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これは、既にアップした【(2)】の続きの記事というか、同じ視点で書いた別の記事である。今回は、江戸時代初期の真言宗の学僧・浄厳律師の考えを学んでみたい。〔第二〕通別二受期限の事凡そ菩薩戒に通受あり、別受あり。別受というは、五戒・八戒・十戒・具足戒なり。是は声聞に共ずる故に、尽形寿を限とす、通受というは、三聚浄戒なり、所謂、五戒等を摂律儀戒とし、瑜伽・梵網等の諸戒を摂善法戒・饒益有情戒として、尽未来際を期限とす〈尽未来際というは、仏に成までの事なり〉、是故に発す所の願も遠く来際を期するなり、故に生生世世に仏種を断ぜず、在在処処に正法を弘て、普く人天の師と作るべし、かりそめの事に非ず、貴むべし、貴むべし、浄厳律師『菩薩戒諺註』版本、2丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改めるこれは、菩薩戒に於いて、通受と別受...三聚浄戒の意義に関する一視点(3)
『梵網経』は中国で成立したとされる文献なので、仏教では、等と軽々に言うわけにはいかないが、少なくとも中国以東では大きな影響を与えている。そこで、『梵網経』には「十月十五日」という日付が見える。なんじ仏子、常に二時に頭陀し、冬夏に坐禅し、結夏安居して、常に楊枝・澡豆・三衣・瓶・鉢・坐具・錫杖・香炉・漉水嚢・手巾・刀子・火燧・鑷子・縄床・経・律・仏像・菩薩形像を用うべし。而も菩薩、頭陀を行ずる時、及び遊方の時に、百里・千里を行来するには、此の十八種物、常に其の身に随えよ。頭陀は、正月十五日より三月十五日に至り、八月十五日より十月十五日に至る。是の二時中、此の十八種物、常に其の身に随うは、鳥の二翼の如し。『梵網経』「第三十七故入難処戒」それで、上記の通り、「十月十五日」までは頭陀・遊行の期間なのである。そうなる...十月十五日まで頭陀・遊行の期間
江戸時代初期の浄厳律師の『梵網菩薩戒諺註』という文献を学んでいた時に、そういえば、「諺註」という題が付いているな、と思っていたが、その後も、新義真言宗『密厳院発露懺悔文諺註』という文献も手元にあったことを思い出し、ここで「諺註」って何だ?という話となった。例えば、【日本古典籍総合目録DB】で「諺註」で検索かけてみると、40本以上の文献がヒットする。見た目的に、「註釈書」であることは間違い無いと思うのだが、中国ではこの「諺註」というタイトルを仏典で用いた例は、余り見ないようである。そうなると、日本で用いられた表現かな?という話になるのだが、意味はどうなるのだろうか?「註」は註記・註釈のことだろうが、「諺」は以下の意味がある。・ことわざ、教訓や伝承を含んだ言葉・・・だよな。ついでに、「諺とは、俗言なり」(『維...「諺註」という題名について