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隅田川河畔両国橋のやや北寄りに、江戸から明治にかけて何本もの杭が打たれていたところがあります。 「百本杭」。 水量の多い隅田川。両国橋辺りは川の湾曲が強く特に水勢が強い所であるため、それを和らげるための杭が、この辺りに何本も打たれていたのだそうです。 現在の総武線鉄橋の辺りです。 江戸の風物としてもよく知られており、歌舞伎の『十六夜清心』では冒頭に「稲瀬川百本杭の場」が出てきます。稲瀬川は鎌倉を流れる川ですが、隅田川に見立てるため「百本杭」を引いているのです。「○○川と名前は違えど『百本杭』」とくれば、観客は隅田川を連想するのが当時のおきまり事だったのだそうで、それほど「百本杭」が知れ渡ってい…
両国高校は、明治34年に東京府立第一中学校(現・日比谷高校)の分校として開校した学校です。当時は府立第三中学校といい、明治38年から43年まで芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が在籍していた学校としても知られています。三中時代の芥川は、英語と漢文が抜群にでき、第一高等校(旧東大予備門)への進学も、成績優秀のため無試験で合格するほどだったそうです。 芥川の旧制中学5年間の担任は、のち三中二代目校長となる広瀬雄(明治7~昭和39 教育者)。広瀬はいち早く芥川の才能を見抜き、自宅に呼んでまで英語の講義をしてやるほと熱心に指導していました。そんな広瀬を芥川も終生師として仰ぎ、交友…