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クロスケの髭が、なぜここに? 明けましておめでとうございます。昨年の正月は能登地震や航空機事故があったりでショッキングな年明けだったが、個人的にもコロナを貰って発症したのが1/1、翌1/2には救急車で運ばれる事態になったので、今年は穏やかな正月になってほしいと願っている。(ついでに、11月にも救急車。年に2回は初、もうやめたい。) さて、このブログ。タイトル「黒猫の額:ペットロス日記」にはイマイチ合わない、NHKの大河ドラマのことばかり書くのが最近は常のことになっている。ペットロスの私の一番の慰めになっているのが大河ドラマなのだから良いんだ!とも思うけれど、たまには猫話も書こうと思う。 少し前…
久しぶりの手触り このブログも「大河ドラマだらだら雑感」で埋まる日が続いているが、それに限った訳でもない。とはいえ、愛する亡き息子クロスケのことは日々考えているし、息子のことを書こうと思う気もありながら、息子との死別から日が経ってくると「いつまでそうしているのか」という気も反対側から顔を覗かせてきて、なかなか素直には書けなかった。 ただ、一昨日、クロスケからのプレゼントなんじゃないかという出来事があった。これは記録しない手はないだろう。 昨日は天候が悪化することが分かっていたので、一昨日、暗くなり始めていた時間に近くのスーパーに慌てて買い物に行った。買い物用エコバッグふたつを満帆にして店を出て…
故クロスケには毎日感謝しているけど 本日は黒猫に感謝する日なんだそうで、思わず反応してる。うちでは夫婦ともども亡きクロスケ・黒猫の息子に感謝しない日はないので、毎日が実質的に「感謝する日」になってるけど。 2001年7月末に家族の一員になって以来、2020年2月4日に天国にお返しするまでの18年半の期間に、うちの黒猫には幸福と愛情だけをもらった。もう後悔することが無いくらい、かなり幸せな人生にしてもらった。ありがとうね、クロスケ。 この「黒猫感謝の日」は、どうやら海外発の記念日のようだ。こちらの記事を読ませていただいて、知った。 nekochan.jp www.facebook.com 黒猫が…
ドラマブログと化している今 このブログは、亡き愛猫を偲ぶグリーフワークのようなつもりで書いていこうと思っていたのだけれど、結局のところ、最近はNHKの朝ドラや大河ドラマを中心に、テレビドラマの感想ばかりが並ぶことになっている。 まあ、それでいいのかもね。心を慰めるためにドラマを見て、フィクションの世界で展開する他人の生老病死に思いをはせる。そうすることもグリーフケアになっているはずだから。 そもそも、既に息子が逝って2年4カ月が6/4で経過した。「もういい加減、ペットロスも無いでしょう」との声がどこからか降ってきそうだけれど、対外的にはともかく、心の中では私の中では変化があったとは思えない。 …
息子の動画がほぼ無い クロスケを亡くしたとは言っても、私も家族も姿が見えなくなっただけでまだ一緒に暮らしているつもりでいるのだけれど、やっぱりその「姿が見えない」ポイントが悲しかったりする。 脳裏に浮かぶ息子の姿はあちこちにあるのだけれど・・・お風呂場のドアを、「開けて開けて」とニャーニャー言いながら、前足でフミフミ押していたり。いくぶん寒くなってきた最近よく思い浮かぶのは、私が座るのをウズウズしながら待っていて、座った途端に一目散に膝に飛び乗る姿とか。ご機嫌でしっぽをフリフリしていたなあ。 「きっとこのタイミングならここにいるはず」という時は、余計にくっきりと姿が目に浮かぶ。 でも、それが一…
楽しい夢ではあったらしい ゴールデンウイーク初日。寝坊して起床したら、夫が言う話がちんぷんかんぷんで混乱した。どうやら、私は亡きクロスケの夢を見て、それを夫に説明しているうちにまた眠ってしまったらしい。それが明け方のこと。 その夢の話を夫がさらに聞くのだが、私の方はちっとも覚えていないのだ。今考えても、1つも思い出せない。ガッカリだ。 「クロスケがたくさん出てきて・・・て言っても、いっぱいクロスケがいるわけじゃないんだよ。色んな場面にずっとクロスケがいる」と明け方の私は喜々として説明したらしい。さぞかし亡き息子は、長いこと私の夢にご出演だったのだろう。 それがきれいさっぱりとは・・・悔しい。 …
悲しみをせき止めない 2020年2月4日未明、息子は息をするのを止めた。翌日に火葬を予約してしまったから、その日は形ある息子との最後の1日になった。 明日には、全身愛らしさの塊である息子の姿形が失われてしまうと思うと、現実感が全くなかった。本当はずっと撫でていたいのに。 保冷剤を抱かせ毛布で巻いておくるみにした息子。安置したのは、以前はテレビ台として使っていた棚の一番下の段だ。そこは、家の作り付けの息子用ステップから息子が直接ぴょんと飛び移って上の数段を歩き回り、時にはびろーんと伸びて、休憩がてら高い位置からリビングなど部屋を一望できる場所として使っていた。 その棚は普段からの息子の居場所のひ…
バナナツリー事件 つい最近の話。買ってきたバナナやミカンを、いつもの高い棚の上にあるバナナツリーとミカン籠に掛けたり入れたりしようとして、(何でこんなことをまだしているんだろう)と気づいた。 習慣とは恐ろしいもの。猫の息子がいたずらをしてしまうので、フルーツ類は書斎の事務棚の一番上が定位置になっていたのだ。 多くの猫が嫌って逃げると聞くミカンなのに、息子はマタタビや山椒のように大好き。ミカンをコタツの上にでも置いておくと、さあ大変だ。ミカン籠に頭をこすりつけて籠を落とし、まさにラリっているような状態でよだれを垂らし、コタツ板の上でお腹を出して伸びていた。 バナナではラリってしまうことはないのだ…
もう、あと少しで立春の日。こう遅くなると、恵方巻を食べる家ではもうとっくに食べ終わっているだろうし、豆撒きも終わっているだろう。 今年は、うちでは豆は形ばかりこそっと撒いたけれども、恵方巻は用意せず、食べなかった。「今年の恵方は北北西です」と天気予報のお姉さんがテレビで教えてくれたけれども、どちらからともなく「今年はもういいよね・・・」と言い合った。 恵方巻を食べているところを想像してみたが、今の私たちは、滑りの良さそうな納豆巻きでも喉に詰まらせそう。食べることに意味があるのか、せっかく食べても空しいだけだなと思ってしまった。 そう、私たちには恵方巻で願いをする対象がもういない。恵方巻を食べな…