メインカテゴリーを選択しなおす
『伊那法難』は、天明4年(1784)、信州・伊那(現在の長野県伊那市)で城倉茂左衛門が中心に折伏弘教した結果惹起した法難です。茂左衛門の生まれた城倉家は元々は曹洞宗・常輪寺の檀家でしたが茂左衛門の祖父の代から内々に日蓮宗身延派・深妙寺に帰依するようになり父・伴蔵の代には帰依が深まり城倉家の人々は法華経読誦をするようになっていましたので茂左衛門は幼少時より日蓮大聖人を尊んでいましたが、茂左衛門は大聖人滅後にその門流が様々に分派しているがいずれが正しく大聖人の御真意を伝えるているのか?という疑念を持っていました。そこでそれを知るために宝暦13年・茂左衛門19歳の時に千箇寺詣に出ます。近隣の法華寺か…