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仏にやすやすとなることの候ぞ。おしえまいらせ候わん。人のものをおしうると申すは、車のおもけれども油をぬりてまわり、ふねの水にうかべてゆきやすきようにおしえ候なり。仏になりやすきことは別のよう候わず。旱魃にかわけるものに水をあたえ、寒氷にこごえたるものに火をあたうるがごとし。また二つなき物を人にあたえ、命のたゆるに人のせにあうがごとし。 今月の御書は御供養の大切さを御指南された上記の『上野殿御返事』の御文です。創価の連中は正宗の御僧侶が供養を強要して法華講員が【供養地獄】に落とされているよう「見てきたようなウソ」を吐いてます。この本抄の冒頭で大聖人は「御心ざしの候えば申し候ぞ。よくふかき御房とお…
抑今の時・法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり、此れはいかなる時も・つねは・たいせずとわせ給えば水のごとく信ぜさせ給へるかたうとし・たうとし。 今月の御講拝読御書は『上野殿御返事』からの御文ですが、この御文は創価の座談会御書でも取り上げられているので過去記事をリンクしておきますので詳しくはそちらの記事を参考にしてください。日亨上人はこの御文について、「此等の火の信心者に対しては、一刻の油断も出来ぬ。火吹竹を以て薪を吹き付け、マッチを…