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「講戒」という作法がある。詳しいことについて、拙僧はよく分かっていない。多分、今はそれが残っていない(のかどうかもよく分からない。説戒のことではない)からなのかもしれないが、それで、定義というか、典拠というか、基本は以下の文脈で知られる。講戒と受戒とは、その儀、別なり。これを詳らかにする者、少かなり。何に況んや大僧菩薩の戒相、これを明かにする者、多からず。今、撰する所は、講戒の流なり。しかも菩薩戒の儀式、これを伝授する者、稀なり。今、聊か略作法を存して、受授の儀を示す。諸の阿笈摩教、及び諸の教家に云うところと同じからず。若し、この儀によって受授すべくんば、得戒すべし。唐土・我朝、先代の人師、戒を釈するの時、詳しく菩薩の戒体を論ずるは、甚だ以て非なり。体を論ずる、その要、如何。如来世尊、唯だ戒の徳を説き、得...面山瑞方禅師が説く「講戒の流」について