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四部官表 二官八省制において官職を任ずる儀式を除目といいます。1.転任:左大臣から右大臣にのぼる、少領から大領にうつるなど、順序によって進む。2.遷任:諸司の官から諸寮の官にうつる、文官から武官にかわる、地方官から京官になるなど。3.推任:希望していないのに上より推され任ずる4.兼任:一人で二つの官をもつ。5.再任:一度辞職したのち、再びもとの役に任ずる。6.停任:父母の喪(も)に遭ったとき、服解(ふくげ、一時、官を解かれる)といって、除服になること。7.復任:除服から原職に復すること。8.解官:罪を犯したり、そのほかの事情で官職をやめること。9.致仕:老年になり、官を辞して退くこと。(郡を三…
「左兵衛佐(さひょうえのすけ)吉田兼好」は朝廷を早期退職したがそれなりに退職金と年金をもらいました。
朝廷についての語意調査表 【鎌倉時代の朝廷と収入】 平安時代中期の朝廷は、首都平安京に国家機関の官庁街「大内裏」とその中心の皇居「内裏」を持ち、国を統治・運営していました。 しかし、鎌倉時代(1192年頃)の朝廷は、武士から政治権力を奪われ、「大内裏」の中の皇居「内裏」は残りましたが、「大宝律令(701年)」や藤原一族繁栄の礎石を築いた藤原不比等(ふひと)編纂の「養老律令(718年)」に基づいて改訂した律令制度や国家機関は、遠く離れた鎌倉の地に移され、大内裏の官庁街の庁舎は空き家となってしまいました。 大内裏と内裏 yaseta.hateblo.jp 鎌倉幕府は律令に基づいた二官八省制など機能…