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#308 金ヶ崎と姉川の戦いを『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』で浅井長政と朝倉義景と戦った「姉川の戦い」などを大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』から見…
#309 第25回「はるかに遠い夢」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年7月2日の大河ドラマ『どうする家康』の『はるかに遠い夢』について、ついに徳川家の最大の悲劇「築山殿事件」「信康自刃事件」が終わります。家族愛と家を守…
#310 築山殿と信康の悲劇を『三河物語』から読む~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河ドラマ『どうする家康』23~25話につらなる徳川家中の悲劇「築山殿事件」と「信康自刃」ついての『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』の記述…
#313『三河物語』の『信長公記』の評価 ”うそが多い”!?
大河ドラマ『どうする家康』の大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書き残した『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』で『現代語訳 信長公記(全) (ちくま学芸文庫…
#315 第26回「ぶらり富士遊覧」感想~大河ドラマ『どうする家康』
いや〜大きくキャラ変の家康お披露目の2023年7月9日の大河ドラマ『どうする家康』の『ぶらり富士遊覧』について 大きくキャラ変の家康第26回ぶらり富士遊覧ダイ…
#317 信玄を怒らせるな!を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』で第16話~第18話までの武田信玄の西上作戦について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』…
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の本能寺の変-英雄の最期- について、どのように描かれていたのか革命児だからこそ安定させるこ…
#319 三方ヶ原の戦いを『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』で第17話~第18話の「三方ヶ原の戦い」について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』から…
去年の今頃にも初詣で行った所。長泉町の山深く入った所にある、徳川家康公を祀ったミニ東照宮。三嶋大社は例年の通りで行くとまだ混んでいる筈で、人混みの中でいらぬトラブルには巻き込まれたく無いので、またこちらにしました。「天下泰平」なんて、まさしく殿を祀ってる場所っぽい!間違えたらヤバい迷い道は2箇所あって、その①▲こっち行くと行き止まり。そこの奥にあるもう一本の道の方が正解。その先にももう1箇所迷い道②があって、今度は右側が正解。ここを違えるとなかなか目的地が見つからず、到着時間に雲泥の差が出てしまいます。去年は失敗したけど今年は間違えないぞ!御朱印(右側)も貰えるようですがよく分からなかったし、特に今の所集めて無いので今年もお参りだけ。帰りはゆるい下り坂に絶景で爽快。バスは乗る人が少ないようで運行日が決まっ...殿、今年もミニ東照宮に参りましたぞ!
■歴代将軍の等身大位牌を安置する徳川家松平氏の菩提寺『大樹寺』(愛知県岡崎市)
目次 1 徳川家・松平氏の菩提寺『大樹寺』 2 山門から『岡崎城』を望むことができる『ビスタライン』 3 国指定の重要文化財『多宝塔』や『鐘楼』 4 『葵の御紋』が掲げられた本堂 5 『厭離穢土・欣求浄土』の文字とご本尊 1 徳川家・松平氏の菩提寺『大
■松平氏八代の発祥の地『松平郷』の『松平東照宮』へ(愛知県豊田市)
目次 1 徳川家康のご先祖様発祥の地『松平郷』 2 松平家発祥のきっかけとなった『見初めの井戸』 3 鯉が泳ぐ松平東照宮の歴史ある水濠と石垣 4 初詣の人出で賑わう東照宮境内 5 コンパクトな中に歴史を感じさせる本堂 1 徳川家康のご先祖様発祥の地『松
戦国の雄・甲斐武田氏、天目山に滅ぶ…武田勝頼終焉の地「景徳院」
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、戦国の雄・甲斐武田氏、天目山に滅ぶ…武田勝
東岡崎駅から徒歩3分、駅の近くに建つ龍海院は、享禄3年(1530年)6月、模外惟俊を開山として、徳川家康の祖父・松平清康が創建し、武運長久の祈願寺としました。家康の父・松平広忠によって再興された岡崎市内の龍渓院が山の近くにあるのに対して、当寺は海側にあるので、龍海院と名付けられたと言われています。通称「是之字寺(ぜのじでら)」といい、山門や鐘撞き堂・灯籠など、境内のいたるところに「是」の文字があります。清康が20歳の時、元旦の初夢に左手に「是の字」を握る夢を見たので、これを模外和尚に占わせたところ「是の字を分けると、日の下の人となる。是の字を握るは天下を取ることなり。遅くとも、清康公の三代後までには、必ず、天下人が現れるであろう。」と予言しました。それを聞いた清康は、模外禅師を初代として龍海院を建立。その...岡崎の龍海院(1)是之字寺
桑名市多度町に鎮座する多度大社。社伝では、雄略天皇の御代の創建と伝わっています。1571年(元亀2年)、織田信長の長島一向一揆平定の際、命を受けた大垣城主氏家卜全により、多度大社の本宮並びに摂末社、神宝、古記録、多度大社の神宮寺であった宝雲寺の七十余りに及ぶである堂塔伽藍が焼失、その後1605年(慶長10年)に桑名藩主・本多忠勝により再建されました。御例祭は、一般的には多度祭と称され、おり上げ馬神事や流鏑馬...
城熱満載「お城EXPO2023」家康も信長も!写真も模型も貴重な図屏風も!
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史好き・お城好きにはたまらないイベント、「お城EXPO2023」へ…。城熱満載「お城EXPO2023」家康も信長も!写真も模型も貴
庭のバラ ゴールデンセレブレーションが咲きました♪*゜ オールドブラッシュはいくつか咲いています(^^) ウエッジウッドローズ 開くかな? 岡崎城へ行ってきました( ´ ▽ ` )ノ お城
昨年の大晦日~今年の元旦にかけて、静岡方面に1泊旅行に行ってきました。まずは、天女の羽衣伝説で有名な「三保の松原」へ・・・海岸へ行く前に、ちょっと休憩!400年以上歴史のある<安倍川もち>をお土産屋さんで食べました。当たり前に美味しい餅菓子ですが、いっしょに出されたお茶が渋めで美味しかったなぁ~!そうそう<安倍川もち>は徳川家康がその名を付けたらしいです。安倍川沿いの茶屋で休憩した家康に献上されたもの...
前回、見学できなかった滝山寺の宝物館にやっと入れました!そもそもこの滝山寺に行ったのは、宝物殿に安置されている寺宝の聖観音・梵天・帝釈天三尊像像を見たかったから。これらの像は、鎌倉時代の運慶・湛慶父子の作として、昭和56年に国の重要文化財に指定されました。像を作らせたのは、源頼朝の従兄弟にあたる当山住職・寛伝。頼朝の追善供養のために境内に惣持禅院を建立し、その本尊と脇侍として祀られていたといいます。...
滝山寺本堂の北側に「日吉山王社本殿」があります。七間社流造、桟瓦葺(元檜皮葺)1608年に徳川家康が建てたと伝えられています。内陣の造りが七間社以上の流造にみられる連結方式ではなく、身舎を横長一室の内陣として奥に簡素な祭壇を設けている点が特徴。2006年(平成18年)12月21日、岡崎市指定文化財に指定されました。老朽化により、2019年(平成31年)4月から修復工事が行われ、2021年(令和3年)3月、薄い板を重ねた「こ...
滝山寺境内の滝山東照宮は、三代将軍・徳川家光の命により勧進されたものであり、日光、久能山とともに、東照宮三宮とされています。正保元年(1644年)、徳川家光は徳川家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせたところ、家康もよく訪れていた滝山寺に観請するのが良いということになり、正保3年(1646年)9月17日に創建されました。創建以来、滝山寺が別当...
あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。2024年も皆様にとって明るく希望に溢れる1年となりますようにお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。岡崎の滝山寺は1300年前に開かれた古刹で、天武天皇の勅願により薬師如来を祀り、吉祥寺と名乗ったのが始まりとされています。山号を「吉祥陀羅尼山」、院号を「薬樹王院」といい、熱田大宮司家、源頼朝の鎌倉幕府、歴代の足利氏、徳川家...
2023年12月12日大阪から再び京都へ。淀城に行くか、二条城に行くか悩みましたが、時間もあるのでゆっくり伏見城を目指すことにしました。伏見城は豊臣秀吉が隠居後の城として築城したのが始まりとされています。伏見城は戦国時代に歴史のキーポイントとなる城ですが、城としては不運な運命でもありました。元は豊臣秀吉の隠居城としての計画でしたが、息子の秀頼の誕生により天守を持つ本格的な城郭に整えられました。初代の伏見城を指月伏見城と呼びます。しかし1596年に慶長の大地震により築城中に倒壊。この場所が城地に向かないと判断した秀吉は、現在の明治天皇伏見桃山陵になっている、伏見木幡山に移して新たに築城しました。この時代の伏見城を木幡山伏見城と呼びます。当時は最新技術を集結した五層の豪華絢爛な大天守が建っていたようです。また...伏見城@京都府
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の「関ヶ原の合戦」について、どのように描かれていたのか、ヒストリーチャンネルで放送されていた…
桑名の旅編が続いていますが、今年最後の記事は、徳川家康ゆかりの浜松の記事をお届けします。浜松市天竜区山東にある光明山光明寺は、奈良時代の養老元年(717年)に行基により開創された遠州地方の名刹です。元々光明山にありましたが、昭和6年(1931)の火災で焼失し、現在地に移されました。光明山は、標高540mで秋葉山とともに古代から山岳霊場として知られ、秋葉の火の神に対して、水の神として信仰を集めていました。大黒堂には...
駿府の徳川家康公と久能山東照宮!1159段の階段・足腰に自信のない方はロープウェイがおすすめ!
こんにちは、ららぽです。 日本平からロープウェイに乗り、東照宮へも行ってきました。 高所恐怖症にはちょっと無理難題かと思いましたが東照宮へ行くもう一つの方法が、表参道から1159段の階段を登るという途方もないアクセス。 少し迷ったけど、おとなしくロープウェイに乗ることにしました。 乗っている間ずっと瞼を閉じて楽しいことだけ考えて・・・ (^_^;) 久能山東照宮 久能山東照宮は徳川家康公を御祭神としてお祀りしています。 生前、家康公は自分の死後について 「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請(神仏の分…
桑名の専正寺があるあたり一帯は江戸初期には漁村で、蛤の貝殻で厚く地面は覆われていました。文政年間、この地の住人谷氏がこれら無尽蔵の貝殻を見て、蛤に対する感謝と供養のため蛤の墓「蛤墳」が建てられたと伝えられています。蛤の墓「蛤墳」(こうふん) 昔このあたりは漁村で、付近一帯にたくさんの貝殻が埋もれていたので、 文政6年(1823)に今一色に住んでいた谷氏が蛤の供養のために、この碑を正念寺(現在専正寺)に建...
【どうする家康】#48 家康は「鎌倉殿の13人」義時と相似形、でも最期は幸せに海老すくい
「神の君へ」から来年の「光る君へ」 もう片手で数えれば2024年が来る。年末だ。毎度のようにああだこうだに追われて年の瀬を迎えているが、気づけばまだ「どう家」最終回について書いていなかった。下手すると来年の大河「光る君へ」が始まってしまうじゃないか。 NHK大河ドラマ「どうする家康」第48回(最終回)「神の君へ」は、もう10日以上前の12/17に放送された。この記事を12/29の総集編前に書き始められて良かった(アップできるのは後かもわからないけど😅)。 最終回サブタイトルの「神の君へ」は明らかに来年大河の「光る君へ」を意識したものだろう。Amazonで発売されていた脚本をチラ見したら、最終回…
~勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ~こうした助言・忠告うぃ意味した格言が~長い物には巻かれよ~なかなかに説得力のある言葉で、長い歴史の中には、この言葉を彷彿させる恰好の出来事を見つけることもできる。戦国乱世でその例を取り上げるなら、
桑名城跡を出て、桑名駅方面へ歩いて約10分の場所にある浄土寺は、本多忠勝の本廟がある寺で、桑名藩主本多家の菩提寺となっています。 当寺は、永承4(1049)年海中から出現した地蔵尊を安置したのが始まりと言われています。 慶長の町割りで現在地に移り、桑名藩主本多家の菩提寺となり、藩主本多忠勝が没した時に、当寺に葬られ、本多忠勝本廟となりました。「慶長の町割り」とは、忠勝が、慶長6年(1601)桑名に封ぜられてか...
この後、九華公園の周辺の桑名城の遺構を散策しました。立教小学校 藩校「立教館」の流れをくむ小学校。歴史を語る公園南大手橋江戸の日本橋から京都の三条大橋に至る東海道五十三次をモチーフにして造られた公園で、道中をイメージした道標や案内板などが設置されています。日本橋三条大橋ここから桑名城三の丸の城壁が見られます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ...
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 最終回の冒頭のナレーションにもあった言葉ですが、これは、神君御遺訓の冒頭の一文として今日に伝わる有名な言葉です...
#323 長篠から7年の武田との抗争『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で圧倒的な負け方をした武田勝頼ですが、だからといってすぐに滅んだわけではなく、1582年に滅ぶまで7年にわた…
#324 武田家の滅亡を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』ではあっさりと滅亡した武田家について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』から見たいと思い…
#325 第27回「安土城の決闘」感想~大河ドラマ『どうする家康』
天下取りと「信長を殺す」ことを決め、その策実行のために信長の本拠安土城に乗り込み、信長と対峙して、本能寺の変直前までの2023年7月16日の大河ドラマ『どうす…
関ヶ原の戦いの後、桑名藩主となった本多忠勝は、4年がかりの大規模な区画整理「慶長の町割」を行いました。それまで水害に悩まされた土地を埋め立て、川の流れを大きく変えて外郭堀に利用。4層の天守閣や多くの櫓を備えた城を建て、武家と町人、さらに業種ごとに城下町の居住区を分割。港町・城下町・東海道の宿場町として、桑名の町の基盤を作りました。桑名城跡には現存建造物はなく、石垣、堀が残るのみで、現在は桑名城址九華...
最終回を迎えた大河ドラマ「どうする家康」。感想の第二弾だな最終回は徳川家康の最後……より、大阪城炎上の方が印象に残りました。千姫は秀頼と茶々の助命を家康に嘆願…
桑名の総鎮守社である桑名宗社には、幾つかの名称がありますが、通称を春日神社と言います。東海道筋の大きな鳥居は、もとは本多忠勝が慶長7年に木造で作ったものでしたが、大風で倒壊し、寛文7年(1667)、桑名城主 松平定重により、青銅の鳥居に建て替えられました。桑名宗社は、桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社からなり、ともに延喜式神名帳の伊勢国桑名郡に記載されている式内社です。織田信長、徳川家...
武将と旅する静岡・浜松・富士・伊豆!徳川家康と9人のつわものたち
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、武将と旅する静岡・浜松・富士・伊豆!徳川家康と9人のつわものたち…です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどこ
#530 家康の死について from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
家康が亡くなる最終回(12月17日)放送の大河ドラマ『どうする家康』「神の君へ」のその死を大久保彦衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫…
#529 まとめ 大坂冬&夏の陣を描いた『城塞 上中下』と大河比較
司馬遼太郎先生が徳川家康を主人公にした歴史小説『城塞(上)(新潮文庫)』『城塞(中) (新潮文庫)』『城塞(下)(新潮文庫)』の全体を通してのレビューと大河と…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
「外様」とは、本来、主家とは、緩い主従関係を持った、家臣を意味する。 江戸幕府での外様大名とは、関ケ原の戦い後、徳川家康に従った、豊臣家の大名である。 外様…
桑名駅から徒歩15分ほどのところに鎮座する住吉神社は、揖斐川に面して建てられています。神社前の石灯篭2基は、江戸時代の材木商達が寄進したものです。桑名は古くから伊勢湾、木曽三川を利用した広域的な舟運の拠点港として「十楽の津」と呼ばれ、木材や米等の集散する商業都市として発達し、住吉浦は廻船の舟溜りでした。住吉神社は、廻船業者が航海の安全を祈り、正徳五年(1715年)住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉)の分霊...
"高天神を制するものは遠州を制す"家康対勝頼「高天神城」をめぐる激戦の果て
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、"高天神を制するものは遠州を制す"家康対勝
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
淀殿の真意は、不明であるが、豊臣家を滅ぼすまで、降伏しなかったのは、自分自身が、「天下人」の「母」としての地位に執着したのかもしれない。 また、大阪城に集結…
では、薬王寺の境内を散策してみましょう。鐘楼祈珠之塚と叶水(かのうすい)さしのべさんは、この祈珠之塚の後ろ側にあるのですが、写っていませんでした(:_;)さしのべさん(本名毒消し薬王菩薩)長くさしのべた右手・・・苦悩する人々を抱きしめ救済しようとされるお姿つま先を立てた左足・・・すぐにでも傍に駆けつけ寄り添おうとされるお姿お姿の通り薬壷を持たれるさしのべさんは、皆様の悩みや苦しみを引き受けて下さる菩薩様です。【縁起】徳川家・蒲生家とゆかりの深かった当山は元禄時代、三代将軍徳川家光公の弟、駿河大納言徳川忠長公の奥方の寄進により三千坪の敷地を擁し、一般民衆が参詣できない格式の高いお寺でしたが、当時その一隅に誰もがお参りできる、手を長く伸ばし足をつま先立て薬壷を持った、毒消し薬王菩薩様がおわしまし、「さしのべさ...鎌倉の薬王寺(2)鐘楼~観音堂
前回に引き続き「家康の誤算」です。徳川家康は265年に渡る平和な“泰平の世”の基礎を造り上げました。しかし家康が盤石と思っていた体制も後継者たちによって徐々に崩されました。そこには神君・家康にとっての「誤算」があったのです。
C421リアル<雅子様はX田X作の隠し子、娘だった?>231221<雅子様はX田大Xの娘だった?>23年12月22日公開シン>雅子様ってX田大X氏の隠し子っていう情報が流れていますが?本当ですか?みこ>X田X作氏の娘ではあると思います。めちゃくちゃですよねシン>本当ですか?それ!みこ>本当だと思います。シン>X田X作氏って子供何人いるんですか?みこ>一杯いるみたいなんですよ。たくさんシン>雅子様の人間のお父さんもいらっしゃるわけですよね?みこ>天皇家とか北朝鮮の方は皆さん。横田めぐみさんじゃないけど・・・そういうことをするみたいですね。自分の子供を他の家、家庭で育てさせるシン>朝鮮人が?みこ>自分の血筋を外で育てさせて戻すみたいな事(※習慣というか朝鮮人の手法の様です。)シン>美智子様がヤクザの娘だって言...雅子様はX田X作の隠し子、娘だった?