「ほめる」という事が苦手です。子供の頃に褒められた記憶はあるけど、うっすらとした記憶で、それよりも父から認めてもらえない記憶の方が強烈です。だからいまだに「褒める」ということが苦手です。
心療内科へ通うおじさんです。 長い事病気と闘っているので、病気の事、病気と向き合って気づいた事、学んだ事なんかを書いています。趣味のガーデニングやロードバイク、神社巡りのことなどもご紹介していこうと思います。宜しくお願いします!
「ほめる」という事が苦手です。子供の頃に褒められた記憶はあるけど、うっすらとした記憶で、それよりも父から認めてもらえない記憶の方が強烈です。だからいまだに「褒める」ということが苦手です。
相手の一言が深く心に突き刺さってしまい、やがてその傷が化膿してしまい…気付けば鬱になっている事が多いです。でも、相手は大して気にもしていなかったりするんです。どんなふうに対策したらいいか考えてみました。
鬱を繰り返す中で転機となったのが、お世話になっているカウンセラーとの出会いです。
過去や未来の事を考えて悩んだり、人の目や評価を気にすることは「余計な事」であり、「余計な力」を浪費しているのだと思います。この浪費をどうしたら抑えられるのか、考えてみました。
カラダを動かすと心が軽くなります。でも「やらなきゃいけない」としてしまうと逆効果なので、ルールを決めずに気の向くままにウォーキングを始めました。歩こうが走ろうが休憩しようが、その時の自由。毎日やらなくてもいい…そんな感じでストレスを感じずにやっています。
情熱をもって仕事をしたかったけど、なぜか燻って燃え上がらなかった。そして、情熱を早めや早めに鎮火していくような、逆向きの自分も居た。どうやったら情熱を燃やせるのだろうか…?そんなお話です。
『自分らしさ』ってなでしょうね。わたしは、自分の価値観や考え方を大切に、無理の無い状態なのかな…と思います。『自分らしさ』が分からないのはきっと、邪魔しているものがあるからなんだと思います。
鬱になって苦労して鬱抜けする、この過程で、わたしはいつも何かをそぎ落とすことができていると感じます。それは「~出なければならない」と言う思考。きっとこれは、わたしが自分らしさを取り戻していく過程の様なきがします。
今回鬱抜けしてみたら、考え方が変わりました。今までだったら「もう鬱にはなりたくない」と考えていたのに、今回は「何度でも立ち上がってやる」と考えるようになりました。
「断ること」が難しい…。断って話いるのだけど、しつこく言われると、引き受けてしまう。そうなると、自分の都合を後回しにして頑張ってしまうからストレスが溜まって身体壊して鬱になる…この悪循環。何とかしなくては…。
わたしの鬱抜け方法です。鬱が酷くなった時は負の思考が頭を支配するので、どうしても「大丈夫」と思い込んで無理したり、自暴自棄になってしまう。そんな時わたしは「休むぞ」と腹を括ります。
若い頃から続けてきた、こだわってきた介護の仕事を辞めると決めました。そうしたら自然と「お疲れさま」と自分に言えました。何だか肩の荷が下りたようで色々たのしくなってきました。
鬱症状をどうとらえたらいいのだろう…気持ちが沈む以外にも身体にも不調がでることもある。でも、「この程度の症状で体調悪い」って言っていいのかな?と思ってしまうから、余計に無理してしまう。どうしたらいいのでしょうかね…?
ネットで調べてみると… 鬱病の症状が良くなって普通の生活ができることを、完治とは言わず、寛解と言うそうです。 寛解とは…全治とはいかないが、症状が落ち着いて穏やかに過ごせること…らしい。 また、寛解の状態が2ヶ月以上続いた状態は「回復」と言うそうです。 そうなると、わたしは少なくとも去年は寛解の状態であったのだと思います。 いやむしろ回復の状態までは行けていたのかも知れません。 今回、また鬱状態まで戻ってしまった訳ですが、もう何度も繰り返しているから回復の方法も分かってきているように思います。 初めて鬱になってから仕事ができる状態まで戻るのに3年くらいかかりました。 その後は1年半、1年、半年…
またまた随分と間が空いてしまいました。 昨年末は「年明けからブログ更新するぞ!!」と意気込んでいたものの、結果ズルズルときてしまいました。 結論から言いますと、この間また鬱になりました。 そして、仕事を辞めることになりました。 昨年は 「鬱になったらどうしよう」 「もう繰り返したくない」 そんな気持ちに雁字搦めになる事もなくなり「鬱の事を考えなくなった」と感じていました。もちろんモヤモヤした気持ちもありませんでした。 油断していたわけではなくて、本当に始めて鬱になってからの長い期間で初めて経験する位、清々しかったのは事実です。 11月にこんな投稿をしています。 ossanmeisocyu.ha…
鬱症状が無くなっても、自分の中に『生きにくさ』が残っています。前向きな気持ちの足を引っ張る気持ち。そして、自分を後回しにして頼まれ事などを優先してしまう気持ち。これらの事について、また少しずつ『自分と向き合って行こう』と思います。
去年の今頃は「死にたい」と思うほど鬱の状態が最悪でした。現在は鬱症状もなく過ごせています。そんな今年を振り返ってみました。
どうしても症状が気になってそれを取り除こうと考えてしまいますが、症状が出る原因を知り対策する事で症状が改善されるのだと考えています。
身体経疲れ切っている…体調が悪い…色々やらなきゃならないと思っている事が多くてイッパイイッパイ。そのせいか、鬱がちょこっと顔を出したり、「もうダメだ」なんて独り言が増えている今日この頃です。
イベントが近づきバタバタと忙しく仕事する中で、体調を崩していました。そんな中、久しぶりに鬱の初期症状が出たりしました。幸い鬱の方は大事にはならず直ぐに落ち着きましたが、今回の事を踏まえて、自分なりに対策を考えてみました。
鬱になってから、何とか治そう…繰り返さないようにしよう…と主治医をはじめ周りの意見を取り入れてきましたが、自分の気持ちが求める働き方ができるようになった今は、本当に楽しく仕事ができています。
今月はなかなかブログが書けませんでした。 先週行われた施設の敬老会に向けて、15年ぶりくらいにウクレレを弾くことになりまして…と言ってもコード押さえてポロンポロン弾くだけなのですがw なにより、今まではギターだったりウクレレだったりを自分一人で弾いて、それに合わせて歌っているだけだったのですが、今回はキーボードの演奏を合わせて…しかもその演奏に合わせてフラダンスを踊る人も居たりして…「これ失敗できないじゃん!!」とビビッて練習の毎日でした。 それと同時進行でやらなければいけない事も沢山あったんです。 久しぶりに頭がウニになる程忙しかった…それがブログを掛けなかった言い訳なのですw それでも、当…
最近気付いた事ですが、鬱になる以前のように幾つかの物事を同時進行でやれるようになっていました。同時進行で物事を進められるようになったのは、少しずつ自信がついてきたからかな…と感じています。 鬱症状も出ていないし、鬱の事を考えなくなった事も、今まで取り組んできた事の成果が出ているから。 鬱と向き合うと決めてから、自分の気持ちを無視してきた事に気付き…最後に残った仕事への気持ちも、介護の仕事を続けることへの罪悪感から介護の仕事をする楽しさへ意識が変わってきたように思っています。 とはいっても、今まで仕事中に考えの合わない人たちから言われ続けてきた言葉が、トラウマの様に わたしにブレーキをかけてくる事がしばしばあります。 それでも、やってみると何とかなる。 「心配してたけどできたじゃん!」って言う経験が自信回復へつながっているような気がします。
鬱病13年目。仕事へ復帰したけれど、やっぱり環境が合わず、徐々にストレスから鬱の危険信号が出てきました。それでも「鬱にならない」と言う気持ちから誤魔化しながらやってきたけど…限界でした。そんな時本で読んだ「逃げてもいい」と言う言葉に救われました。
徐々に鬱症状はでなくなり4か月位経ちました。生きていれば悩み事の一つや二つあっても仕方がない…そんな風に思えるようになりました。最近の悩み事の一つはを無意識に『カンペキ』を求めていたのが原因だと気付きました。自分は自分の持ち味を発揮すればいい。自分の足りないところは、仲間が持ち合わせてくれているはずだから…。もっと自分らしく、自由な発想でやっていけたら、自分らしさを発揮できるのかも知れませんね。
鬱病12年目…居場所がない。自信がない。どうしていいか分からない。
鬱病12年目は居場所がない…どうしていいか分からない…そんな毎日でした。結局またまた鬱が再発して休職…。でも「何とかしなきゃ」と本を読み、自分と向き合う事ができるようになると、漸く鬱との向き合い方付き合い方が見えてきました。
5月からボランティアをさせて頂いていた介護施設に、8月から勤めることになりました。 先月の後半から週5日通わせてもらっていたのですが、やっぱり疲れが出ています。 先週は熱中症の様な症状が出てしまい、早退させてもらったり… 昨日から急に左肩が痛み出して腕が上がらなくなったり… 帰宅すると疲れてぐったりしちゃうし… なかなか思うように行かないですね。 そんなこんなでタダでさえ不定期なこのブログも、なかなか更新できずにいます。 正直、この所 頭が働かないので、ネタも浮かばず… でも、自分のペースが掴めたら、またブログを書いていこうと思っています。 それまでは、自分の体調と相談しながら、少しずつ更新し…
「しなければならない」とか「してはいけない」と考えると自分を追い込んでしまう。鬱になったからそんな風に考えてしまうのではなくて、実は鬱になる前からそんな風に自分を追い込んでしまっているんだと思うのです。鬱になるのは、そんな考えを続けて身を削ってきた自分への危険信号なんだと思います。
二週間ほど前にジャガイモの収穫をしました。 今年はキタアカリとメイクイーンを栽培しましたが、何が良かったのか分かりませんが、昨年までよりも大きなジャガイモが収穫できました! ウチでとれたキタアカリ ウチでとれたメイクイーン お店で売っているメイクイーンと比べると個性的な形のものが多いですが、キタアカリもメイクイーンもとても美味しかったです!! ジャガイモの他にトウモロコシも収穫しました! 今年は、ピーターコーンとハニーバンダムを栽培してみました。 ウチでとれたハニーバンダム ウチでとれたピーターコーン どちらもとても甘くて美味しかったです!! 写真ではわかりにくいですが、お店で売っているトウモ…
鬱病から抜け出す第一歩はなんだろうか?わたしは自分に目を向けることだと思っています。本当に悩んでいることは何なのか?自分の本心はどうしたいのか?そんな視点で自分と向き合うことが大切だと思います。
鬱病11年目の出来事です。丁度コロナがやはり出した年です。カウンセリングでの成果は感じつつも、なかなか感情を出せず、手探り状態でした。
人は、自分の居場所があると感じられることってとても大切な事だと思います。それはSNS上であったり、家族や友人との関係であったり…。でも、自分の気持ちにも居場所が必要なんです。自分の気持ちの居場所は自分自身。だから、自分の気持ちの聞き手になって本心と向き合う事が鬱病にとっては大切なのだと思います。
最近気付いたのですが、鬱であったことを忘れてしまったというか、意識しなくなったように感じています。だから、とても楽です。余計なものが無くなって、やっと自分に戻れたような感じです。
「今、自分がアレコレとやれている事は、今までの積み重ねなんだな」そんな風に思えるようになりました。まだまだ自分に自信は持てないけど、今までの経験が自分の中で生きているのを感じます。少しずつ、自分が良い方向へ変わっているように感じます。焦らずに進んで行こうと思います。
久しぶりにサイクリングに行きました。今まではサイクリング中に愚痴ばかり…一人ブツブツ言っていましたが、昨日は一切愚痴は出てこなくて、鼻歌交じりでした。現在、鬱症状もなくて、心が充実しているからかも知れません。
最近少し疲れ気味…。 それに伴い少しメンタルも落ちてきたようです。 わたしのメンタルが落ちてくるときは疲れが溜まってきた時…そして、睡眠不足が大きく影響するようです。 日頃から睡眠時間や、身体のメンテナンスに意識が薄いようです。 『備えよ常に』…鬱にならない為に、日頃から備えていこうと思います。
最近こんなことがありました。 お風呂に入って気を抜いた時に、涙が出てきたり… 居眠りから目が覚めた時に、急に不安がこみあげたり… 「どうしてなのか?」考えてみると、知らず知らずに無視していたホントの気持ちがそうさせているような気がしました。 自分では、色々と考えた上での結論で、その結論に対して気持ちも晴れ晴れしていたのだけど… 色々と考えた上での結論も、その時の晴れ晴れした気持ちも嘘ではないと思うけど…心の奥の方では「そうじゃないでしょ!」と言う自分が涙を流させていたのかな。 「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせていても、「でもやっぱり心配だよ」と心の奥の方から叫んでいたのかな。 そんな風に感じまし…
空に謎の飛行物体を発見!! 黒くてゆらゆらと…一反木綿の様なやつでした。
新しく作った畑に、トウモロコシを植えました。 今回は、ピーターコーンとハニーバンダムの2種類。 と言ってもスペースの関係で、全部で苗は10個です。 先日作った畑にネットを張りました。 トウモロコシの苗 それと… プランターが開いていたので、ゴーヤとモロヘイヤも植えました! プランターに植えたゴーヤ。上手くグリーンカーテンになるか!? プランターに植えたモロヘイヤ 先日新しい根を植えたアスパラガスも幾つか芽が出てきました! アスパラの芽がでました。来年が楽しみ!! 芽が出たけど、今年は食べられないのです…。 来年の春に向けて栄養を蓄えていただきます。 最後に… YouTubeで知ってチャレンジし…
気付けば人の目や評価を気にしている…。 もっと自分を信じてあげないと…。
先週末より、自宅の庭に新たな野菜栽培スペースを作成しています。 久しぶりに不安に襲われていたけど、振り払う為にも…雨の中作業しました。 随分と前から考えてはいたのですが、具体的にどんな風に作ろうかと悩んでいました。 気付けば、ホームセンターには野菜の苗がたくさん並んできて… ちょっと焦っておりましたw 場所は庭のこの辺り。 花壇として使用していた場所です。 元々花壇があった場所 現在、花壇にあるのは芝桜と水仙。 芝桜と水仙は別の花壇へ移植する事にして、ここへ新たな野菜栽培スペースを作る事にしました。 今回は、ホームセンターで購入したカラーブロックを使用する事にしました。 水平器を使用してブロッ…
先週末は久しぶりに不安に襲われました。キッカケは疲れが溜まっていた事だったり、昔を思い出しての防衛本能だったりするのかも知れません。でも、「不安になるのは誰でもなる事。」そう考える事にしました。
今現在の鬱への自分なりの考えをまとめてみました。鬱になると気力がなくなったり、動けなくなったりマイナスに考えてしまったり…自分に対して負のイメージが強いです。でも、実際に苦しんでいるのは、過剰反応している部分のような気がします。そこに気付けたら、対処法が見えてきた気がします。
現実世界でも、ネット上でも…そしてゲームの世界でもコミュ障前回なわたし。 その原因は鬱になってからの対人恐怖症もあり、もともとの人見知りもあり…。友達100人作れなくてもいい。1人でも一緒にいて心地いい人が居れば…そんな風に思います。
鬱の人にとって、SNSは良い場所であってほしい。沢山の人に支えてもらえる…そんな『居場所』になって欲しい。
今月から新しい職場でお世話になっています。わたしの中で一つ変わった事…それは心が落ち着いている事。不安な事や焦る気持ちが出てこないんです。 こんな気持ちがずっと続くといいのですが…。
わたしを苦しめるカンペキ虫が顔を出し始めました。 カンペキ虫とは… 「色々な事をキチンと落ち度なくやらなきゃだめ!カンペキにしなくちゃダメ!!」と、わたしの心をつついてくる… 心の中の心配性の火種に、どんどんと心配の種を投げ入れて、炎上させようとしてくる 虫の事。 虫と言っても、ホントの虫ではないですけどね…。 わたしの中の心配性の部分が、落ち度のないように、石橋を叩いて…叩いて…徹底的に叩いて…行こうとするのですが、最後は叩きすぎて粉々にしてしまうのです…。 就活が進むにつれて 「体調を万全にしないと…。」とか 「自分のペースでやれるかな…。」とか… 「あれは大丈夫?」とか… 「これは大丈夫…
先日ホームセンターで購入したアスパラガスの根を植えました。今日が一粒万倍日なのでw 先日植えたジャガイモも芽が出てきました。
鬱になってから始めた家庭菜園。毎年アスパラガスの芽が出てくるのを楽しみにしていたのに、今年は出てこない…。根っこを掘り起こしたら、ストロー上にスッカスカでした。
マイペースって難しいですよね。「マイペースでいいよ」何て言われても、どうしていいのやら…。 わたしなりに、マイペースについて考えてみました。 何をどうするという事ではなくて、自分に余裕を持てるような心のバランスを保つことがマイペースって事なのかな…。
鬱が酷くなると、布団から起きることも、ご飯を食べることも、身支度する事もできなくなり、仕事へ行くのも外出するのも怖くなります。そんな時は「休んでいい」と自分を許してあげる。家族からもそういってもらえると心強いです。
現在、鬱症状もなく穏やかに過ごせています。ここまで、長い時間かかってやっとたどり着けたような気がしますが、鬱とわたしの関係には幾つかの段階がありました。決してスムーズに来たわけではありません。でも、その都度転機となるきっかけを経てきました。 どんな段階を経てきたのか、まとめてみました。
鬱になってから、眠れない事は多々ありました。 モヤモヤと不安に襲われて眠れない事や、仕事の事が頭を離れない事も…。 昨夜も眠れなかったけど、今回はワクワクして眠れない…そんなの久しぶりです。
鬱症状で最初に出るのが、胸の痛み、その後が呼吸苦です。 毎度の事なので、「まだ大丈夫」となってしまいがちですが、自分に余裕がなくなると出てくる鬱のサインです。
人の気持ちを考えることはできるのに、どうして自分の気持ちを考えることはできないのだろう? そんな事をずっと考えていました。
現在は鬱の状態も安定していて、就活中です。今回は今までとちょっと感覚が違います。 考え方がかわったからでしょうか。ラストチャンスと思って、やりたい事にチャレンジできたらと思っています。
鬱になると自信がなくなります。自信がなくなる事について、わたしなりに考えてみました。わたしが現在拘っていることは、鬱で無くした自信を取り戻そうと言う意識がどこかにあったようです。
たまに気になる夢を見ます。 このところ、亡くなった愛犬が夢に出てくるときは、何かしらおこります。 愛犬が爪を怪我していたら、わたしも怪我したり…。これって予知夢?正夢?
鬱になってから始めた家庭菜園。初めてのキャベツ栽培でした、収穫のタイミングが分からず、蕾ができていました。 それでも、瑞瑞しくておいしかったです。
鬱病はなかなか理解してもらえないと感じています。自分の周りに一人でも、理解してくれる人が居ると非常に心強いです。わたしの家族が鬱を理解してくれた時のことをお話しします。
鬱病になってから、何度か転換期がありました。転換期を迎える度に、鬱病に対しての考え方が変わっていったような気がします。
鬱と向き合う事の後押しをしてくれた本をご紹介。『僕が僕であるためのパラダイムシフト』。カウンセリングでやっている事を理解できたキッカケもこの本です。鬱になった私が向かう方向に気付けました。
高木豊さんのYouTubeでダルビッシュ選手がメンタルについてお話されていました。メンタルは鍛えるのではなくて、いかに受け流すかと言う技術だと思うと言うお話し。なるほどと納得させられるお話ばかりでした。
鬱の一歩手前…そう心療内科で言われ、診断書を書くためにと抑うつ性神経症と言われました。診断を受ける前のわたしの状態を書きました。 あの頃は、息継ぎしないで泳いでいる感覚と背負っている籠に次々と荷物を投げ入れられて動けない…そんな感覚でした。
サイクリングに出かけると、鬱でモヤモヤした感じがどこかへ行ってしまいます。でもなかなか出かけられないのは、近所の目が気になるからなんです。
鬱は自分の一部…自分の個性と考えるようになりました。 「何でも、自分の個性」というお話を伺ってから、「鬱も自分の個性」「自分で嫌だと思う部分も個性」そんな風に考えるようになったら、心が軽くなってきました。
鬱に対してどうしても「鬱にはならない」「鬱を繰り返さない」と構えてしまいがち。でも、鬱に対して構え過ぎていると、鬱になった時に泥沼にはまってしまう。だったら、「もっと鬱と気楽に付き合ってみてはどうだろうか?」そんな風に考えてみました。
鬱を治すは治すと意識すると、症状ばかりに目が向いてしまう。鬱と向き合う事をいしきすると、自分の中の鬱になった原因が見えてきくる。その原因に気付いて、自分を苦しめている考えや自分ルールに気付くと、自然と楽になってくる。それが、鬱と向き合うという事なのかもしれない。
鬱症状も全くでなくなり、就活を始めた矢先、『面接』と言うワードが出たら、また鬱症状が少しずつ出始めました。何が…どんな気持ちが鬱症状を出しているのか?仕事に対しての意識の中にそれは隠されていました。
「悔いが残らないように…」この言葉をカウンセリングで言っていただき、気持ちが軽くなりました。大好きな仕事も、鬱を繰り返さない為にと貰ったアドバイスや周りの言葉に自信が持てなくて迷走していましたが、霧が晴れたようです。一番欲しかった言葉だったようです。
父親との関係が、わたしの鬱状態に大きく影響しています。その為、弟の命日でしたが、お墓参りは後日、日をずらしていきました。こういう判断も、自分を大切にするには必要な事だと思います。
退職した職場の夢を見ました。夢の中では退職するためにロッカーを片付けて、同僚に「なぜ辞めるの?と聞かれて答えている夢。鬱状態は良くなったと思っても、まだ心には解消されていない問題があるようです。
家庭菜園で育てていた白菜を収穫。白菜の他、現在キャベツとニンニクも栽培中。鬱になってから始めた家庭菜園の様子です。
昨年末にまた鬱症状が悪化。退職することになったけど、漸く落ち着いてきたので、どんな様子だったか振り返ってみる事にします。危険信号沢山出ていたけど、気付けなかった…。
わたしにとってのNGワードがあります。『それは理想だ!』と言う言葉。あなたにとっては『理想』でも、わたしにとっては『当たり前』の事。なのに、『理想』と言う言葉を使われると自分が否定されているように感じて鬱になっていました。でも、漸くこのNGワードへの考え方が分かりました。
無意識のうちに作っていた『自分ルール』鬱にならない…上手くやっていく…そんな自分を守る為のはずのルールは、実は自分を追い込んでいた事に気付きました。
鬱症状と腰痛に悩まされてきましたが、仕事を退職しました。 退職したら鬱もスッキリしたし、腰痛も良くなってきました。
鬱になると何をするのも臆病になりがちです。でも、腹を括ってやってみると意外とできますよ。大切なのは無理せず、小さなことからコツコツと。あとは一歩踏み出す勇気です。
星野源のオールナイトニッポンに、オードリーの若林さんがゲスト出演した回。そこでのお二人のトークに助けられました。わたしが『普通』についてのお話し。鬱で悩んでいる原因の一つです。
鬱になって、色々なアドバイスや本からの知識を取り入れて、何とか鬱から抜け出そうとするほど、沼にはまっていた。0か100で考えず、もっと気楽に取り入れたらよかった。
わたしの癒しはラジオです。鬱症状が強い時もそうでないときも。
毎日のストレスをため込まないように、日記を始めてみました。毎日書かなくてもOK。書きたいときに書きたいだけ書いてみることに。
「爾今生涯」そんな言葉をサラリーマン金太郎で知りました。「ここから私の人生が始まる」…人生を悲観していた私にはぴったりの言葉です。
鬱と向き合うオジさんのブログです。 2022年は休職に始まり休職に終わったけど、得るものも沢山ありました。 2023年はサイクリングに神社巡りなどなど楽しみたい。
前回の投稿から1ヶ月も経っていたのですね。 その間のわたしですが… ノートを書いてみて、スッキリしたように感じるのですが、翌日になるとまた振出しに戻る…そんな毎日を繰り返していました。 朝、なかなか起きられないところから始まり、身体が重怠く、力が入らない…何とか仕事へ行こうと準備をするのだけど、洗面台の前に立って髪をセットしようとすると身体が動かなくなる…そして気づくとしゃがみ込んでいる事もありました。 何とか家を出ても、車のアクセルが踏めない… 気付くとスピードが出ていない感じ… そして、何度か車を止めては、「怖くて、死にたくて…」 自分ではどうにもできなくなり、妻に電話して… 結局そのまま…
先週一週間、濃厚接触者の為仕事を休むことになりました。 初めのうちは良かったのですが、3日目くらいから夜寝ようとすると何だか胸の辺りがソワソワする感じ。 「あれ?」っと思っていると、ソワソワが少しずつモヤモヤに変わっていくので、何だか眠れない。 モヤモヤは本当に薄~い小さなものなので、薬を飲むほどでもないし、明日も休みだからと、モヤモヤが落ち着くのを待って明け方眠ったりしていました。 翌日も、翌々日も同じ感じで眠れない。 子供の頃から、病欠した後などは、どんな顔して学校や職場へ行っていいのか分からず、逃げ出したくなっていた事を思い出しました。 「今回もそんな感じかな…」 なんて思っていたけど、…
この所、毎日忙しくて忙しくて…。 お昼休みもご飯をかき込むだけしか時間が取れない…そんな感じでした。 わたしにとっての昼休みは、大切な一人になる時間でした。 あと10~20分の昼寝タイム…一度リセットする大切な時間でした。 この時間があるのと無いのとでは、わたしの状態を左右します。 それほど大切な時間になっていました。 それ位忙しくても、仕事に行くのが苦痛だったりすることはなく、何とかやっていたのですが…。 先週土曜日の事。 この日もまた、色々あったわけですが…。 「やっと仕事が終わった」と車に乗ったまではいいけど、何だか運転席に座ってから何をする気にもなれず…電池が切れたように、 エンジンも…
『自分軸』と『他人軸』 この言葉は、去年の今頃から今年の春まで休職した期間に初めて知りました。 「何とか休職したり、仕事を辞めたりしなくて済むようにしたい」 それが去年の10月頃のわたしの強い願いでした。 それまで何度も何度も鬱を繰り返して… 何とか仕事ができるようになると、常に思っていたことですが、去年の10月頃は仕事に行くことが、物凄く辛くなっていました。 朝の通勤では、車を運転しながら「このまま事故ったら楽になれるのかな…」と毎日思っていました。 職場へ着くまでの時間は、「あそこの交差点で…」とか「あのトラックが突っ込んできて…」とか、自分が事故にあう事ばかり想像していました。 仕事中は…
約1ヶ月ぶりのブログ更新となりました。 この間は、仕事が忙しくて、疲れが溜まってはいるものの、気分が落ち込むなどの鬱症状もなく、過ごしていました。 そんな中、良い変化を感じていました。 8月、9月は、コロナの影響で職場では、濃厚接触者になってしまい休む同僚が絶えませんでした。そんな状況下で職場では、コロナ対策が強化されたこともあり、入所されている利用者さんにもストレスが溜まっているのがよく分かりました。 コロナの影響が少しだけ落ち着いて来た8月下旬頃…利用者さん達の表情が暗い事に気付きました。 そこで…もともと折り紙やら手芸やらが得意なわたしは、折り紙でコスモスの花を作って見せました。 そした…
丁度 去年の今頃は、イライラモヤモヤが酷くて、朝もなかなか起きられず、動けず…随分と追い込まれていた時期です。 あの頃の事を思い出すと、毎日追い込まれていたし、自分でも追い込んでいたと思います。 休職する時に、上司から言われたのが、「色々気がついちゃうんだよね」と言う一言。 この一言が、暫く わたしを苦しめました。 当時のわたしは、「みんな気付かないフリをしている」のだと思っていました。 気付かないふりをして、面倒な仕事を見てみないふりをしているのだと…。 それに… 「気付くことが、そんなにいけない事なのか?」 と言う思いも強かったです。 介護の仕事をしていて、「小さなことでも気付けなければ、…
最近は仕事が忙しいけど、何だか充実しています。 少しずつ自信が戻ってきたこともあるし、周りの目もあまり気にならなくなってきました。 でも、ひとつ…気掛かりなことがあります。 それは「忘れてしまう」ことです。 大袈裟に聞こえるかも知れませんが、わたしにとっては『恐怖』です。 最近はだいぶマシになりましたが、ふとした瞬間に「急に忘れたらどうしよう」と頭を過ります。 今まで、特に鬱が酷かった時期は、身近なところで言うと、薬を飲んだかどうか忘れてしまう事が多かったです。 薬を飲んだのに、しばらくして「あれ?薬飲んだっけ??」となります。 薬を飲んだ記憶が、今の記憶なのか、昨日の事なのか…分からなくなり…
鬱病10年目…自宅療養へ逆戻りも、新たなカウンセラーとの出会い
鬱病10年目… 前の年にドクターストップにて2ヶ月休職。 復帰して、職場の配慮で事務所内でのパソコン作業をさせていただきましたが、「早く介護の現場に戻りたい」と焦る気持ちと、「介護の現場に戻ってやっていけるのか?」と言う不安から、徐々に「もうここには自分の居場所がない…」と感じるようになっていきました。 詳しくはこちら↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com 「自分の居場所がない…」その気持ちは日に日に大きくなりました。 そして…看護部長に相談しました。 「申し訳ないのですが、どこでもいいので系列の施設へ異動させてもらえませんか?」って。 年が明けてすぐに、系列の施設へ…
鬱病9年目…。 年末にロードバイクを購入し、少しずつ遠くへサイクリングへ行くようになりました。 晴れの日も、雨の日も、強風の日も…雪が降ってきた時もあったかな。 とにかく、ロードバイクに乗って一人で出かけることが楽しかったです。 サイクリング中にも、時々仕事の愚痴を、ブツブツとひとりでしゃべっていることが多かったと思います。 でも、それがストレス発散になっていたようでした。 体調も徐々に良くなっていたように感じていましたが、どこか鬱鬱とした気持が常にまとわりついていて、ロープの上を歩いているような感覚でした。 春が近づいてきた頃の事です。 午前中の入浴介助を終えて、Tシャツも短パンもびしょぬれ…
2度目の社会復帰から4か月が経ち、新年を迎えると、わたしの周りが動き出してきました。 自分の中では… 「やっていけるのか?」「大丈夫なのか?」と言う不安と、 「もっとやれるはず…」と言う気持ちに毎日振り回されていました。 そして、主治医からのアドバイス「無視しすぎない」「今までのような仕事の仕方ではダメ」と言う言葉が、さらにわたしを空回りさせていきました。 そんな状態で新年を迎えると、「主任をやらないか?」と言う話が出てきました。 「自分の頑張りを認めてもらえたのかな…」と少し嬉しくもありましたが、現状では毎日が精一杯。 そして、自分自身がまだまだ、病気をどう理解して、自分をどうコントロールす…
鬱を繰り返すたびに、どんどんと自信が無くなっていきました。 仕事の事はもちろん、 自分が得意な事も… 自分が好きだったことも… 全てにおいて、自信が無くなりました。 自信が無いから、 本を読んでも、勉強しても、全く頭に入らない… 自分の頭に入らないと感じているから、心配で先のページに進めない…。 初めの方の同じページを行ったり来たりする感じでした。 仕事でも同じ。 メモしても、何度も繰り返し覚えても、自信が無いからか、直ぐに頭が真っ白になってしまう。 誰かと話していても、頭が真っ白になって、何を話しているのか分からなくなるし、 自分の声が相手に聞こえていないのではないかと、常に心配していました…
わたしをずっと苦しめていた事。 そのひとつに、「…しなければならない」という『思い』があったと思います。 そして、その『思い』に縛られていました。 「…しなければならない」という『思い』は一つの事に留まらず… 自分の身の回りの事、全てに対してそんな風に思っていました。 そして、その『思い』は、「絶対に成し遂げなければならない…」 そんなルールのもとに存在していたように思います。 その『思い』は理想が高いとかいう事ではなく、勝手な強い使命感のようなものでした。 だから、自分が「…しなければならない」と思っていることが、思うようにいかないと、激しく自分を責めていました。 そして… 「思うようにいか…
2度目の社会復帰…「今度こそ失敗できない」と言う気持ちがとても強かったです。 家族に心配を掛けたくない。 家族に迷惑を掛けたくない。 なにより、もう鬱を再発させる事は、何としても避けたかった。 いや…もう鬱にはなる訳にはいかない。 あんな辛い思いを…家族にもさせたくなかった。 わたし自身も、もう繰り返したくなかった そんな気持ちの中… 「無理しすぎないように」 「今までのような仕事の仕方ではダメ」 などの主治医からのアドバイスがありました。 でも実際にどうしたらいいのか…。 「無理しすぎないように」と言われても、 仕事に行けば、そうも言っていられない事は沢山あるし…。 でも、鬱を繰り返さない為…
鬱病7年目の夏だったと思います。 新しく処方して頂いた漢方薬のおかげで、落ち着いて過ごせるようになり、主治医からも、社会復帰へ向けてのGoサインを頂きました。 念願のGoサインを頂いたものの、一度失敗しているだけに「大丈夫かな?」と言う不安もありました。 毎週日曜日は、前の職場のデイサービスのドライバーさんが趣味でやっている畑の手伝いをさせてもらっていました。 その為、外出する機会も増えてはいたものの、就職して新しい環境での生活、大勢の中に飛び込む事に不安がありました。 そんな訳で、練習を兼ねて『福祉施設の合同説明会』に参加する事にしました。 参加者にはクオカードと、介護の本が配られるとの事。…
いままで4~5回くらいあったかな…。 何となく不思議な出来事として覚えていることがあります。 背負っているカバンの金具が外れて、カバンが落ちるんです。 そんなことが初めてあったのが、実家での事。 弟が亡くなったばかりの頃の事です。 何となく実家の玄関先で、お線香の香りを強く感じました。 実家に入って、弟の仏壇に手を合わせた瞬間に… スルッと肩にかけていたカバンが落ちました。 見ると、カバンとカバンのベルトを繋ぐ金具(ナスカン)が外れていました。 「???」 これって自然とはずれないでしょ??? その後、友人と遊んでいるときに、弟の話になった時、また同じように金具(ナスカン)が外れてカバンが床に…
鬱になり、眠れなくなったころから、「どうやったら眠れるのか?」といろいろとやってきました。 鬱病になったばかりの頃は、主治医やカウンセラーから「とにかく寝なさい」と言われました。 …でも眠れないんです。 以前にも書きましたが、身体に力が入らず、フラフラで横になっていると… 「昼間から何やってんだ!!」と父の声が聞こえてきて、眠りにつくことができませんでした。 詳しくはこちら↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com 昼間も眠れず、夜も眠れず… 薬を飲んでも、状況は変わりませんでした。 「昼間眠ったり、横になったりしているから、夜眠れないんじゃないか…」 そんな風に思って、…
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「ほめる」という事が苦手です。子供の頃に褒められた記憶はあるけど、うっすらとした記憶で、それよりも父から認めてもらえない記憶の方が強烈です。だからいまだに「褒める」ということが苦手です。
相手の一言が深く心に突き刺さってしまい、やがてその傷が化膿してしまい…気付けば鬱になっている事が多いです。でも、相手は大して気にもしていなかったりするんです。どんなふうに対策したらいいか考えてみました。
鬱を繰り返す中で転機となったのが、お世話になっているカウンセラーとの出会いです。
過去や未来の事を考えて悩んだり、人の目や評価を気にすることは「余計な事」であり、「余計な力」を浪費しているのだと思います。この浪費をどうしたら抑えられるのか、考えてみました。
カラダを動かすと心が軽くなります。でも「やらなきゃいけない」としてしまうと逆効果なので、ルールを決めずに気の向くままにウォーキングを始めました。歩こうが走ろうが休憩しようが、その時の自由。毎日やらなくてもいい…そんな感じでストレスを感じずにやっています。
情熱をもって仕事をしたかったけど、なぜか燻って燃え上がらなかった。そして、情熱を早めや早めに鎮火していくような、逆向きの自分も居た。どうやったら情熱を燃やせるのだろうか…?そんなお話です。
『自分らしさ』ってなでしょうね。わたしは、自分の価値観や考え方を大切に、無理の無い状態なのかな…と思います。『自分らしさ』が分からないのはきっと、邪魔しているものがあるからなんだと思います。
鬱になって苦労して鬱抜けする、この過程で、わたしはいつも何かをそぎ落とすことができていると感じます。それは「~出なければならない」と言う思考。きっとこれは、わたしが自分らしさを取り戻していく過程の様なきがします。
今回鬱抜けしてみたら、考え方が変わりました。今までだったら「もう鬱にはなりたくない」と考えていたのに、今回は「何度でも立ち上がってやる」と考えるようになりました。
「断ること」が難しい…。断って話いるのだけど、しつこく言われると、引き受けてしまう。そうなると、自分の都合を後回しにして頑張ってしまうからストレスが溜まって身体壊して鬱になる…この悪循環。何とかしなくては…。
わたしの鬱抜け方法です。鬱が酷くなった時は負の思考が頭を支配するので、どうしても「大丈夫」と思い込んで無理したり、自暴自棄になってしまう。そんな時わたしは「休むぞ」と腹を括ります。
若い頃から続けてきた、こだわってきた介護の仕事を辞めると決めました。そうしたら自然と「お疲れさま」と自分に言えました。何だか肩の荷が下りたようで色々たのしくなってきました。
鬱症状をどうとらえたらいいのだろう…気持ちが沈む以外にも身体にも不調がでることもある。でも、「この程度の症状で体調悪い」って言っていいのかな?と思ってしまうから、余計に無理してしまう。どうしたらいいのでしょうかね…?
ネットで調べてみると… 鬱病の症状が良くなって普通の生活ができることを、完治とは言わず、寛解と言うそうです。 寛解とは…全治とはいかないが、症状が落ち着いて穏やかに過ごせること…らしい。 また、寛解の状態が2ヶ月以上続いた状態は「回復」と言うそうです。 そうなると、わたしは少なくとも去年は寛解の状態であったのだと思います。 いやむしろ回復の状態までは行けていたのかも知れません。 今回、また鬱状態まで戻ってしまった訳ですが、もう何度も繰り返しているから回復の方法も分かってきているように思います。 初めて鬱になってから仕事ができる状態まで戻るのに3年くらいかかりました。 その後は1年半、1年、半年…
またまた随分と間が空いてしまいました。 昨年末は「年明けからブログ更新するぞ!!」と意気込んでいたものの、結果ズルズルときてしまいました。 結論から言いますと、この間また鬱になりました。 そして、仕事を辞めることになりました。 昨年は 「鬱になったらどうしよう」 「もう繰り返したくない」 そんな気持ちに雁字搦めになる事もなくなり「鬱の事を考えなくなった」と感じていました。もちろんモヤモヤした気持ちもありませんでした。 油断していたわけではなくて、本当に始めて鬱になってからの長い期間で初めて経験する位、清々しかったのは事実です。 11月にこんな投稿をしています。 ossanmeisocyu.ha…
鬱症状が無くなっても、自分の中に『生きにくさ』が残っています。前向きな気持ちの足を引っ張る気持ち。そして、自分を後回しにして頼まれ事などを優先してしまう気持ち。これらの事について、また少しずつ『自分と向き合って行こう』と思います。
去年の今頃は「死にたい」と思うほど鬱の状態が最悪でした。現在は鬱症状もなく過ごせています。そんな今年を振り返ってみました。
どうしても症状が気になってそれを取り除こうと考えてしまいますが、症状が出る原因を知り対策する事で症状が改善されるのだと考えています。
身体経疲れ切っている…体調が悪い…色々やらなきゃならないと思っている事が多くてイッパイイッパイ。そのせいか、鬱がちょこっと顔を出したり、「もうダメだ」なんて独り言が増えている今日この頃です。
イベントが近づきバタバタと忙しく仕事する中で、体調を崩していました。そんな中、久しぶりに鬱の初期症状が出たりしました。幸い鬱の方は大事にはならず直ぐに落ち着きましたが、今回の事を踏まえて、自分なりに対策を考えてみました。
先日ホームセンターで購入したアスパラガスの根を植えました。今日が一粒万倍日なのでw 先日植えたジャガイモも芽が出てきました。
鬱になってから始めた家庭菜園。毎年アスパラガスの芽が出てくるのを楽しみにしていたのに、今年は出てこない…。根っこを掘り起こしたら、ストロー上にスッカスカでした。
マイペースって難しいですよね。「マイペースでいいよ」何て言われても、どうしていいのやら…。 わたしなりに、マイペースについて考えてみました。 何をどうするという事ではなくて、自分に余裕を持てるような心のバランスを保つことがマイペースって事なのかな…。
鬱が酷くなると、布団から起きることも、ご飯を食べることも、身支度する事もできなくなり、仕事へ行くのも外出するのも怖くなります。そんな時は「休んでいい」と自分を許してあげる。家族からもそういってもらえると心強いです。
現在、鬱症状もなく穏やかに過ごせています。ここまで、長い時間かかってやっとたどり着けたような気がしますが、鬱とわたしの関係には幾つかの段階がありました。決してスムーズに来たわけではありません。でも、その都度転機となるきっかけを経てきました。 どんな段階を経てきたのか、まとめてみました。
鬱になってから、眠れない事は多々ありました。 モヤモヤと不安に襲われて眠れない事や、仕事の事が頭を離れない事も…。 昨夜も眠れなかったけど、今回はワクワクして眠れない…そんなの久しぶりです。
鬱症状で最初に出るのが、胸の痛み、その後が呼吸苦です。 毎度の事なので、「まだ大丈夫」となってしまいがちですが、自分に余裕がなくなると出てくる鬱のサインです。
人の気持ちを考えることはできるのに、どうして自分の気持ちを考えることはできないのだろう? そんな事をずっと考えていました。
現在は鬱の状態も安定していて、就活中です。今回は今までとちょっと感覚が違います。 考え方がかわったからでしょうか。ラストチャンスと思って、やりたい事にチャレンジできたらと思っています。
鬱になると自信がなくなります。自信がなくなる事について、わたしなりに考えてみました。わたしが現在拘っていることは、鬱で無くした自信を取り戻そうと言う意識がどこかにあったようです。
たまに気になる夢を見ます。 このところ、亡くなった愛犬が夢に出てくるときは、何かしらおこります。 愛犬が爪を怪我していたら、わたしも怪我したり…。これって予知夢?正夢?
鬱になってから始めた家庭菜園。初めてのキャベツ栽培でした、収穫のタイミングが分からず、蕾ができていました。 それでも、瑞瑞しくておいしかったです。
鬱病はなかなか理解してもらえないと感じています。自分の周りに一人でも、理解してくれる人が居ると非常に心強いです。わたしの家族が鬱を理解してくれた時のことをお話しします。
鬱病になってから、何度か転換期がありました。転換期を迎える度に、鬱病に対しての考え方が変わっていったような気がします。
鬱と向き合う事の後押しをしてくれた本をご紹介。『僕が僕であるためのパラダイムシフト』。カウンセリングでやっている事を理解できたキッカケもこの本です。鬱になった私が向かう方向に気付けました。
高木豊さんのYouTubeでダルビッシュ選手がメンタルについてお話されていました。メンタルは鍛えるのではなくて、いかに受け流すかと言う技術だと思うと言うお話し。なるほどと納得させられるお話ばかりでした。
鬱の一歩手前…そう心療内科で言われ、診断書を書くためにと抑うつ性神経症と言われました。診断を受ける前のわたしの状態を書きました。 あの頃は、息継ぎしないで泳いでいる感覚と背負っている籠に次々と荷物を投げ入れられて動けない…そんな感覚でした。
サイクリングに出かけると、鬱でモヤモヤした感じがどこかへ行ってしまいます。でもなかなか出かけられないのは、近所の目が気になるからなんです。
鬱は自分の一部…自分の個性と考えるようになりました。 「何でも、自分の個性」というお話を伺ってから、「鬱も自分の個性」「自分で嫌だと思う部分も個性」そんな風に考えるようになったら、心が軽くなってきました。
鬱に対してどうしても「鬱にはならない」「鬱を繰り返さない」と構えてしまいがち。でも、鬱に対して構え過ぎていると、鬱になった時に泥沼にはまってしまう。だったら、「もっと鬱と気楽に付き合ってみてはどうだろうか?」そんな風に考えてみました。