双極性障害持ち。メンヘラ歴1/4世紀の私が、病気になったから会えた (会うことが出来た)人々や出来事について書いていきます。育児についても。
ヘルパー図鑑4(巳浦さん) 家政婦紹介所ーアイロンがけは高度な家事?ー
卯川さんと話したのは月末だったので、その月の終わりをもって「ひまわり」 の利用は終了になった。 さて、どうするか。卯川さんの言う様に家政婦に頼むか。 今まで家政婦を頼んだ事などなかった。ネットで「家政婦紹介所」を 調べ始める。 条件として 【立地】多分家政婦さんは、自分の自宅から近い紹介所 に登録していると思われる。わが家から近い所に住んでいる人の方が何かと 便利と考えた。 【費用】うちはごくごく普通のサラリーマン家庭で、私は働いていない。 治療費や薬代の出費が常にある。費用の節約は、何をするに当たっても念頭にあった。 「たんぽぽ家政婦紹介所」(仮称)のHPでの料金は相場より、少し低いくらい、…
前項で卯川さんに「何故子供に家事を手伝わせないの?」と迫られた 件を書いた。 確かに、母親が、妻がうつで家事が出来ないのであれば、他の家族がカバーする、 手伝うというのは常套でもあり、尤もな話だ。 しかしうつで疲弊しきった身には、他者に家事を教えたり指図する気力も 残っていないかった。 utuutuyasuyasu.hatenablog.com 家事を手伝うのが前向き・プラスの協力としたらもう一つ、マイナス・後ろ向きの 協力の仕方があると思う。 それは「文句を言わない事」 コンビニ弁当が続いても、調理にかかるのが遅くなり夕飯が遅れても、 家が汚くても洗濯物が畳まれていなくても「責めない」 子供…
卯川さんに、辰倉さんを固定で入れて欲しい旨電話を入れた。 「出来ません」彼女はにべもなかった。 「それだと他の利用者に手が回らなくなるし。辰倉さんが有能なのは 分かってます。でも、それだと安井さんが辰倉さんに甘えて頼っちゃうでしょ」 頼れる存在に頼るのはいけない事なのか? 「ちょうどお話したい事があるので、お時間取って貰えますか?」 ヘルパーが来ない曜日に卯川さんはやってきた。 卯川さん「ヘルパーから随時安井さん様子の報告を受けてるんですが、 この所部屋の片づけが全く進んでいないそうですね」 私「はい。ちょっと体調が悪くて、手がつけられませんでした」 卯川「お子さんは?少しはお子さんにもやらせ…
契約も無事に終わり、毎週2回ヘルパーの来る生活が 始まった。私が卯川さんやヘルパーさんに伝えたのは「ともかく家族に しっかりとした、栄養のある食事を取らせたい」事。 特に子供は成長期だったので、きちんと食事を作れない状況は ずっと気になっていた。申し訳なくて仕方なかった。 ヘルパーが来る日の分の夕食を作ってもらう。献立をこちらから指示する場合 もあるようだが、うちは特に好き嫌いもアレルギーもない。「冷蔵庫の 中を見て、好きに作って下さい」とお任せにした。 品数や量が多い分にはかまわないとも言い添えた。男性が3人いるし、 余れば翌日に回すことが出来る。 2時間あればその日の夕食を作り、後片付けま…
十勝保健師が連絡を取ってくれて、 utuutuyasuyasu.hatenablog.com 「ひまわり」の調整員卯川(仮名)さんが訪ねて来ることになった。 会員になる必要があり利用に当たっての契約や説明の為だ。 人手が足りない(これは有償家事援助団体共通の課題のようであった)ので、 最大で週2回。2時間が限度であること。同じく人手の理由で、同じ人を 固定して寄越すことが出来ない。来るヘルパーばランダムになる。 時には自分もヘルパーとして入ることがある。 援助時は必ず在宅のこと。 援助に入るのは一般の主婦なので、高度な家事は要求しないで欲しい。 苦情や要望、キャンセルなどは自分まで連絡して欲し…
前項 utuutuyasuyasu.hatenablog.com で、食事作りの助けになるヒントを挙げたが、 「どうしても自分が作らなくてはならない」 状況に陥る場合もあるだろう。 必要に迫られて、出来るだけ負担を少なく食事を作る方法。 私のやることなのでサイテー(最低限minimun 最低worst) の調理法、サバイバル法であることをお許しいただきたい。 1冷蔵庫の装備 材料がなくては始まらない。まずは体調の良い時を狙うか、 生協、ネットスーパーの活用、週末に家族に頼むなどし 冷蔵庫をいっぱいにしておく。冷蔵品は体調が悪いとたちまち 賞味期限・消費期限が過ぎてしまう。私は努めて冷凍品を選ん…
調理 掃除・整頓 洗濯 と家事を分類すると、一番大切で待ったなし なのは「調理」である。 ゴミでは死なない。荒れ果てた部屋でも生き延びる事は出来る(例 ごみ屋敷) 洗濯は洗濯機がしてくれる。とはいえ、本当に具合の悪い時は洗濯機のボタンを 押すことも難しかったし、畳んで収納などという部分はパスであった。 いつもうずたかく洗濯した物が積まれていた。 いろいろな部分に目をつむっても食事は無視できない。ゴミでは死ななくても 食事をしなければ死んでしまう。 「ひまわり」に依頼する前、私は「魔の4時」に苦しんでいた。 うつで寝たきり状態の私がふと時計を見ると「4時」 である。そろそろ夕飯を作らなくてはいけ…
十勝保健師が紹介してくれたのは、地元のボランティアグループ。 産後や病気、障害を持った人たちに家事を援助する団体だ。 団体名を仮に「ひまわり」とする。 「ひまわり」は、勉強会のメンバーが元になって作られたグループで 志の高い人たちが集まっているようだった。 だった、というのは「ひまわり」のメンバーで私が顔を合わせたのは 調整員とヘルパーのごく一部で全体像がつかめた訳ではないからだ。 ただ「ひまわり」の出している会報からは、これからもどんどん 活動を拡げ困っている人たちの力になりたいという意欲が感じ取られた。 「ヘルパー」としたが、実はこの呼称は正確ではない。 団体によって「援助会員」だったり、…
十勝保健師は、ボランティアで構成される有償家事援助グループを 紹介してくれた。 保健師図鑑2(十勝さん)保健師に動いてもらう方法 - そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー 非常に助かったが、サービス利用後も山あり谷ありだった。 うつ病の母親に取って待ったなしで降りかかってくる家事と育児は 非常につらく、負担になる。 それらに苦しめられ 母子で死んでしまおうという気持ちが身をもって痛いほど経験した。 一緒に死にたい気持ちを押しとどめるのに懸命な時期もあった。 保健師図鑑3(金子さん)壊れたレコード - そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー 子供を預けるという事 継子姫 - そううつ色々図…
保健師図鑑4(虎谷さん)精神疾患の人の為の公的サービス 付保健師まとめ
とは言え、大変お世話になった保健師もいる。虎谷(仮名)さんだ。 精神疾患はいくつか受けられる公的のサービスがある。 精神障害者保険福祉手帳の交付、障害者自立支援医療制度、障害福祉サービス、 障害年金、精神障害者地域移行・地域定着支援事業などだ。 保健所が窓口になっているサービスも多々ある。 しかし時として手続きは煩雑で、準備する書類も多く、気力も気力も 削がれている患者が行うのは大きな負担を伴う。 保健師の虎谷さんはサービス申請に関して大変きめ細かく 懇切丁寧に説明し、フォローしてくれた。 窓口が保健所でないサービスについては、担当部署に予め連絡を入れて繋いで くれた。もう保健所が閉まる時間で…
頑張ってる方たちもたくさんいると思うけれど、 コロナの昨今保健師たちの奮闘も報道されているけれど、 十勝さんといいい、今回取り上げる金子(仮名)さんといい、 保健師には当たりはずれがある気がする。 一つは保健師が忙しすぎるのだろう。 見える部分だけでも乳児検診や健康相談、講習会など 事業満載であり、各保健師に振り割られた担当エリア(●●町一丁目など) がとても広く、一人ではとてもカバーしきれないようだ。 見えない部分の仕事もたくさんあるだろう。 待っていても、保健師は決してあちらからは来てくれない。 こちらから保健所に出向いて訴えなくてはいけない。 第三者の訴えがあって初めて腰を上げる場合もあ…
この時頼ったのは、九鬼さんのC保健所ではなく、もよりの保健所である。 地域で、健康関連で駆け込むと言ったら保健所しか思いつかなかったし、 それは多分正しい選択なのだと思う。 約束無しで駆け込んだ保健所で、対応してくれたのは十勝さん(仮名)という 大柄の中年の女性だった。 うつ病で治療を受けていること、ともかく体が重く疲れて家事が出来ず、 もう家のなかがぐちゃぐちゃで酷い状況であること。家事の不備でますます 落ち込みが酷くなる悪循環であること。 治療は医師に任せるとして、病気故の家事の停滞の解消に力を貸して欲しい。 そう十勝さんに訴えた。 「そうねぇー。でも、そうは言ってもまさか私があなたの家に…
と、ダークな話題に終始してしまったが、事実・現実なのだから仕方がない。 さて闘病中、一番苦しんだのが「家事」と「育児」が疎かになっていることへの 自責の念だった。 母として、妻として役目が果たせない。迷惑をかけている。申し訳ない。 自分を責めれば責めるほど、落ち込みは深くなり動けなくなる。家事や育児はますます滞るという悪循環。 こんな人間はこのうちにいてはいけない。夫に離婚も申し出た。また、子供を全寮制の学校に入れる事も提案した。夫は両方頑として拒否した。離婚はしない。子供は手元で育てる。家事や育児は自分も極力やるし、足りない分は人手を頼めばいい、と。 子供が小さいうちは特に家事はあっというま…
希死念慮、自殺について長々と書いてきた。 自殺願望に苦しめられて来たのは確かだが、反面自殺は救いでも あった。 うつ病患者が自殺を試みるのは絶望や悩み、苦しみから逃れるためだろう。 言い換えれば、今の苦悩に満ちた状態から逃れる救いの手段を自殺なのだ。 もし人間に永遠の命が与えられていたとして、うつを患った患者が 永遠に苦しみから解放されないとしたら、それこそ地獄だろう。 本当に自殺を遂行してしまうのはもちろん避けたいのだが 避難所として自殺を頭においておくのは(実際実行しないとしても) 私の場合かなりの救いとなった。 「いざとなれば自殺すればいい」「死んだらこの苦しみから解放される」 その考え…
今までなんとか生き抜いてきたけれど、今でも希死念慮から解放された 訳ではない。調子が悪くなると、「死にたい」気持ちが頭をもたげてくる。 一日中「死にたい死にたい」とつぶやいている事もある。 精神状態が悪い時、著名人が自殺のニュースを耳にすると「羨ましい」という感情 が心をかすめる。 死にたい気持ちがありながら実行できない自分。この世から離れたいのに 、離れる事の出来ない自分。やりたいのに出来ないことを遂行した人に羨望の念 を持ってしまうのだ。 私はいつも私を殺そうとしている暗殺者と背中合わせにいるようなものだ。 暗殺者は、私が弱った時を虎視眈々と狙っているから安心はできない。 ところで前項で「…
真剣に自殺を何度も何度も考えた。有名な自殺マニュアル本も購入した。 どのような手法で、確実に楽に逝けるかを詳しく調べた。 首を吊るための丈夫な紐を探し、実行の場所を探した。 刃物でどこを切れば致死に至るのか、体を探った。 飛び降りる場所を探しまわり、下を見て遮るものがないか確認した。 一緒に自殺する仲間を探すサイトに見入った。 電車のホームで、飛び込みたい衝動を必死にこらえる事もあった。 精神科の薬をためて一気に飲むことも考えたが、苦しむだけで死ねそうになかった。 反面、変に冷静に気を回した。首吊りは失禁したり、舌が出るという。 それならばオムツをして、マスクをすればいいのか。 自宅で死んだら…
退院後は順調だったのかと言うと、全くもって そのようなことは全くない。 本当に辛く苦しく、落ち込む事の連続だった。 過眠・不眠、拒食・過食、疲労感、焦燥感、絶望感、自責の念。そして 希死念慮。 うつ病(私は長年うつ病と診断されていて、一度躁状態が出て初めて双極性 傷害と診断が変わった)の症状として希死念慮、死にたいと気持ちに 苛まれるのはの特徴の一つだ。 著名人のインタビューで「一度だけ死にたいと思った」という発言が見出しとなって クローズアップされているのを見ると、死にたい気持ちが表れるのはそんなに 稀有で、取り上げられることなのか訳ではないが意外に思ってしまう。 回数が多いのが良い訳ではな…
九谷保健師と面談した翌日、さっそく八木クリニックへ向かった。 診療は5時までとなっていたが、その一時間前に着いて受付を済ませた。 30分ほど待たされて名前を呼ばれた。 診察室に足を踏み入れて、たじろいだ。 クリニックはビルの二階にあるのだが、窓一面に暗幕のような ものが張られ、外の明かりが一切入らないようになっているのだ。 薄暗い中、大きなライト(唯一の照明)を背にした八木医師(女医) の姿がぼうっと浮かび上がっていた。 腰まであろうかと言うウェーブのかかったバサバサのロングヘアで .やり過ぎなほどのきつめの、派手なメイクをしていた。 クレオパトラのようなアイライン。真っ赤な口紅。 ラメの入っ…
一人、触れることを忘れていた精神科医師がいた。 一度しか診て貰ったことはないが、非常にインパクトの大きい医師だった。 悪い意味で、である(苦笑)仮に八木医師とする。 何故八木医師のところを受診するかに至ったかは、保健師九谷さん(仮名)との 出会いに始まる。 三井クリニックでの治療に行き詰っていた私は、保健所から別のクリニックの紹介を 受けようと考えていた。 広報をチェックすると、最寄りの保健所の精神保健相談日は過ぎたばかり。 ちょうど一週間後に、バスで20分ほどのC保健所で相談を行われることがわかった。 最寄りの保健所で開催されるまで待っている精神的余裕はない。ともかく話だけでも 聞いて欲しい…
前述したように、A病院の精神科入院患者は、内科の病棟の 端でひっそりと生息していた。 あちこち自由に歩き回れるようになると、病棟の あちこちにバンダナを巻いた女性たちが多いのに気づいた。 迂闊なことに私は、始め何故彼女たちが頭にバンダナを巻いているのか、 考えが及ばなかった。 癌の治療で髪の毛が抜けているのだ。派手な物、綺麗な色のバンダナ、 地味なバンダナ、様々なバンダナを巻いた人たちが廊下を歩き、 ソファで雑談し、食堂でお茶を飲んでいた。 癌患者と精神疾患の患者がすれ違い、同居する。そんな不思議な空間が●階病棟だった。
入院時に言われたように。薬の調整・家から切り離すことでの休養・生活リズム の調整そしてカウンセリングを開始したことで、病状は好転していった。 utuutuyasuyasu.hatenablog.com 最初は病室のあるフロアの移動しか許されなかったものが、自宅で数泊 しても大丈夫なまでになり、三か月後に退院した。
伊原さんは、相沢さんとはタイプが違い、物静かでおとなしい感じの方だった。 うつで繰り返し入院している、とおっしゃてっいた。 昼間は起きて本を読んだり、庭園で散歩をしたり手紙を書いたりしていた。 私自身がそうだったのだが、うつが酷いとトイレに行くのすらしんどい。 昼間起きていることなど出来ない。 なので、私が入院した時は伊原さんは少し調子が良くなってきていたのかも しれない。 伊原さんは、私が親に小さい子を預けているのを聞き 「うちは中学生の女の子だから、何とか主人と二人で留守番大丈夫なのよ」 と話してくれた。 お嬢さんとはすぐに合う機会が出来た。ご主人は退社時間を考えると面会時間(午後7時まで…
同室の相沢さんについて書こう。今まで待合室で精神科の患者さんと 居合わせたことはあったが(患者図鑑1~4)親しく言葉を交わしたのは 同室になった相沢さんと伊原さんが初めてだった。 相沢さんはショートカットの似合う40代くらいの女性で、はきはきと話す方だった。 「私ねぇ。摂食障害で入院してるのよ。拒食症」 確かに病的に痩せていて、手足は木の枝のように細かった。 顔色は悪く、爪はぼろぼろ。目がぎょろぎょろ目立っていた。 「食べても、喉に指入れて吐いちゃうの。何度も吐くから歯も悪く なっちゃって」じっくりと見た訳でないが、確かに歯は悪いように見えた。 患者は食堂で一堂に食事を取るのだが、相沢さんもき…
カウンセリングにも色々な派があるようで、七瀬先生も「この病院に 所属するカウンセラーも人によって若干やり方が違うかもしれませんね」 とおっしゃっていた。 七瀬先生のそれはロジャーズの来談者中心療法に一番近いという。 この療法の基本的な考えは、「来談者の話をよく傾聴し、来談者自身がどのように感じ、どのように生きつつあるかに真剣に取り組んでいきさえすれば、別にカウンセラーの賢明さや知識を振り回したり、押しつけたりしなくても、来談者自らが気づき、成長していくことができる」ということです。(日本臨床心理会 HPより) 先生は私の話をいつも良く聞き、受容してくれた。時に励まし、違う選択肢や見方を示し、 …
今までで医療面では五藤先生一人に支えて来てもらっていたが、ここで七瀬 先生と言う援軍を得たのは非常に心強かった。一本の柱が二本になったのだ。 七瀬先生と五藤先生は私の情報を共有していて、七瀬先生に伝えた事は 五藤先生に、五藤先生の診療方針は七瀬先生に伝えられていた。 しかし、意外なことにA病院の精神科を受診していてもカウンセリングを利用しない 患者が少なくないらしい。理由としては①時間が取られる(私はむしろ時間をかけて くれるのがメリットだと思うのだが)②お金がかかる(保険がきかないので、A 病院の場合一回5000円くらいである)③カウンセリングに興味がない。 効果をみとめない などである。後…
カウンセリングは一回あたり50分なのだが、7年間(当時で)溜まりに溜まった 気持は到底伝え終えられるものではなかった。 「もう時間なのですけれど、また次の時に話を聞かせて下さいね」 七瀬先生は微笑んで初めてのカウンセリングは終わった。 怒涛のように自分の苦しさを訴え続けた50分間だった。 しかし、一ノ瀬先生受診から始まり、私は自分の状況や心境、苦しみや不調を ずっと伝えきれずに来た。私が訴えたいことに対して診療時間が圧倒的に 足りず、いつも不完全燃焼で、もやもやしたもの、やり残したものを抱えて 帰路につくのがいつもの事だった。 7年間積り積もって膨れ上がったそれを、初めて七瀬先生の前で噴き出す…
七瀬先生は、30半ばくらいに見える髪をシニヨンにまとめた小柄な女性であった。 「初めまして。七瀬です。五藤先生からお話は伺っています」 七瀬先生と対峙して、何か話そうとしたら、まず涙が流れてきた。 先生は黙ってティッシュを差し出した。 「私は… 私は…」 それから私は涙と共に、今までの苦しみを途切れることなく吐き出していった。 気持が落ち込み、体も重くて疲れて毎日辛かった事。育児や家事が十分できなくて 夫や子供に申し訳なくて仕方がなかった事。死にたい気持ちで苦しくて 仕方がなくなることがあること。悲嘆、焦り、自責、絶望、苦悶… ずっと抱えてきて、かつ外に出すことができない感情だった。 五藤先生…
入院中の診療は、週一回きちんとした診察の時間が取られ、他は 時々先生が様子を見に来るスタイルだった。 五藤医師が「どう?」と病室を覗きに来たのをつかまえてカウンセリングを 受けたい旨話した。 「カウンセラーがいらっしゃるのなら、カウンセリング受けたいんですけれど」 言外に何故もっと早く教えてくれなかったのかという非難を込め伝えた。 「ああ、そうなの。受けたかったんだ。じゃ、入院中にカウンセリング開始 出来るよう予約いれとくね」と先生は全く悪びれず、あっさりと返して来た。 五藤先生のキャラクターだ。 これも後からわかったのだが、ここのカウンセリング部門には複数のカウンセラー が所属していて、どの…
私は四人部屋だったが、一人の人は食事に出る他は、ずっとカーテンを 閉め切って寝ていたので全く接触がなかった。 他の二人(相沢さん 伊原さん 仮名)とは良く話をした。 その二人については患者図鑑で触れようと思うが、 二人と話して得た大きな収穫が「この病院にはカウンセラー がいる」という情報だった。 一ノ瀬、三井、五藤医師とも、短時間(5~10分)話をして 、薬を処方し次回の予約。 そのような流れに私は不安と不満を持っていた。心の問題は薬だけで 解決できるのだろうか?もっと話を聞いて欲しい。心理療法を試したい。 一ノ瀬・三井両クリニックはカウンセラーを置いていなかったし 、A病院もカウンセラーをお…
寝る→食堂まで歩いて行き、食事を取る→寝る のサイクルが続いた。食堂まで歩く事、朝夕着替えたり顔を 洗うだけの事が、酷く負担で大仕事だった。 一週間ほどたってやっと人心地ついた。周りにも目を 配る余裕も出来て来た。入院しているフロアの端から端まで 歩いたり、同室の人と言葉を交わしたりできるようになった。 行動制限も途中階の院内食堂(本来外来用で軽食やコーヒーなどの提供 がある)までOK→一階の売店まで行って良いと徐々に緩められていった。 のちには半日外出OK、一日外出OK(外出先は届けなくてはならない) 自宅外泊と段階を踏み、自宅外泊を数回試みた上で退院となる。
医師に申しおかれた内容は 1きちんと服薬する(これはどのみち毎回看護師が管理) 2つらくても起き上がって食堂で食事を取る。出来るだけ入浴もする 3怠くても必ず昼間と寝る時では衣類を着替える。朝夕の洗面もきちんと であった。 入院の目的・メリットは ①入院する事で、毎日の様子を見ながら細かく薬の調整が出来る ②家族から、家庭から切り離す ③規則正しい生活をする と言われた。 1→① 2,3→③に対応する。 メリハリのある、規則正しい生活。生活リズムを正常に軌道にのせることが 大切と説かれた。そのために、たとえ昼間の衣服のまま横になってしまっても良いから 一日中寝巻のままでいることは避けるように指…
前述したがA病院は総合病院で他にも科がたくさんある。 どちらかと言うと精神科はひっそりとした存在である。 入院はフロアごとに科が決まっていて、精神科は 内科と同じフロアだった。ただ精神科の患者は内科患者とは 同室になることはなく、決まった部屋にまとめられていた。 とは言え、食堂は一緒だし、風呂や談話室も共用なので 一見精神科の患者なのか、内科なのかはわからない。 のちに入院したB病院(精神科単科病院)とはかなり様相が違っていた。 精神科単科病院だと、紐類や刃物の持ち込み(自殺・事故を防ぐため) 禁止の決まりのところもままあるのだが、A病院ではそういう事もなかった。 普通の病院。精神科入院という…
五藤医師に入院を打診された際、正直抵抗があった。 その時敏記は小学校低学年、茂洋は保育園であった。 子供が小さい事に加え、精神科にかかったいるだけでも 何か後ろめたいような、こそこそする気持ちがあったのに (この気持ちについてはブログ内「逃れられない偏見」でも 触れている)入院となっては…・ 人に言えない、もし知られたら。入院するようになってはお終いだ。 これを読んで不快に思われる方もいらっしゃると思うが それが正直な心境だった。 ただ、一方でその時の私の状態は三井クリニックに通い続けてもはかばかしく なく、汚れ切ったよれよれでぐちゃぐちゃの雑巾のような状態だった。 ここで入院を試してみる価値…
誰にでも話しかける患者さんは他科でも見かけたことがあるので、 今回の事例は精神科に特有なことではないかもしれない。 前項で書いたように、受診サイクルが一緒になると同じ患者さんと 待合室で居合わせる事が出てくる。 その人はおじいさんと言っていい年頃の人で、いつもくしゃくしゃの 帽子をかぶった痩せた人だった。 そのおじいさんは待っている女性(必ず女性。なのでナンパと書いた) にランダムに話しかける。でも話しかけるといっても、全く一方的な、おじいさん自身の個人的な内容を支離滅裂に、身振り手振り交えて甲高い声でまくしたてるだけなのである。近所の様子、日々の不満、自分の信条、自分の過去、そう言った内容で…
A病院の待合で印象に残った患者さんの続き。 五藤先生の診療曜日は決まっており、予め予約をいれている。 予約のサイクルが合ったのか、良く待合室で顔を合わせる女性がいた。 彫が深い顔立ちで綺麗な方なのだが、いつも厳しいしかめつらを していた。 例えればちょうど小指を角にぶつけて「痛っ」という瞬間の顔だ。 なかなかその瞬間の(不快MAXの)表情をそのまま保つのは大変で 疲れると思うのだが、彼女はその表情を保って全く崩れず、かつ別の 表情を見せた事がなかった。 口元は今にも文句を吐きそうに半開きになっていて、これもその形で 固定されていた。 待ち時間は本を読んだりスマホをいじる人も多いのだが、 彼女は…
入院譚に入る前に、A病院外来で見た印象深い患者さんについて。 そのご婦人は、待合室に配偶者と思しき男性と座っていた。 酷くイライラしている様子が傍からも伝わって来た。夫らしき人は あれこれと世話をしようと気を使っているのだが、彼女は忌々し気に手を 払いのけ、舌打ちをしていた。 名前が呼ばれたようで、連れだって診察室に入っていた。五藤先生の 診察室だった。 ほどなくして診察室からどなり声が聞こえた。女性患者によるものだ。 「あんたね!私医者なんか信用してないんだからね!本当に馬鹿なんだから。 あんたたち最低よ!!」どうも五藤先生に向かって怒りまくっているのである。 様子をうかがうに、この女性患者…
他の科でも言える事であろうが、こと精神科に関しては主治医との相性は重要 だと思う。ラポール(調和した関係)が築けるか。信頼がおけるか。腹を割って話せるか。例えば皮膚科でとてもぶっきらぼうで無礼な医師が居たとして、湿疹を みて軟膏を出す。湿疹が治る。それならそれでいいだろう。 しかし精神疾患の場合は、ぶっきらぼうで無礼な態度を取られた時点で病状に 悪影響を及ぼしかねない。 一ノ瀬医師が「子供は手元で育てる」という価値観を持っていたが、 患者の価値観も受容、すり合わせが出来ればいう事はない。 むしろこの医師にかかったら病気が悪化するのでは?と呆れた医師の例を あげよう。この人の場合相性以前の問題か…
少し話がそれてしまったが、三井医師の所から帰って来て泣き崩れている私を見た 夫は心配し、真剣に別の病院を探し始めた。 元々、通院しても今一つはかばかしくない病状に不安を抱いていたようだ。 夫が探して来たのは、A病院という有名な総合病院だった。特に精神科が有名な訳でも 伝手が有る訳でもなかったが、たまたまA病院の内科に知り合いがいたことから 思いついた(!)との事だった。 三井医師から紹介状を貰い、A病院に行く。担当してくれたのは五藤(仮名)という中年男性の医師だった。五藤医師は今に至るまで(一時期を除き)私の主治医である。 A病院は大病院なので、どの医師が担当になるかは指名しない限り運次第で …
ここまで読んで下さった方、飛び飛びでもそうでなくてもお礼をお伝えしたい。 子供たちと安井については分かった。一体夫はどうしていたんだ?という疑問を 持たれた方もいるかもしれない。 夫はごく普通のサラリーマンで、転勤を伴う仕事をしている。 私と違い、メンタルは(肉体も)ごく健康である。 私が恵まれたな、と思ったのは私が不調に陥っても夫が常にフォロー、 受容してくれたことである。 子煩悩でもあり二人の子を分け隔てなく、とても可愛がりもした。 ただ仕事が忙しく、出張も多いので物理的に時間のさけない事は多かった。 しかしその中でも十分家事がこなせない状態を責めたりせず (ごくたまに機嫌が悪く爆発するこ…
三井クリニックから転院しようと思ったのは、病状が改善 されなかったのが一番の原因であった。 しかし小さな要因として、居住エリアにあったので知り合いに 会ってしまう、という事があった。 クリニックは精神科単科クリニックである。 まぁまぁ混んでいるのだが、ある時町椅子に敏記(長子)の 同級生のお母さんの顔を見つけてしまった。 会釈し、その時もその後もお互い何事もないように過ごしたが。 有名人の心の病気のカミングアウトの報道も珍しくない今、 心の病に対する偏見は減ってきていると思う。 心の病を患う当時者として、本来ならばその偏見をへらすべく 動く事が正しいのであろう。 しかしいまだに私は自分の病気に…
三井医師のところに通い続けていたが調子ははかばかしくない。 具合が悪いと訴えても、いつもの冗談を聞かされ、薬を変える。 効き目が出るまで1~2週間ほど我慢して服薬するが改善されない。 また医師に訴える。そんなことがずっと繰り返されていた。 ある時とうとう私は「良くならない!」と医師の前で泣き叫んでしまい、 ぐちゃぐちゃの顔のまま帰宅して、そのまま布団につっぷして泣いていた。 帰宅した夫がそれをみて酷く心配し、転院を考えるようになった。
私がこのブログを書こうと思った理由はいくつかあって、今までの忘備録 日記がわりと、あと精神科に長年通いかつ入院も複数回して いろんな人にあった事を書き留めたかったからだ。 もちろん実名は出さないし、設定を少し変えている場合もある。 こんな人もいるんだ、病気を抱えて生きているんだと伝えたい。 三井医師のクリニックは通院なので、それほど協力に印象に残る患者は いなかった。(やはり入院の時に会った患者さんはインパクトがある) しかし、一人だけ今でも思い出すような患者さんがいた。 年配の女性のようであったが、カーテンの向こうなので姿は全く見えない。 認知症のテストなのか、看護師があれこれ聞いている。 …
四津医師の事で脱線してしまった。 私は三井医師にかかり始めた。と同時に敏記と茂洋を 保育園に入れた。 保育園に入れた事で大分楽にはなったが、どうも敏記の時のように すっきりしない。 内服だけでなく、抗うつ剤を点滴も行ったが怠さを酷く感じるだけであった。 また、私が気になった(気に障った)のは、同じ冗談を毎回毎回いう事だった。 それも大して面白くない冗談を。あれは何だったんだろう?
二谷医師でこりごりし、保健所に相談してかかったのが三井医師のクリニックである。ここは自宅から徒歩15分くらいのところにある。 というか、近辺でメンタルクリニックはここしかなかった。 ここで精神科医二人目、と書いたが綿密に、正確に考えると三人目である。 「発病まで」の所に記した 大学時代に学生センターでカウンセリングを行っていたのは精神科医だった。 仮に四津医師とする。 前項で二谷医師への非難を記したが、四津医師もまたとんでもない医師だった。 週何回かで学生センターに来ていたが、普段は病院で診療に当たっていると言っていた。 私は就活がうまく行かない、家庭の事情がと泣き言を言ったり相談をしにいき …
無事第二子が誕生した。うちは二人とも男の子で、上の子は敏紀、下の子は茂洋という(仮名) 初めは快適に順調に日々は流れていった。 しかし!茂洋が6か月になった頃、あのいやーな感覚が戻って来た。疲れ、不安 憔悴、落ち込み。 少し長く睡眠をとるなど工夫しても改善しない。 茂洋が生まれてから間もなく引っ越しをし、土地勘もない。 近くに産婦人科(二谷産婦人科 仮名)があったので(ホルモンのバランスでうつになる事もあると聞いていた)のでとりあえずそこを受診することにした。 症状と、第一子の時も同じような事があり精神科にかかったことを説明する。 間髪をいれず、二谷は「もうねえ!最近のお母さんは大人になりきら…
そうこうするうちに月日は経ち、保育園に通う子供は2歳を迎えようとしていた。 私は精神的にもすっかり落ち着き、夫と二人目を考えるようになっていた。 夫も私も兄弟がいて、兄弟がいる暮らしは楽しいと感じていた。 医師からは症状が再燃しない保証はないけれどまあ二人目、大丈夫でしょう、 と言われた。 私の本音を言うと、また6か月くらい経った頃、あの精神状態にならない 自信はなかった。けれど自信がないからこそ二人目を作りたかった。 親の私が寝込んでも、子供同士で遊べる。助け合える。 いざとなれば保育園がある。病院もある。長子の時より ずっと心強いではないか。 子供が2歳の誕生日を迎えて少し経って妊娠が分か…
一歳児であったが、ちょうどある保育園に空きがあった。 これも幸運であった。(保育園をあまりご存じない方のために 注記すると、低年齢ほど入園しにくい) ならし保育で子供を初めて保育士の手に預けた後の帰り道は 忘れられない。肩の重さがすっと取れ、空気を吸うのが楽になった。 空が高く、緑が綺麗に見えた。 とは言え、いきなり快調に戻った訳でもなく 保育園に送り届けたあと、玄関でぱったりと倒れこみ、 お迎えの時間まで倒れていたままの事もあった。 送って帰宅後、一度寝巻に着替えはっと気づくとお迎えの時間。着替えたつもりが 上はパジャマのままという事もあった。 しかし、保育園にいる時間は子供はちゃんとした食…
前項と前々項で子供を保育園に預ける決断をした事、当時の私の状況を記した。 小さなお子さんをお母さんが殺してしまった報道を見るととても胸が痛む。 自分もそれに本当に近い状況だったから。 医師の反対意見を飲まずに保育園に預けたのは賢明な判断だったと思う。 そうでなければ、どうなっていたか分からない。 辛いお母さんはー 本当に行き詰まると周りが見えなくなり、情報も入らなくなって しまうのは分かるのだけれど 子供と離れる、預ける方便を考えて欲しい。 私が知り合った病院(精神病院)友達はお子さんを乳児院に預けていた。 保育園もある。認可でなくてもいいかもしれない。 一ノ瀬医師の「小さい子供を預けたらかわ…
その頃の私は育児をするのが心身ともに辛くて辛くて 仕方がなかった。 繰り返し思ったのが「盲腸になりたい」であった。 盲腸になって、手術のため入院すれば子供から 離れられる。育児から離れられる。それほど疲弊していた。 それと、これはデリケートな話題になってしまうが 希死念慮も強かった。子供が小さいうちは一体感が強く 自分も子供も一緒にと思い込んでいた 実は希死念慮は今に至るが、子供がある程度大きくなると 「道連れ」にしようという気持ちはなくなった。 子供が自分の一部のように思え、自分が死んだらこの子は 生きていけない。ならば一緒に と思い詰めていた。 うちはマンションだったのだが、泣きながら子供…
そんな時ぱらぱらとめくっていた育児雑誌に病気で保育園にお子さんを 預けた人の体験記が載っていた。 私は幼稚園出身で、保育園というものが良く分かっていなかった。 仕事している人が預ける所?程度の認識だった。 「病気の人は子供を保育園に預けられるんだ!」「子供を預けられるところが あるんだ!」 その記事を読んでぱっと目の前が明るく開けたようになった。 それから担当部署に電話をかけたり、子供を抱っこして役所に行ったりして 保育園入園に向けて頑張り始めた。 クリニックに行った際、一ノ瀬先生に「子供を保育園に預けようと思うんです」 と伝えた。 先生の答えは「え!?預けるの?だってお子さんこんなに小さいの…
ともかくすがるように薬を口にし、次の通院日だけを心待ちにした。 保健所に駆けこんだ時と違うのは、薬と通院という支えが出来た事だ 向精神薬の副作用として口渇やめまいと言われたが、 そんなものなんでもない。 一度だけ湿疹が出てしまい、その時は薬を変えた。 1週間… 2週間。薬が効いてきたのか、いくらか気持ちは晴れて来た。 しかし「幾分」上向きになってきたが、まだ沈み込みがちであった。 疲れが酷くて何をするのにも億劫なことも変わりはなかった。
向精神薬を服用している方はご存知と思うが、 薬が効いてくるには1週間~2週間を要する。 なので先生が1週間後の来院を指示したのは正しい。 だが、だいだい精神科に駆けこむような人は ぎりぎりまで頑張って、ぎりぎりまで踏ん張って どうにもこうにもどうにもならない(以上某主題歌より) 状態になってから、決死の覚悟で訪れるのではないだろうか。 しかし往々にして医師の対応は薬を出し、効くまで待ちましょう、と。 こっちは余裕がない。現在の苦しさを「今」どうにかして欲しい。 しかし処方箋を渡されて、1週間後来るのように言われるが 典型的な形だろう。 解消して欲しかった苦しさが即時なくなった訳ではない。 この…
のち複数の精神科を受診することになるのであるが、今から思っても ここのクリニックは少し変わっていた。 高級マンションの一室にあって、一見普通の住宅である。 ドアをあけても病院らしさはなく、リビングルーム・応接室にあたる ところに医師の椅子と患者の椅子がある。絨毯がひかれ、調度品がおかれ、 ちょっとセレブなお宅訪問のていだ。 椅子も少し高級な客様用の家具で、病院にありがちなパイプ椅子や丸椅子ではない。 医師も白衣を着ておらず、机もはさまずふかふか椅子に座って対峙する。 これは緊張させないような仕様であろうか… などと冷静に考えられたのは あとあとの事。 この日も子供を抱きつつ、滂沱の涙を流しなが…
そこの保健所では、精神保健相談は精神科の医師と保健師の二人が対応するシステムだった。 預ける先もないので、私は子供を抱いて相談した。 疲れて体が重くて仕方がない事。育児に自信が持てず、不安で苦しくて仕方がない事。 一週間後の自分が想像できない。一週間過ごし挙げる自信がない。話ながらぼろぼろ涙を流していた。ぽたぽた涙が落ちるのと、子供なりに不穏な雰囲気を感じ取るのか 膝の上の子供が時々心配そうに上を向いた。それがまた不憫で涙が溢れて来た。 「精神科に受診した方がいいですね。紹介状を書きます。クリニックに心当たり がなければ、それも紹介しますから」担当の医師は言った。 精神科を受診した経験のない者…
誕生日の事があってからも公園通いは続け、離乳食や断乳など 進めていた。 でも気持ちの不安定ーどうしようもない不安や焦燥感、悲しみ、育児への自信のなさ。そして体が鉛のように重い疲れは酷くなるばかりだった。 育児書など読んで「頑張りすぎなくていい」「家事は手抜きでも」とあったが 頑張りすぎるどころか家事は本当に最低限(掃除などは手が回らず家はぐちゃぐちゃ) 育児も離乳食は市販の物に頼る事が多かった。 それなのに気持ちと体の不調は酷くなるばかり。 そしてある時、とうとう一週間後の自分がどうなっているかが分からなくなった。 一週間という期間をやり過ごす自分を全く想像できなくなった。 最初の夫の赴任先で…
ダウンとかとどめの一発とか書いているけれど、 私は格闘技は詳しい訳でも興味がある訳でもない。 けれど、TVで見るボクシングなどの試合で ぶん殴られて倒れる、ダメージを受けてふらふらになる、 私の場合は精神的なものだけれどまさにやられている選手 の状態が一番近くて例えやすいと思うのだ。 さて、電話相談で「悩み易い人認定」され、気分の晴れないところに とどめの一発が来た。 子供が熱を出して、数日公園通いを休んだ。熱が下がり 公園へ行くと、他のママたちが「この間有難う~」「楽しかったよ」 と盛り上がっている。聞くと、遊び仲間の一人、Aちゃんのお誕生会をAちゃん家 で催したらしい。うちは風邪だったから…
不穏な気持ちを抱えつつ、近くの公園通いは続けていた。 笑顔を作りながら、疲れと不安な気持ちでいっぱいだった。 けれどもママ友にそれも打ち明けることも出来なかった。 私「育児大変よねぇ。何だか疲れちゃって」 友人「あはは、そうよねえ」 で会話終了。 でも一向に気持ちは晴れない。 育児電話相談の番号を調べ、電話してみた。 「6か月の子がいます。起きている時間が長くなって、どうやって接して あげるのが正しいのか、迷って疲れてしまって・・・」 相談員の答えは「ふーーん。あなたって悩み易いんだ」 ニュアンスを文で伝えるのは難しいが、鼻でせせら笑うような、非難するような 口調だった。私は一気に相談する気を…
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