メインカテゴリーを選択しなおす
#3798 みちのくの岩手の牧場草萌えて千里行く馬の子もいはゆなり
令和5年3月1日(水) 【旧 二月一〇日 大安】・雨水・草木萠動(そうもくめばえいずる)みちのくの岩手の牧場草萌えて千里行く馬の子もいはゆなり ~正岡子規(1867-1902)『はてしらずの記』 1893(明治26)年、正岡子規はひと月あまりの日程で東北地方を訪れ、芭蕉の『奥の
#3784 中垣のとなりの花の散る見てもつらきは春のあらしなりけり
令和5年2月15日(水) 【旧 一月二五日 先勝】・立春・魚上氷(うおこおりをのぼる)中垣のとなりの花の散る見てもつらきは春のあらしなりけり ~樋口一葉(1872-1896)『一葉歌集』Photo:李鴻章(左)と丁汝昌《ていじょしょう》 今日は中国の官僚・政治家であった李鴻章
#3772 貧しけば豆なとまかめ襷かけてさびしき妻や鬼は外と云ふ
令和5年2月3日(金) 【旧 一月十三日 先勝】・大寒・鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)追儺貧しけば豆なとまかめ襷かけてさびしき妻や鬼は外と云ふ ~北原白秋(1885-1942)『雀の卵』Photo:下鴨茶寮本店謹製 節分「料亭の恵方巻」(2022年) 節分とは季節を分ける
令和4年11月21日(月) 【旧 一〇月二八日 先勝】・立冬・金盞香(きんせんこうばし)修善寺物語あり枇杷の花 ~池内たけし(1889-1974)Photo:ビワの花 ~ふらり道草-季節の往来- 枇杷の実が成るのは6月頃ですが花が咲くのは11月から12月。「枇杷の花」は初冬の季語です。
#3697 柿の實を摘むこと遅し故郷の高嶺に雪の見ゆる頃まで
令和4年11月20日(日) 【旧 一〇月二七日 赤口】・立冬・金盞香(きんせんこうばし)柿の實を摘むこと遅し故郷の高嶺に雪の見ゆる頃まで ~島木赤彦(1876-1926)Photo:奈良県産富有柿 ~THE KASHIHARA 現代人は食べ物の旬というものに疎くなってしまっています。松茸の旬
辞世の句(その20)明治・大正時代 乃木希典・乃木静子・正岡子規・甘粕正彦
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
「行きませう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食ひませうか。先生あすこの団子を食つた事がありますか。奥さん一返行つて食つて御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。」⦅「吾輩は猫である(五)」夏目漱石『ホトトギス』第八巻第十号 明治38年7月1日⦆ 夏目漱石の通称「猫伝」こと「吾輩は猫である」に登場する、猫のご主人と多々良君の会話にでてくるお団子。それがこの「羽二重団子」です。 店名もズバリ『羽二重団子』は、江戸時代文政2年の創業。 東京は根岸、芋坂の脇にあるお団子屋さんです。 開業当初は『藤の木茶屋』と称していたそうですが、供する団子が絹の「羽二重(柔らかく光沢のある絹織物の一種)」のよう…
ごきげんよう、まんきんたんです。 湧水のきれいな高井町「西林寺(さいりんじ)」に立ち寄った。 四国八十八ヶ寺の多くは石段を登って本堂にたどり着きますが、…
この書だったと記憶しているが、上方の俳句と江戸の俳句を比べ、情に流れ易い上方と理が先行しがちな江戸とを比較して、結論として、芭蕉などの抜群の俳句は、その両者を生かして、どちらの句とも言えない境地に達していると、書いていたと覚えている。 わたしには、とても面白い論のように思え...
ごきげんよう、まんきんたんです。 スーパーに早生みかんが並び始めました。 10月もあとわずかになりましたね。 今日は松山市勝岡町の内新田公園に行ってきま…
台東区根岸二丁目。山手線の鶯谷駅を北口から出て、五分ほど歩いたところに、正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19 俳人・歌人)の居住跡である「子規庵」があります。 四国は愛媛県松山の出身である正岡子規は、明治16年に上京したあと、都内で数回転居していますが、この根岸の子規庵が終の棲家となりました。 子規といえばわずか21歳で、当時まだ不治の病であった結核にかかり喀血。病は高じて結核菌は背骨まで侵し脊椎カリエスとなり、明治32年32歳以降は、この小さな庵で寝たきりの暮らしになります。 「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。」(『病床六尺』19…
令和4年9月26日(月) 【旧 九月一日 先負】・秋分・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)いまやかの三つの塁に人満ちてそぞろに胸のうちさわぐなり ~正岡子規 「三つの塁に人満ちて」は満塁ということ。たしかにバッターもピッチャーも守っている野手も「胸うちさわぐ
令和4年9月19日(月) 【旧 八月二四日 先勝】・白露・玄鳥去(つばめさる)松の葉の葉さきを細み置く露のたまりもあへず白玉散るも ~正岡子規(1867-1902)Photo:松の葉先の水滴 ~fujiboさんとtwitter 9月19日は正岡子規の命日、糸瓜忌《へちまき》です。1902(明治35)年
病人の看護が苦手である。子供が小さい時は面倒も見たが、大人の男なんて、想像するだけでウンザリだ。つくづく離婚しておいてよかった。そんな私が、なぜかこの本は読んでしまう。(「仰臥漫録」正岡子規著 岩波文庫)「仰臥漫録」の書名の通り、仰向けのまま寝返りもうてない重病人でありながら、その感受性には曇りなく、筆を執ることを忘れない。驚くべきは著者の食欲。例えば明治34年の今日、9月19日には朝飯 粥三碗午...
週刊 読書案内 伊集院静「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」(講談社文庫)
100days100bookcovers no82(82日目) 伊集院静「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」(講談社文庫) 遅くなりました。前回のSODEOMAさんのご紹介、フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』も、皆さ
『夏目漱石』を知りたい方へ【本3選】/『ミチクサ先生』他漫画、ガイド本
夏目漱石を知るに適した書籍を3選。小説『ミチクサ先生』伊集院静著、漫画『先生と僕 夏目漱石を囲む人々(青春編)』 香日ゆか著、ガイド本『文豪ナビ 夏目漱石』です。 どの本から読んでも面白いです
昨日もらった喉の痛みや咳のクスリを服用し始める。 特に悪化も良化もせず小康状態の中、 保健所への登録を行う。ちょっと手間だが15分程度で完了。ITに慣れていない高齢者などは大変だろうなと思いつつ。
道後温泉のからくり時計の隣に正岡子規の句碑があります。 銅像もあります。 まり投げて みたき広場や 春の草 野球少年正岡ノボル君の碑です。伊予の松山を徘徊してきました。大変よい天
ぼくが時々お邪魔する「女の園」の図書館には「岩波文庫」とか「岩波現代文庫」が、きちんとそろっている。時々棚の前に立つと、何だかわくわくする。岩波文庫は、マジに教養だった。もっとも、ぼくにとって岩波文
《人間というのは都合のいい生きもので、日ごろの所業を棚に上げ、初夢はめでたいやつをぜひひとつ、なんて都合のいいことを神頼みする。が、そうは問屋がおろさない、反対にひどい夢を見たりするもん
正岡八重 1845年(弘化2年)、伊予松山藩の藩校「明教館」の教授で漢学者の大原観山の長女として生まれる。 33歳の時に、御馬廻加番であった正岡常尚の後妻に入った。 常尚の先妻は、長男を生むとすぐに亡くなり、その長男も天折していた。 正岡家
正岡律とは 1870年(明治3年)、正岡常尚、八重の長女として生まれる。兄は俳人・正岡子規。 幼少の頃、子規がいじめられると、逆に小石を両手にもち、いじめっ子を追いかけたと云う。 律は子規が学友と難しい話をする輪に入っていこうとしなかったが
令和4年6月16日(木) 【旧 五月一八日 仏滅】・芒種・梅子黄(うめのみきばむ)梅の実は緑の中に色わきて紅にほふさみだれのころ ~松平定信(1759-1829)『三草集』梅の実は若葉の緑の中にあって色づきはじめ、やがて紅に際立って匂い立つのは五月雨の頃である。Photo:Swee
1898年(明治31年)7月13日、正岡子規は「正岡常規又ノ名ハ処之助又ノ名ハ升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ名ハ竹の里人・・・」という墓誌銘を、河東銓に宛てて書き送ります。 正岡常規又ノ名ハ処之助又ノ名ハ升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書
1895年(明治28年)3月3日、正岡子規は日清戦争の従軍記者として東京を出発します。 従軍前に広島で記者仲間と写した写真、後列右が子規 子規の従軍が決定した。(中略)かれが東京を出発したのは、寒気が去った三月三日であった。その出発にあたっ
正岡子規の食欲は止まらない!ユーモアで破天荒な食エピソードを紹介
【愛媛県出身】文学人「正岡子規」は実は大食い!ユーモアのある破天荒な食エピソードは、あの有名な夏目漱石もヤレヤレと言わんばかりのものだった…(驚)これを見れば正岡子規の賢いイメージで興味の湧かなかった方も、ちょっと可愛い少年のように愛くるしくなるに違いない。
正岡子規の経歴とその年の出来事 1867年(慶応3年) 9月17日 松山藩士正岡隼太常尚の長男として誕生 生誕の地松山市新玉町1丁目8、9番地、戦災後の街路改正で定かでなく、ほぼその跡に当る花園町筋に記念の標柱が立っている。 1869年(明
サイ・ヤングと同い年!正岡子規が日本野球に残したその功績とは
西暦1867年、後に「サイ・ヤング賞」で有名なアメリカプロ野球にその名を刻むサイ・ヤングが誕生しますが、その年日本にも、後に日本野球の普及に多大な貢献を残す正岡子規が誕生したのでした。 1. ベースボールに熱中する正岡子規 正岡子規は、東京
正岡子規の肖像写真です。なお、画像はPhotoshopのフィルター機能でカラー化しています。 正岡子規ポートレート(肖像写真) 明治7年の頃(写真下段の右から3番目が正岡子規) 明治18年頃母八重と写した記念写真 明治20年頃第一高等中学校
正岡子規も立ち寄った石岡市の『金刀比羅神社』に行って来ました!
こんばんは、いもみ🍠です。 本日は茨城県石岡市国府にある『金刀比羅神社』の紹介です。 正式名は「ことひらじんじゃ」。 地域の方からは石岡のこんぴらさんと呼ばれているそうです。 石岡市の商店街にある神社で、次から次へと参拝客が来られていました。 先日紹介した『常陸國總社宮』からは、車で3分程で行くことができます。 ↓場所はコチラです↓ 駐車場は二か所ありました。 神社の隣と 商店街の通りに一か所。 それぞれ10台以上駐車出来そうでした。 自販機、お手洗いはありません。写真の子供たちがいる場所は、金刀比羅神社のすぐ隣にある丁子屋さんです。 駄菓子屋やかき氷など販売していて、子供たちが遊びに来ていま…
俳句の革新運動は正岡子規一人の運動ではなく、尾崎紅葉の硯友社においても、新しい句作が試みられた。ただ紅葉らにとって俳句は小説の余技でしかなく、俳句を遊戯とみなす伝統的思想から抜けきれないものがあった。 それに反して子規においては全く魂を打込
小説『坂の上の雲』の主役の一人である正岡子規の略歴と、その人物像について5人の談話をご紹介いたします。 1. 正岡子規とは 正岡子規 1867年(慶応3年)、伊予松山藩士正岡隼太の長男として生まれる。幼名は升(のぼる)。 父隼太は早世するが
1. 子規のはかない恋 1894年(明治24年)の夏、正岡子規が木曽路を経て美濃伏見から舟で木曽川を下り、北方で下船、木曽川停車場から汽車に乗るつもりで駅前の茶店で休憩をします。この時の思い出を、1899年(明治32年7月)に子規が発表した
正岡子規の名言・語録を、子規の作品集の中から抜粋しご紹介いたします。 1. 人間というのは蟹がこうらに似せて穴を掘るがように 人間というのは蟹がこうらに似せて穴を掘るがように、おのれの生れつき背負っている器量どおりの穴をふかぶかとほってゆく
気がつけばあっという間の2時間半!子規博が面白い! 短歌にも写生の考えを貫き、英語も使っちゃう! 写生という概 正岡子規という人間が本当に興味深くて、ついつい夢中で見てしまいました。どんどんその魅力に引き込む展示が素晴らしい博物館です。気がついたら2時間半。子規博、いいです!
正岡子規の名前の由来が切なすぎる!ホトトギス! 子規の子ども時代!幼名は升(のぼる)! 子規のエピソードが豊富 子規の人生には面白いエピソードがあり過ぎます。それにしても子規の名前の由来が鳴くと口が赤いホトトギスで、それを自分と重ね合わせたものだったとは。90もあるペンネームにも驚きとユーモアに感心するばかり。
「人間・正岡子規」の生涯、その魅力に引き込まれる素晴らしい展示!
「人間・正岡子規」の生涯を追い、その魅力に引き込まれる素晴らしい展示! ここにあったとは!湯築城に導かれて子規 行くつもりはなかったのに湯築城が導いて来れたおかげで、子規記念博物館の素晴らしい展示と出会うことができました。人間・正岡子規の一生を追いながら、その魅力に引き込まれます。
令和4年4月8日(金) 【旧 三月八日 仏滅】・清明・玄鳥至(つばめきたる)こゝに又こゝた掃かざる落椿 ~高浜虚子(1874-1959)Photo:落椿 ~by izzuo119 PHOTO HITO 椿の開花期は二度あって最初は11月から12月、そして少し休憩して1月から4月。寒い冬から咲き始めますが、
令和4年3月24日(木) 【旧 二月二二日 大安】・春分・雀始巣(すずめはじめてすくう)くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る ~正岡子規 『竹の里歌』(1902年・34歳)Photo:細菌学の権威、ロベルト・コッホと北里柴三郎 当時不治の病と言われていた結核
【食べもので邪気を払う】決められた日に 決められたものを食べる という日本の風習
<ウの付く食べもの ンの付く食べもの かつての日本人が大事にしてきたこと> 「ンをウンと読む利巧者」という言葉が記憶の奥の方にあって、何の脈略もなくふと思い出して、はて、なんのことだったかと頭をひねりました。 確か、と言いながら何とも不確かに思い出したような気になったのは、夏目漱石と正岡子規の茶飲み話、みたいなもんだったかしらん。というものだったのですが、調べてみると全然違っていました。 「ンをウンと読む利巧者」というのは、坂口安吾の「新作いろは加留多」という掌編に出てきたものだったのでした。 1941年、昭和16年の作品ですが、「い:犬も歩けば棒にあたる」「ろ:論より証拠」「は:花より団子」…
今日も花粉は「非常に多い」@松山教室から歩いて5分とかからない子規堂の桜を見てきました。今日がMAX満開🌸ですね。椿神社から来たというこの桜ピンクが濃くて小ぶりの花が可愛いです。桜に元気をもらいながら、今夜高校生と読むTIME誌記事↓uncertainty不確かさ頼りなさ変わりやすさgrounded地に足のついたHowtoStayGroundedintheUncertaintyofthePandemic Time◾️今日の坊ちゃん列車◾️おや、こんなところに!ランキングに参加しています。ポチっと応援よろしくね💖にほんブログ村松山市ランキングご近所探訪🌸椿桜満開@子規堂
令和4年3月10日(木) 【旧 二月八日 先負】・啓蟄・桃始笑(ももはじめてさく)桃の花だけ残されて片づきぬ ~稲畑汀子(1931-2022)「ホトトギス」 今日は七十二候の第8候、「桃始笑(ももはじめてさく)」。二十四節気「啓蟄」の次候です。先月亡くなった稲畑汀子の俳句です