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米米CLUB「sûre danse(シュール・ダンス)」 =思い出す音楽 その226=
動かない動画で失礼いたします。YouTubeの「米米CLUB-トピック」からの動画です。画像のジャケットは、1989年に「Paradise/sûredanse」の両A面仕様のシングルとして再発された際のジャケット画像です。●今回も米米CLUBを取り上げます。曲は「sûredanse(シュール・ダンス)」です。リリースが、1987年9月です。翌月リリースされたアルバム「KOMEGUNY(コメグニ)」にシュール・ダンスじゃなかった収録されています。今確認するとタイアップが何もないようで、個人的になぜ思い出す音楽なのか記憶を辿っていくと、やはりテレビかラジオでよく流れていたことと、リリース当時は高校1年生で、クラスの女子がなぜか教室で休み時間にこの曲を合唱していた記憶がありました。かなり印象的でした。クラスメイ...米米CLUB「sûredanse(シュール・ダンス)」=思い出す音楽その226=
3月初めから西の方で仕事続きで、やっと東へ戻ることに。帰りに寄った鈴鹿PAの展示ブースには、ウィリアムズ ホンダFW11Bがドーンと陳列されていたよ。もてぎの…
Benjamin Earl King(ベン・E・キング) 「Stand By Me(スタンド・バイ・ミー)」 =思い出す音楽 その208=
動かない動画で失礼いたします。とは言っても、今回の曲は初出が60年ぐらい前のものですので、MVという概念自体もまだなかった頃でしょうし、ライブの映像もあまりYouTube上に適したものが出てきませんでした。ただ、非常に有名な曲ですので、このような形でも聴ける動画は結構な数で出てきました。●今回も洋楽で前回の「TonightIsWhatItMeanstoBeYoung(今夜は青春)」が映画の劇中曲であったところから、そういえばこんな曲も思い出しますねぇ、と、これも映画に使われた曲で、BenjaminEarlKing(ベン・E・キング)の「StandByMe(スタンド・バイ・ミー)」を取り上げます。リリースが、1961年4月で、翌年リリースされたアルバム「Don'tPlayThatSong!(ドント・プレイ・...BenjaminEarlKing(ベン・E・キング)「StandByMe(スタンド・バイ・ミー)」=思い出す音楽その208=
1987年の太陰暦|太陰太陽暦(旧暦)と純粋太陰暦〜ラマダン月はいつ?
ブログ「Divination.Page」は、暦と占いに関する記事を投稿しています。四柱推命、宿曜占星術など
今日の1曲 (298)Heart is Gold/世良公則(1987)
11月に入って急速に寒くなってきた「今日の1曲」。 今日はこの曲! www.uta-net.com ↓音源はコチラ↓ www.uta-net.com 作詞/八田雅弘:作曲:世良公則 発売:1987(昭和62)年10月21日 (当時31歳) 売上:0.8万枚(オリコン最高68位) 1987(昭和62)年10月に発売された世良公則さんソロ8枚目のシングル曲です。 ●作家陣 作曲は世良さん自身ですが、作詞は八田雅弘さんで、この方は80年代中盤から後半かけて活躍したシンガーソングライターで、自身でも楽曲リリースをする傍ら、他者への曲提供を主に行い、作詞で確認できるのは世良さんのこの曲のみでした。 作曲…
BARBEE BOYS 「女ぎつねon the Run」 =思い出す音楽 その194=
公式のものではありませんが、良いライブ映像でしたので採用しました。栗と椅子と嘘様、ありがとうございます。画質も良いものですし、カメラワークもイケてます。●さて、今回よりBARBEEBOYS(バービーボーイズ)です。もっと有名になった曲がありますが、それは後日そのうちということで、今回は、「女ぎつねontheRun(めぎつねオン・ザ・ラン)」です。「女ぎつね」を「おんなぎつね」と読んでしまったのは、アホがバレてますね。リリースは、1987年4月。同年9月にリリースされたアルバム「LISTEN!BARBEEBOYS4(リッスンバービーボーイズフォー)」に収録されています。作詞作曲は、イマサさんこと、いまみちともたかさんです。当時の印象として、個人的にBARBEEBOYSと言えば、ボーカルの杏子さんとギターのイ...BARBEEBOYS「女ぎつねontheRun」=思い出す音楽その194=
7月が早くも中旬に突入した「今日の1曲」。 今日はこの曲! www.uta-net.com ↓音源はコチラ↓ www.uta-net.com 作詞:松本隆/作曲:筒美京平 発売:1987(昭和62)年2月25日 (当時21歳) 売上:18.7万枚(オリコン最高1位) ※1987年度年間32位 1987(昭和62)年2月に発売された、小泉今日子さん21枚目のシングル曲です。 ●作家陣 作詞は松本隆さん、作曲筒美京平さんという、太田裕美さん「木綿のハンカチーフ」などで昭和50年代歌謡を席捲した黄金コンビが、昭和60年代にもヒット曲を飛ばしていました。 キョンキョンのシングルでは、「迷宮のアンドロー…
カードを入れる封筒サイズのパッケージ、2セットありました。おかげで一度に表裏UP。通し番号は「04452」と「04451」でした。ふた部分を開けます。見覚えの…
THE FINAL J.N.R MEMORIAL TICKET(昭和62年・1987年)
大きさを表現するとしたら、ベータビデオくらいかなぁ・・・これじゃわからないですね。うん・・・ほぼB6くらい。ビニール袋に入った「箱」仕様。2セットあり、ビニー…
テレホンカードサイズのカードタイプ乗車券です。あくまでも「乗車券」であって、「パスネット」のようなプリカではありません。イラストは海の生物ばかりですね。調べて…
【図解】1987年(昭和62年)生まれ|干支・命式・九星・年齢・旧暦・宿曜
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1987年の新日本プロレスで起きた世代闘争は、長州力の裏切りにより、あっさりと終わりを迎えました。藤波さんが猪木さんをジャーマンでフォールが決まりかけたのに、…
アントニオ猪木vsマサ斎藤の巌流島決戦後に始まった新日本プロレス・闘魂シリーズ。パンフレットはやっぱり猪木さんが大きく表紙になってるね猪木さんは巌流島決戦後で…
1987年10月4日、ついにアントニオ猪木さんとマサ斎藤との対戦が巌流島で行われました。観客は入れなくて、新日本プロレス関係者とマスコミしかいなかったんだよね…
世代闘争に乗り気でなかったアントニオ猪木さんとマサ斎藤はシリーズ中に巌流島での対戦を表明しました。世代闘争の最中なのに…話題は巌流島に集中しそうですが、大阪府…
新日本プロレス、戦国合戦シリーズ中にマサ斎藤がアントニオ猪木さんとの対戦を要望しました。世代闘争中で猪木さんと斎藤さんは同じチームなのに…これを受けて猪木さん…
新日本プロレスは8月24日に新たなシリーズ、戦国合戦シリーズが開幕しました。戦国合戦って世代闘争を意識したシリーズ名かな?このシリーズ、上田馬之助やケンドーナ…
1987年8月19日、20日に新日本プロレスは両国国技館で興行を行いました。それが、「サマーナイトフィーバーイン国技館」うわぁ〜沢山の日本人レスラーだけの大会…
IWGPリーグ戦最終戦で勃発した世代闘争。期待が高まる中、新たなシリーズ、ビッグサマーファイトシリーズが開幕しました。⬆️これはシリーズのパンフレットだねちな…
1987年の新日本プロレスの第5回IWGPリーグ戦の優勝戦はアントニオ猪木とマサ斎藤の対戦でした。このカード、この年では3回目だね試合は猪木さんが斎藤のバック…
1987年の新日本プロレスがざわつき始めたのが、アントニオ猪木vsマサ斎藤の2度目の対戦だったと思います。1度目の対戦ではアングル間違いで大暴動が起きたんだよ…
久々にプロレスネタです。最近プロレスのことを語ってなかったねアントニオ猪木さんが亡くなって1年が過ぎました。昭和時代、猪木さんが様々なアングルを生み出し、ヒッ…
昨日の明け方だったか、突然雷が鳴った。晴天が続いてまた今日も晴天かと思っていたのに。どうせなら月イチの区の掃除の日に雨降りやいいのにさ!今日はまた遠出しないといけない日なのに、こんな日に雨降るなんてね!でも、出かける時間には雨止んでまた高くて青い空がせいせいと広がっていた。その少し前には虹が見えたので「3年ぶりだな〜」とあの頃を思い出した。…皆がつらい時期だった。そして私も。そういえば、2020年〜21年にやたらと「にじ」って曲をTVのCMやドラマの中で出演者が歌ってるのが聞こえて来たけど。「黒ネコのタンゴ」「およげたいやきくん」「だんご3兄弟」「ポニョの主題歌」みたいな非歌謡曲系のヒット曲かと思ってたら、1987年に作られた童謡だった。二十歳の頃じゃん!当時巷で流行っていた記憶は無い。あの「Getwil...3年ぶりに虹を見て、あの曲を思い出した
今日の1曲 (198)電光石火BABY/甲斐よしひろ(1987)
2023年も後半に入ったと思ったら、その7月ももはや終盤に入った「今日の1曲」。 今日はこの曲! www.uta-net.com ↓PVはコチラ↓ www.uta-net.com 作詞/作曲:甲斐よしひろ 発売:1987(昭和62)年4月6日 (当時33歳) 売上:1.3万枚(オリコン最高41位) 1987(昭和62)年4月に発売された、甲斐よしひろさんのソロ3枚目のシングル曲です。 ●実質ソロデビュー曲 甲斐さんのソロ3枚目シングルと書きましたが、最初の2曲は1978(昭和53)年、甲斐バンド時代に唯一のソロアルバムをリリースした際に、2曲シングルカットしたもので、それらはいずれも他者が歌っ…
隣町にお住まいで、いつかはお会いしたいmeek6768さんが、すてきなYoutubeクリップを紹介くださった。1987年から1989年にかけて日本で放送さ...
BOØWY 「Marionette -マリオネット-」 =思い出す楽曲 その29=
凝ったPVです。アニメーションを織り交ぜながらのPVというのは、この当時珍しかったのではないでしょうか。調べると、このアニメーションの部分は「オネアミスの翼」のガイナックスが制作とのことで、個人的には「ほぅ」と思いました。氷室さんと布袋さんに若さは感じますが、基本的にカッコ良さはこの当時から変わっていないことがわかります。すごいです。●この「思い出す楽曲」シリーズ。1980年代後半~90年代にかけて(僕の高校時代以降)の楽曲が多くなってきました。やはり皆さんそうだと思うのですが、高校時代以降って記憶がいろいろとたくさん残っていますよね。だから、「思い出す楽曲」になっているんだろうと思います。さて、本題に入りますが、実は初めてこの楽曲を聴いた高校生当時、BOØWY(ボウイ)の楽曲という認識はなく、また、BOØWY...BOØWY「Marionette-マリオネット-」=思い出す楽曲その29=
PSY・S(サイズ) 「Lemonの勇気」 =思い出す楽曲 その21=
こちらのPVも前回の記事「電気とミント」のPVと同じようなタッチです。同じように1980年代を感じ、今となってはもちろん古さも感じますが、かと言って嫌いなタッチではないです。これ以前のタッチ、例えば、YMOのPVなどに比べると余計なギザギザ感が取れてまだソフトです。考えてみれば、この当時の世相も何かソフトな雰囲気を目指そうとしている気配があったでしょうか。今ではあまり覚えてはいませんが。●今回もPSY・S(サイズ)です。この「Lemonの勇気」は、上のPVでもわかりますように、アニメ「TO-Y」のテーマソングになったことで有名な楽曲で、この楽曲でPSY・Sのことを知った方も多いようです。と、他人事のように言っている僕は当時そのことを知らなかったからです。前回の記事「電気とミント」と同じように高校時代を思い出す楽...PSY・S(サイズ)「Lemonの勇気」=思い出す楽曲その21=
PSY・S(サイズ) 「電気とミント」 =思い出す楽曲 その20=
このPVも1980年代後半を思い出させます。前回のLÄ-PPISCH(レピッシュ)の「パヤパヤ」もそうでしたが、ファッションや軽いノリ(もちろん、実際はいろいろと大変だと思います)、それと映像のいじり方がどうしても1980年代を感じさせます。●前回の記事での「高校時代を思い出す楽曲」という流れでいうと、僕にとって忘れてはならないミュージシャンがもうひとつありました。それが今回取り上げている、PSY・S(サイズ)です。1980年代後半に活躍したミュージシャンで、このPSY・Sを挙げない人は僕は「もぐり」だと思ってしまいます。それぐらいの存在感が当時の僕にはありました。それにしても、この「思い出す楽曲」シリーズスタート当初のPerfume以上に思い出す楽曲が多すぎるので、これも数回に分けたいと思いますが、どの楽曲か...PSY・S(サイズ)「電気とミント」=思い出す楽曲その20=
LÄ-PPISCH 「パヤパヤ」 =思い出す楽曲 その19=
あざやかに1980年代後半を思い出させるPVです。ファッションもそうですが、この軽いノリでPV撮影している感(もちろん、実際はいろいろと大変だと思います)は、やはり、80'sを感じざるを得ません。かなり懐かしいですね。●国内外問わず多くのミュージシャンを撮影している写真家であり、音楽評論家でもある石田昌隆さんのInstagramのアカウントで先日、LÄ-PPISCH(レピッシュ)の写真をアップしていらっしゃったので、そういえば「パヤパヤ」は今でも思い出す楽曲だなぁ、とこちらでも取り上げさせていただいた次第です。「パヤパヤ」のリリースは1987年。この年、僕は高校1年生で、部活動で本格的に写真をやり始めた時期でした。同時に自分の中では高校生活を非常に充実したものにしようと、いろいろなものにアンテナをはりめぐらせ、...LÄ-PPISCH「パヤパヤ」=思い出す楽曲その19=
1986 OMEGA TRIBE 「Miss Lonely Eyes」 =思い出す楽曲 その40=
少し以前だったでしょうか。過去に取り上げたことのあるレベッカの場合はたくさんのファンの方々がアップしている動画が多く公式にアップされている動画が少なかったために、こちらでちゃんとした形でご紹介するのに苦労しましたが、今回は公式の動画はあるのですが、その動画が他サイトでの掲載・再生(埋め込み)をブロックしているがために、こちらでちゃんとした紹介ができないという何とも悩ましい状態であります。ということで、上記動画も削除あるいはこちらのページでの再生ができなくなるかもしれません。その際は、こちらで公式の動画をご覧ください。●さて、今回はほぼ忘れていて思い出したオメガトライブです。この「思い出す音楽」シリーズも最近は僕の高校時代前後(1980年代後半)の楽曲を取り上げることが多く、ほかにもあったような気がしていた...1986OMEGATRIBE「MissLonelyEyes」=思い出す音楽その40=
1986 OMEGA TRIBE 「Brilliant Summer」 =思い出す楽曲 その42=
今回も公式の動画ではありませんが、「夜のヒットスタジオ」の映像です。なかなか懐かしいものですが、権利関係はクリアしているのでしょうか?埋め込みで紹介しておいてなんですが。それにしても「夜ヒット」は長く続いた音楽番組ですが、当時の音楽番組の象徴的なもので、この動画も1980年代後半の雰囲気をまざまざと感じさせてくれます。こちらの動画も削除あるいはこちらのページでの再生ができなくなるかもしれません。その際は、こちらで公式の動画をご覧ください。●10月なのに昼間は夏のように暑い日が続いています。というわけではないですが、オメガトライブの3曲目は「BrilliantSummer」です。リリースは、1987年6月にリリースされた企画アルバム「DJSPECIAL」の中の唯一の新曲として収録されたのが初出となります。こ...1986OMEGATRIBE「BrilliantSummer」=思い出す音楽その42=
さだまさし 「風に立つライオン」 =思い出す楽曲 その47=
少し昔の動画のようですが詳細はわかりません。しかしながら、さだまさしさんと佐渡裕さんの強烈なタッグの貴重な動画であることは間違いありません。どうか、この動画も(真面目に書いています)この先、いつまでも視聴できるように願っております。●今回も途中「アメイジング・グレイス」の旋律を引用しているという部分でクラッシック音楽つながりということで、さだまさしさんの「風に立つライオン」です。初出は、1987年7月。アルバム「夢回帰線」に収録され、その後11月にシングルカットされました。最近でいうと、大沢たかおさんの企画でさだまさしさんが小説化し、それが2015年に映画化されています。その後も、「公益財団法人風に立つライオン基金」を設立され、僻地医療や大規模災害の復旧現場などにおいて奉仕活動をする個人や団体に対して支援...さだまさし「風に立つライオン」=思い出す音楽その47=
桑田佳祐 「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」 =思い出す音楽 その82=
今回の動画はこれしかないでしょう。YouTubeの桑田さんの公式アカウントの動画です。これまでの振り返りも含めたファンの皆様への感謝の気持ちが込められた非常に良い動画ですね。ファンじゃなくても、何かうれしいです。●今回も桑田佳祐さんのアルバム「KeisukeKuwata」からの楽曲、「悲しい気持ち(JUSTAMANINLOVE)」です。初出はこのアルバムがリリースされる前年1987年10月に自身のデビューシングルとしてリリースされていました。要は桑田佳祐名義での初シングルでした。そんなこととはつゆ知らず、僕は若い頃(高校時代~20代前半)によく聴きよくカラオケなどで歌っていた楽曲であります。先日こちらで取り上げた「今でも君を愛してる」とは違い、こちらの歌詞はところどころ自身に符合している部分もあったりで、...桑田佳祐「悲しい気持ち(JUSTAMANINLOVE)」=思い出す音楽その82=