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阿含部ではあるものの『護国経』という名前だったので、大乗経典の『金光明経』のような、「護国経典」なのか?と思いきや、「護国尊者」という人についての話であった。なお、「護国尊者」だが、これはあくまでも意訳で、音写だと「頼吒波羅」となる。この人の名前で検索しても、ほぼ同じ内容の経典がある。また、翻訳の問題は、「訳して曰わく、頼吒は国、波羅は護なり」(『翻梵語』巻6「雑人名第三十」)とある通りである。それにしても、この『護国経』の末尾に気になる一節があるので、見ておきたい。爾の時、倶盧大王、尊者の伽陀を説くを聞き已りて、歓喜信受して、復た白して言わく、「護国尊者、能善く出離す、是の故に、我れ今、尊者に帰依す」。護国告げて言わく、「大王、我に帰依すること勿れ、我れの帰依する所、是れ仏世尊及び法、僧衆なり。王、当に...『仏説護国経』に見る三宝帰依について