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終戦の年の1945年(昭和20年)3月26日、 太平洋に浮かぶ硫黄島守備隊の組織的戦闘が終結します。 硫黄島は東京都の島で、都心からは約1200km離れた島。直径は北東から南西にかけて8km未満、幅は北部で4km、南部で800mという小さな島です。最高点は島の南部にある標高169mの摺鉢山でした。活火山があり、島の表面が硫黄の堆積物で覆われていることから「硫黄島」と名付けられました。 (玉砕1か月前の硫黄島の映像) 1945年(昭和20年)2月16日の硫黄島で米軍を迎え撃つ様子を紹介している映像がありました。 下をクリックして御覧下さい。 【玉砕1か月前の硫黄島の様子を紹介した日本ニュース】 …
【ロ軍7000人死亡】“硫黄島の戦い”の米軍は 36日間で、ウクライナ侵略のロ軍は20日間でそれ以上=遠距離攻撃強化へ
ウクライナ侵略を続けるロシア軍について、米ニューヨーク・タイムズは「米海兵隊が太平洋戦争の際に硫黄島の戦いの36日間で約7000人を失ったのに対し、プーチン大統領の軍隊は20日間でそれ以上の兵隊を失っている」と報道。米国防総省高官はロシアが侵攻開始以降、ウクライナに撃ち込んだミサイルが1000発を超えたと発表。後方支援に問題があるロシア軍が、遠距離攻撃や空爆を強化する傾向にあるという。