇の建立」という言葉がある。顕彰会の公式サイトにも(以下太字は顕正会公式サイトからの引用) ▼されば本門戒壇の建立こそ御本仏日蓮大聖人の唯一の御遺命である。もしこれを忘れれば仏弟子ではなく、もしこれに背く者あれば魔の眷属である。 と明記されている。顕正会のいう処の「本門戒壇」とは御書にに書いていない「国立戒壇」のことだがこの「本門戒壇の建立」こそが大聖人の唯一の御遺命だと彼等は主張するわけだ。その文証となるのが、 ◆日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せら…
気楽に語ろう創価学会非活ブログ記事への質問の回答(血脈断絶について)
私のSNSのフォロアーさんから『気楽に語ろう創価学会非活ブログ』に書かれている記事に対する質問が寄せられたので回答したいと思う。質問は【日影と柚野浄蓮と日有】という記事で日影上人から日有上人への血脈相承に対する疑義を述べている件。以前も書いたけど、この気楽非活ブログの論説は殆どがどこかの誰かの論説で目新しはなく「いまさら」感ばかりのネタばかり。有師への相承の疑義も既に正宗脱落僧達が書いた『法主詐称』という書籍の焼き回しか出涸らしだ。気楽氏は自分を創価からの覚醒者と自負しているようだが創価教学で正宗を批判しているのだから覚醒者とは名ばかりで単なる創価退会者の創価脳人間だと思っている。当該記事では…
衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は、これよりほかに、またもとむることなかれ。 今月の御講御書は、十大部のひとつの『撰時抄』です。冒頭に『夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし』との御指南があるように仏法のとって一番重要なのは【時を知る】ということです。ここで言う【時】は世間一般的に言われてる時ではなく、正・像・末法の【仏法の時】のことです。時をしることが最重要な理由は、衆生の機根は時によって決まり…
記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「黒太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。 【第79条】日蓮聖人の御書を披見申す事、他門徒などの御書をも書写しこい取りつつなどして見るべからず、本寺の免許を蒙るべし、其の故は当家は信の上の智解なるが故なり云云。 他宗の御書を読んではいけない(読む場合は本山の許可を得る)という御指南です。その理由は上古の御書は大半が書写本であり書写の際の書き損じや中には偽作もあったことから智者でなくてはその正誤が判断できず大聖人の仏法を誤って捉えかえって謗法者になってしまうからです。 ◆他門の御書を多く濫読して、帰納的に一貫の宗義を…
先月末に友人四人と札幌へ小旅行してきました。飛行機のフライト時間が朝早めの時間だったので深夜に起床して2時半から朝の勤行と1時間の唱題をしてから5時前に自宅をでたのですが、深夜2時半といえば総本山で猊下が丑寅勤行を奉修している時刻だなぁと思いながら自宅で五座の勤行をしていました。丑寅勤行とは午前2時~4時の丑寅の時刻に大石寺で法主上人の奉修される勤行です。日興上人は『日興跡条々之事』に、◇大石寺は御堂と云い、墓所と云い、日目之れを管領し、修理を加え勤行を致し、広宣流布を待つべきなり。 との御遺命を残し ◇問う、古より今に至るまで毎朝の行事、丑寅の刻み之れを勤む、其の謂われ如何。答う、丑の終り寅…
創価教学じゃない御書講義(2022年10月座談会御書・佐渡御書)
畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし 今月の座談会御書は創価員に汎用性の高い佐渡御書の一節です。この御文を取り上げるのは創価がバッシングされている時とおよそ相場が決まっています。つまり今月の座談会で当御文を取り上げたということは創価が焦っている証左でもあり逆に言えば創価員洗脳のチャンスでもあるということになります。統一教会絡み…
記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「黒太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。 【第77条】末寺に於て弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし云々。 【第78条】曼陀羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし判形をば為すべからず云云、即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるる事も之有り、希なる義なリ云云。 この2条項はどちらも御本尊書写に関する条項です。第77条は御守御本尊で第78条は通常の御本尊に対する御指南で、どちらも末寺の御住職が御本尊書写を代行してもよいが「判形」(花押)は書いてはいけないという御指…
『伊那法難』は、天明4年(1784)、信州・伊那(現在の長野県伊那市)で城倉茂左衛門が中心に折伏弘教した結果惹起した法難です。茂左衛門の生まれた城倉家は元々は曹洞宗・常輪寺の檀家でしたが茂左衛門の祖父の代から内々に日蓮宗身延派・深妙寺に帰依するようになり父・伴蔵の代には帰依が深まり城倉家の人々は法華経読誦をするようになっていましたので茂左衛門は幼少時より日蓮大聖人を尊んでいましたが、茂左衛門は大聖人滅後にその門流が様々に分派しているがいずれが正しく大聖人の御真意を伝えるているのか?という疑念を持っていました。そこでそれを知るために宝暦13年・茂左衛門19歳の時に千箇寺詣に出ます。近隣の法華寺か…
仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる、既に経文のごとく悪口・罵詈・刀杖・瓦礫・数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候 今月の御講拝読御書は『佐渡御勘気抄』です。当抄は文永8年10月初旬に清澄寺の浄顕房・義浄房に与えられた御書で、別名『与清澄知友御書』と呼ばれています。昨日、9月12日は日蓮大聖人の竜の口の御法難会でしたが、本抄は竜の口の御法難の後に佐渡流罪までの間に身を置いていた依智(現在の厚木市辺り)の本間六郎左衛門邸で執筆されています。【竜の口の御法難】は日寛上人が『当流行事抄』で、…
記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「黒太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。 【第72条】他宗の法華宗に成る時、本所持の絵像木像並に神座其の外他宗の守なんどを法華堂に納むるなり、其の故は一切の法は法華経より出でたるが故に此経を持つ時又本の如く妙法蓮華経の内証に事納まる姿なりり、総じて一生涯の間大小権実の仏法に於て成す所の所作、皆妙法蓮華経を持つとき、妙法蓮華経の功徳と成るなり、此の時実の功徳なり云々。 当宗の信徒になったならば他宗の絵像・木像・位牌などの「謗法払い」をします。現在では個人で焼却・廃棄しますが以前は寺院の法華堂(垂迹堂)に納めました。…
法華講員のための顕正会破折の基礎知識①(国立戒壇という名称)
今回は顕正会の破折記事です。創価も顕正会も一般の法華講員さんが法論をするような場面は滅多にないとは思いますが、弘教活動については創価よりも顕正会の方が積極的ですから創価員より顕正会員と遭遇する方が多い地域もあると思いますので顕正会破折の基礎知識を連載したいと思います。第1回目は顕正会教義の一丁目一番地である、『国立戒壇論』の破折です。顕彰会の教義の何が謗法なのかと言えば、【日蓮大聖人の仏法の第一義は御遺命の国立戒壇である。】という主張です。『国立戒壇論』の邪義については数多ありますが、まずは、『国立戒壇』という名称を使うこと自体が間違っているのです。今さら言うまでもありませんが、『国立戒壇』と…