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1993.1.曙がついに“公称外国人初の横綱”に昇進する。とかく仕来りや伝統という言葉に捉われ、閉鎖的な角界の厚い壁をぶち破ってくれた。痛快である。ただ、彼の偉業は高見山、小錦という2人のハワイ出身の先達の存在を抜きにしては語れない。高見山こそは外国人力士のパイオニアであり、メジャーリーグに例えるなら、黒人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンに匹敵する存在なのだ。そして、ロビンソン同様、さまざまな差別や偏見、加えて文化や言葉の違いとも戦いながら実績を残し、後に続く者たちの道標ともなったのだ。それに続いた小錦は、高見山が成し得なかった大関昇進を果たし、一時実力は横綱に近づきながらも、差別と偏見に遭って阻まれた。だが、その際の諸々が、今回の曙の昇進をすんなりと決める布石になったことも、皮肉ではあ...曙逝く
錣山親方(元関脇・寺尾)が亡くなって、井筒三兄弟(鶴嶺山(元十両)、逆鉾(元関脇)、寺尾)は皆鬼籍に入ってしまった。自分とは同世代なだけに寂しい思いがする。小柄で細身の寺尾は、大型力士を相手に、回転の速い突っ張りを武器に活躍した。横綱千代の富士との真っ向勝負や、巨漢・小錦との対戦、そして当時18歳の貴花田(後の横綱貴乃花)との初対戦に敗れ、悔しさのあまりさがりを花道に叩きつけた姿も印象に残っている。昭和38年生まれの寺尾は、いわゆる「花のサンパチ組」と呼ばれた中の1人で、ほかには双羽黒(第60代横綱)、北勝海(第61代横綱)、小錦(大関)、琴ヶ梅(関脇)、孝乃富士(小結)がいたが、結局相撲協会に残ったのは、現理事長の八角(北勝海)と錣山(寺尾)だけだった。ところが、錣山は例の貴乃花問題に連座して失脚し、そ...突っ張りの寺尾
昭和59年九月場所は蔵前国技館最後の興業となった。3横綱、4大関と番付は豪華だが、優勝を争ったのは平幕の小錦と多賀竜であった。千秋楽を迎え、1敗は多賀竜、2敗が小錦であった。横綱・大関は以下の成績だっ