富士門流の法難⑧(八戸法難)
八戸法難は江戸時代末期の弘化元年(1844)に仙台・仏眼寺の玄妙房日成師による八戸弘教によって惹起した法難です。日成師は天保13年(1842)に奥州弘教に為に長横町の阿部喜七宅に投宿されその滞在中に、喜七と娘婿・阿部豊作を教化し、さらにこの両名の折伏で、三崎清兵衛、三崎忠助、石橋大治郎、佐藤清助(桝屋恒佐)、城前(瀬戸屋)善吉等が大石寺信仰に帰依しました。翌年の天保14年に喜七等は大石寺に参詣し日英上人より御本尊と御影像を頂戴し、帰郷後には日成師の指導のもとに益々折伏の邁進し入信者も相当数に増えていきました。当然、折伏弘教が進んでいくほど周囲の反発も大きくなり悪口や誹謗といった不穏な空気も徐々…
2022/11/08 11:32