メインカテゴリーを選択しなおす
いつも思うのだが、やはりその美しさが禅僧の心も捉えたようで、「富士山」を題材として偈頌を詠んだ僧は少なくない。曹洞宗の高祖・道元禅師は、宝治元~2年にかけて鎌倉に行化されたため、その往来中などに富士山をご覧になったと思うのだが、残念ながら『永平広録』『道元禅師和歌集(傘松道詠)』などには見えない。江戸時代に入ると、幕府による政治も安定し、徐々に人の往来が盛んとなり、僧侶も全国への行脚が可能になったようで、「富士山」について論じる場合も珍しくなくなる。そこで、江戸前期の曹洞宗の学僧、独菴玄光禅師(1630~1698)が「富士山高」という偈頌を詠まれた。ただ、その詩は難しいので、詩に付けられた「序」を見てみたい。当時の富士山がどういう位置付けだったか分かると思う。富士山は日本国の高山なり。春・秋・冬は登るべか...「富士山」を語る禅僧(1)