大塚進也「白河戊辰戦争における野戦陣地についてー金勝寺山、笹久保山を例にしてー」を読んで

大塚進也「白河戊辰戦争における野戦陣地についてー金勝寺山、笹久保山を例にしてー」を読んで

「福島史学研究」第102号2024年3月25日に掲載の論文を頂いた。 福島県白河市の白河城は奥羽越列藩同盟軍が守っていたが1868年5月1日に新政府軍が奪取して以降、何度も同盟軍が奪い返そうと攻撃をかけたが新政府軍が7月まで守り抜いている。 大塚氏によると従来、兵数で劣る新政府軍が守り抜けた理由は新政府軍側が装備で優っていたと指摘されてきたが、白河城周囲の山地に新政府側が築いた野戦陣地の存在が勝利の要因だったという。これまでの説明では周辺の山上に新政府側が築造した野戦陣地の存在を重視していなかったが、現地を踏査して金勝寺山で2基と笹久保山で4基の台場跡(大塚氏は野戦陣地と称している)を確認して…

2024/03/22 23:28