〈元ヤングケアラー・虐待サバイバー〉 精神疾患の母に育てられ子供時代を過ごし、母の精神的フォローを続けてきた 30代後半に結婚、出産 同じような環境にある方々や、支援に携わる人たちと、交流ができるといいなと思っています
精神疾患の母に育てられた子供時代、親の顔色を窺いながら生きていた私も社会人へとなっていく。社会に出て20年。多くの躓きを経験し、苦しみの渦中にある時は誰も助けてくれないと感じていたが、実は沢山の人たちの支えの中で生きていたと気が付くことができた。その道のり
母が65歳となり、障害区分認定から介護保険へ切り替わり、無事に要介護1の判定をもらった。新しい担当ケアマネはとてもいい人で、頼りがいがあった。その時になると、母は一人で精神科へ通院できるようになっていた。今までは、月一回の通院も、私が同行し
母が65歳となり、障害区分認定から介護保険へ切り替わり、無事に要介護1の判定をもらった。新しい担当ケアマネはとてもいい人で、頼りがいがあった。その時になると、母は一人で精神科へ通院できるようになっていた。今までは、月一回の通院も、私が同行し
2015年 母を説得し、なんとか役所へ連絡。障害区分認定を受けることになった。<障害区分認定は障害を抱えている人に必要な支援を提供できるようにというもので、段階的に1~6まであり、6が一番重たい。当時の母はまだ65歳前だったため、介護認定で
2015年 母を説得し、なんとか役所へ連絡。障害区分認定を受けることになった。<障害区分認定は障害を抱えている人に必要な支援を提供できるようにというもので、段階的に1~6まであり、6が一番重たい。当時の母はまだ65歳前だったため、介護認定で
私が子供の頃から精神疾患を患っていた母当初、聞いた病名は「精神分裂病」のちに「統合失調感情障害」と聞くその後、2019年、精神科へ入院し「双極性障害Ⅱ型」と診断され今に至る私が子供の頃から母は感情の起伏が激しく、暴力的で、よく物に当たり散ら
私が子供の頃から精神疾患を患っていた母当初、聞いた病名は「精神分裂病」のちに「統合失調感情障害」と聞くその後、2019年、精神科へ入院し「双極性障害Ⅱ型」と診断され今に至る私が子供の頃から母は感情の起伏が激しく、暴力的で、よく物に当たり散ら
2013年から、大変な時期を過ごしていた仕事終わりに母の家に行き、母の夕飯準備、翌日の朝食と昼食の準備をし冷蔵庫に入れる母のよくわからない話を聞く。抑うつ状態で寝込んでいるときは鬱々とした母の話を聞くそれから自宅に帰り自分のごはん。翌朝仕事
2013年私は介護員として働き始めていた。相変わらず母の家と自宅を往復している毎日母が突然キレた。いや いつものことであるのだけど、いつもと少し様子が違った「どーせ私が悪いんだろ!!!!!」と怒鳴り、近くのあるものを手あたり次第投げ飛ばす母
私は母子家庭で育ち、約一年ネグレクト状態、幼少期から虐待家庭であった。母は、病気だったと大人になってから知った。発症は私が生まれるころ、もしくはそれより前だったのだろうか母の家庭環境も大変酷なものであったが、母の兄弟姉妹は特に精神に異常をき
中学生になっても同じで、相変わらず、母と兄から暴力を受ける日々。ある日、朝起きたら包丁を持った母が立っていたいや、もうここまでくると”慣れっこ”でね、「どーにでもしてください」と思う。本当に「どーでもいい」感じ。4つ上の兄は私が中学3年に上
私が覚えている一番古い記憶は、おそらく3歳前後から一番最初の記憶は、ストーブの前にいる私に母が箸を投げ飛ばしたところそれから、保育園のお弁当を自分で作るように言われ、もちろん作ることは出来ないため、冷蔵庫の中の大根をそのまま持っていこうとし
本日は生い立ち的なものを書いておこうと思う親のことも含めて、ハードになりすぎない程度に先日親に聞いたところ、私が生まれる半年くらい前に離婚が決まったとのことで、生まれてすぐ母子家庭となっている。大人になった今、あらためてその話を聞いて思った
先日のクリニック保健師指導もありました(1回目)母子手帳をもらうときも、役所の保健師に生い立ちとか一通り聞かれましたが、今回も、同じように生い立ちとか一通り聞かれました今、様々なニュース・事件、とくに虐待関係とかあるからかな?とか思いました
先日のクリニック保健師指導もありました(1回目)母子手帳をもらうときも、役所の保健師に生い立ちとか一通り聞かれましたが、今回も、同じように生い立ちとか一通り聞かれました今、様々なニュース・事件、とくに虐待関係とかあるからかな?とか思いました
今週月曜日、クリニックへ行ってきました妊娠5か月、4Dエコーもしてくれました4Dに映った映像、恥ずかしがってる?いま、撮られているのわかっているのかな?なんて思いました。 その後は、手足を動かし なんとも踊っているような感じ感動でしたまだ胎
妊娠が分かったのは、2月6日いつも、25日周期で来ていたものが、少し遅れていた。これはついに!?と思い、薬局で検査薬を購入。念のため2個入りを買ったというのも、検査に失敗したら?とか、陰性でもまた1週間後に検査しようとか、それか、また次の時
何を先に書いていくか、考えていたただ、優先していきたいことは、子育てについてのことそれに付随して、ヤングケアラーや虐待サバイバーについてかなと前にも少し触れているが、私の母親は精神疾患を患っている生い立ちから書いていくと、とてつもない量にな
ヤングケアラーの定義として、「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子どものこと」とある。障害のある親の代わりに、買い物や家事を担うこと、
<元ヤングケアラー親になる/子育てはじめて日誌>これから書いていくことにしました まず、最初に自己紹介から <名前> aya <年齢> 30代後半 <生い立ち> 母子家庭、兄が一人 私が幼いころから母は精神疾患を抱えていた 私は幼少期から誰
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