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台東区根岸二丁目。山手線の鶯谷駅を北口から出て、五分ほど歩いたところに、正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19 俳人・歌人)の居住跡である「子規庵」があります。 四国は愛媛県松山の出身である正岡子規は、明治16年に上京したあと、都内で数回転居していますが、この根岸の子規庵が終の棲家となりました。 子規といえばわずか21歳で、当時まだ不治の病であった結核にかかり喀血。病は高じて結核菌は背骨まで侵し脊椎カリエスとなり、明治32年32歳以降は、この小さな庵で寝たきりの暮らしになります。 「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。」(『病床六尺』19…