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まずは、以下の一節を学んでみたい。堂頭和尚慈誨して曰く、上古の禅和子、皆、褊衫を著けたり。間に直裰を著くる者有り。近来、都て直裰と著くるは、乃ち澆風なり。你、古風を慕わんと欲はば、須く褊衫を著くべし。今日、内裏に参ずる僧は、必ず褊衫を著くる。伝衣の時、菩薩戒を受くる時にも、亦褊衫を著く。近来、参禅の僧家、褊衫を著くるは是れ律院の兄弟の服なりと謂うは、乃ち非なり。古法を知らざる人なり。『宝慶記』以上の通り、道元禅師は天童如浄禅師の教えとして、古来の禅僧は皆、褊衫を着け、一部が直裰を着けていたという。だが、如浄禅師の時代には、皆直裰ばかりを着けており、それを「澆風」だとしたのである。更には、最近、参禅する禅僧が、褊衫は律宗の服だというのは誤りであり、古法を知らないと如浄禅師が批判されたのであった。以上のことか...褊衫・裙子か直裰か?
未だに幾つかのネット上の記述では、道元禅師の実父を「源通親(1202年死去)」であるとしたい場合が多いのか、通親の次男である源通具(1227年死去)については、道元禅師の「兄弟」のように書かれる場合がある。だが、道元禅師の実父は「源通具」であると考えている。それは、まず「通親」説の最大の問題は、道元禅師の古伝に於いて、母の死(道元禅師8歳の時)は触れるのに、「父の死(もし、通親であれば道元禅師3歳の時でなくてはならない)」については触れない。なお、15世紀まで下るが、まだ伝記としては古い方である『建撕記』では、道元禅師が出家を願う場面に於いて、親戚筋の良顕法眼が、「親父・猶父が怒るのではないか?」と諭すが、ここで「親父」と出て来てしまうため、「父親」が健在であった印象を抱く。なお、そういう立場の人は、道元...道元禅師の「育父」の話(令和5年度版「父の日」)
流石に令和の時代まで来ると、周囲でも用いている人は多くないけれども、当方は以前であれば『本山版縮刷正法眼蔵(全)』(鴻盟社)を使用していた。最近は、大久保道舟先生編『古本校定正法眼蔵(全)』(筑摩書房)か、『本山版訂補正法眼蔵』(大法輪閣)を用いている。三者に共通するのは、一冊でほぼ全ての『正法眼蔵』を拝読可能であり、只管に読むためには優れていると思う。さて、最初に紹介した鴻盟社版が「縮刷」で発刊されるに到ったのは、明治時代のことであり、大内青巒居士の編集が大きいとされている(現在鴻盟社より刊行されているのは、この明治期の改訂再刊本であり、昭和27年の道元禅師700回大遠忌を記念した事業であった。当方の手元には明治18年に発刊された初版本もあるが、現行本と初版本の決定的な違いは、初版本には当時未発見であっ...『正法眼蔵』の売り文句
今日、6月10日は「時の記念日」とされる。『日本書紀』の記述から、日本で初めて「時の鐘」が打たれたことに由来するという。夏四月丁卯朔辛卯(25日)に、漏剋を新台に置き、始めて時を候い鍾鼓を動かし打ち、始めて漏剋を用ゆ。此の漏剋とは、天皇、皇太子為りし時、始めて親しく製造する所なり、云々。『日本書紀』巻27「天智天皇十年四月辛卯」条この時の時計は、「漏刻(漏剋)」といって、水時計であった。なお、上記の記述の通りであれば、この漏刻は天智天皇がまだ、中大兄皇子(皇太子)だった頃に、自ら製造されたものであったという。エンジニア気質をお持ちだったということだろうか。なお、上記一節より1ヶ月ほど前には、「黄書造本実、水臬を献ず」ともあって、この「水臬」とは現在でいうところの「水準器(水はかり)」であったというから、こ...今日は時の記念日(令和5年度版)
「勝手な」と書いている通り、華道の素人の当方が、禅の教えから華道論を書いてみよう、という話である。何故ならば、世阿弥の教えに基づいて、6月6日は「芸事の日」だからである。本当なら、世阿弥の教えを見てみたいところだが、ちょっと手元に良いテキストがないので、別の資料を使って考えてみた。いはゆる、花もとより人のためにひらけず、月はじめより人のためにのぼらず、人これをみてもてあそびあいすること、ほかをわすれたり。道元禅師『参禅学道法語』このように、花は人のために開いているわけではないが、人は勝手にその花の様子に執着してしまい、没頭することがあると指摘されている。問題は、花は元々人のために開いているわけではないという、或る種の倫理性である。では、何のために開いているのか?普通であれば、花は花のために開いている、これ...勝手な禅華道論
・環境の日(環境省)6月5日は環境の日とされる。これは、1972年6月5日からストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念して定められたとし、国連でも6月5日を「世界環境デー」と定めたという。ということで、今日は「仏教に於ける環境論」を扱ってみたい。特に、道元禅師が大仏寺(後の永平寺)に入った際に、或る感想を、大檀越・波多野義重公に述べという一節が残されているため、見ていきたい。説法の後、師、雲州に謂く、「這の一片の地、主山北に高く、案山南に横たう、東岳白山の神廟に連なる、西流滄海龍宮に曳き、峰巒重疊、人烟遠く隔たる。予、在宋の時、天童、坐禅の法要を三十余箇條を示し玉う。其の第一に、『大海の流れを見る事(莫れ)、青山渓水を見るべし』。此の地、此の記に応ず。林泉の風景、望む所、亦た、珍味必ず良器に盛...道元禅師が語った永平寺の環境論
まだ、大学院生だった頃、或る人に「道元禅師と親鸞聖人が会ったことがあると聞いたことがあるのですが、本当ですか?」と質問されたことがあった。結論からいえば、道元禅師御自身の著作はもちろん、伝記でも古伝の部類には、そのことを示唆する言葉すら存在しない。よって、会ったというのは伝承のレベルであって、およそ事実とはいえないと思う。ただし、一方で以前から、『正法眼蔵』の一部の巻について「親鸞聖人のために書かれた」という説があることは知っていた。その出所までは知らなかったのだが、関連した文脈を以下の典籍に見出した。・丸山小洋『古今名僧手紙禅』須原啓興社・大正5年本書は、題名の通りで、古今の禅僧(日本が中心だが、巻末には中国の祖師のも編入)が様々な機会に送った手紙から、その祖師方の人柄に触れようという話のようである。多...道元禅師と親鸞聖人の関係についての一私論
現在、大本山永平寺には道元禅師の参学師である仏樹房明全和尚の『戒牒』が残され、また、道元禅師がその奥書として明全和尚の行実を書いておられるため、様々な意味で貴重な文書なのだが、同文書を巡って江戸時代に様々な意見があった。例えば、以下の一節などはどうか?永平曽て叡岳の菩薩戒を稟持せりといへども、蚤歳より渡宋の志あるが故に、南都の戒壇にて比丘戒を受得せり。この事、永平の伝中に載せずと雖も、其戒牒今に本山に残れり。一丈玄長禅師『禅戒問答』、『曹洞宗全書』「禅戒」巻・301頁まずは、上記の見解を見ておきたい。これは、道元禅師の受戒の内容を示すもので、一丈禅師は永平寺で円頓戒(菩薩戒)を受けられた道元禅師が、更に中国に渡りたがっていたために、南都(奈良)の戒壇で比丘戒を受けたという。これらは道元禅師の伝記には載らな...道元禅師の「戒牒」の話
本日は、次の一文を学んでみたいと思う。聖教のなかに、在家成仏の説あれど、正伝にあらず、女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず、仏祖正伝するは、出家成仏なり。『正法眼蔵』「出家功徳」巻ここから、晩年の道元禅師が女性差別に至り、女性の成仏を否定したという発想をする人(戸頃重基氏など)もおられるのだが、初期永平寺僧団の様子を拝察すると、道元禅師の御真意は女性の成仏の否定にあるのではないと思われる。女性が女性ながら救われるというのではなくて、出家者だけが成仏可能だといいたいのである。そして、差別だというのであれば、例えば女性の出家が認められていなかった、というのならまだ分かるが、道元禅師御自身は、女性に出家する許可を出していることは、次の一文から明らかである。釈迦牟尼仏、五百大願の中の〈中略〉第一百三十八願、「...女身成仏と出家成仏について
今日は「みどりの日」である。拙僧が生まれた頃にはまだ、5月4日は休みじゃなかったはずである。その後、5月3日と5日に挟まれている関係で、休日となり、そして、一時的に4月29日に配されていた「みどりの日」が、今日へと変更されたという流れだったはずである。そこで、「みどりの日」の趣旨を確認しておきたい。みどりの日五月四日自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。「国民の祝日に関する法律(e-Gov)」そこで、自然にしたしむ、恩恵に感謝、豊かな心と、いくつか気になるキータームがあったので、この辺から記事にしていこうか。そもそも、「自然」という時、我々が思うのは、人工物ではない存在ということになるだろう。例えば山、或いは川、或いは海。ところが、実際には、林は人間の植林の結果だったり、川だって、日...「みどりの日」と仏法の自然(令和5年度版)
拙僧つらつら鑑みるに、道元禅師に於ける「律儀」の再構成について、一度考えておくべきであると感じていた。ただ単純に道元禅師が『永平清規』を制定されたということだけでは、それが実際に学人にどう受け止められ、実践されていたかが分からない。また、道元禅師の場合は、まったく禅宗(道元禅師はご自身を禅宗とは名乗られない)への学びがない者達に対して、改めて教育していかねばならないという立場であられたし、しかも、叢林の修行は継続的に行われなくてはならなかった。それを思う時、以下の一節などはいわゆる「律儀」の再構成として考えることが出来るように思う。寮中の儀、応当に仏祖の戒律を敬遵して、兼ねて大小乗の威儀に依随して、百丈の清規に一如すべし。清規に曰く、「事に大小無く、並びに箴規に合すべし」と。然らば則ち須らく梵網経・瓔珞経...『衆寮箴規』に見える「律儀の再構成」について
仏教には「懺悔滅罪」という概念がある。例えば、以下のような文章が参照可能である。かの三時の悪業報、かならず感ずべしといへども、懺悔するがごときは、重を転じて軽受せしむ、また滅罪清浄ならしむるなり。道元禅師『正法眼蔵』「(六十巻本系)三時業」巻懺悔されれば、重罪も軽受となり、更に、滅罪清浄になるというのである。そこで、今日は、この「懺悔滅罪」について、詳しく論じられた文章を学んでみたい。十三懺悔に罪のほろぶる事問云、懺悔に罪のほろぶるとは、いかやうなる事ぞや、答云、懺悔に二つ候、一つには、朝暮十悪を作り候、其十悪と申すは、ものゝ命をころし、物をぬすみ、男は女を思ひ女は男を思ひ候、これ身に三つのとがあり、そら事をいひ言ふまじき事を云ひ、たはぶれ、人をあしく云ひ、なか事を云ふ、是れ口に四つのとがあり、生れつきた...仏教に於ける「懺悔滅罪」の話